ブレアウィッチ

かみかくし

 日本の事件史に残る殺人の数々は、創作に置き換えてみても凶悪なものばかりだ。どの頁から読んでみても、目を惹く記述がつらつらと並ぶ。僕はそれを読み物として一線を引き、嗜んでいた。趣味が悪いと自覚しているし、それを誰かに吐露することはない。少し前の僕はそう考えていた。しかし、趣味が高じて事件現場へ残り香を嗅ぎに行くという、醜悪極まりないものへ昇華する。カメラを担いで記録に残す手癖の悪さを呼び水に、事件の啓蒙を装いつつ、動画投稿を始めてしまった。


 見るに耐えない膿のように張り出した稚拙な欲求だ。公序良俗に反すると弁えておきながら、お布施を預かろうなどと厚かましい。今ならまだ間に合う。動画を消す決心をして目に入ってきたのは、動画の異様な再生数の伸びだった。僕と同じような趣味趣向を持った同志のコメントに、動画投稿の習慣化の後押しをされた。


 男の名は、高野落太郎というらしい。この曖昧さは付き合いの長さに関わらない。何故なら、隣に居た女から名前を呼ばれた途端、血相を変えて怒り出す、鼻持ちならない理由があって、自ら名乗るにしても必ず苗字しか自己紹介に含まない。下の名前を親しみを込めて呼ぶような機会はこないだろう。


 打算にばかり目を奪われた人間の声の扱い方は揃いも揃って、声を低く潜め、秘密の共有と共振を誘ってくる。高野はまさにその典型であり、僕は仕方なくそれに従った。高野の提案を聞いたとき、直ぐにとある映画が頭に浮かんだ。それは、モキュメンタリー形式での代表作に数えられる、「ブレアウィッチ」だ。


 いわゆる曰く付きと呼ばれる土地や建物を動画で紹介していた青年が、何の前触れなく動画投稿を止めてしまう。少しして、紛失物と思われるカメラに残った記録映像が同サイトに於いて投稿される。内容は、霧深い山に踏み入る一人の男が、何かの衝撃によりカメラを落とすと、そのまま拾われることなく地平線を映しているだけの怪異な映像だ。


「拾ったカメラの記録映像」


 このような題目で動画を投稿し、怪奇趣味を持った方々に見つけてもらう。風景や喋り方。限られた情報の中で、きっと目敏い見物人がカメラの持ち主と失踪した青年を結びつけるはずだ。そうなれば、刹那に燃え上がり、あらゆる媒体で取り上げられて、爆発的な再生回数を記録するだろう。だが、懸念はある。高野からこの筋書きを聴いた瞬間、僕は真っ先に自作自演を疑われると思ったのだ。それでも、


「確かにね。でもさ、ネット掲示板の黎明期にあった事件関与を匂わせる書き込みのアングラ感は再現できると俺は思ってるんだよ」


 昔馴染みと顔を合わせたかのような郷愁を醸す高野の望みは確かに魅力的だった。しかしながら、アカウントを新たに作り、拾ったカメラに残る記録映像と題して動画を載せるのはやはり、陳腐な自作自演になる。その動画サイトで既に一定数から認知されている人物に協力を仰ぎ、カメラを拾うまでの過程を動画にしてもらい、記録映像の拡散を図る。このやり方ならば、自然な過程を踏んで、忽然と姿を消した神隠しを演出できるはずだ。

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