第11話
「そもそも…この“領域”はなに? イオのものとまた感じがちがうんだけど…」
「うんうん。そこからだよね」
悠がそう問うと、彼女はよく聞いてくれましたと満足そうに頷き返す。
「この領域はわたしが造り上げたものなんだ。そもそも“記憶領域”というものは誰かしらが作った“魔法”を物理的な存在に“記録”しておいて、自身が死してもなおそれを後世の誰かに受け継がせるためのものなんだよ。まあ天涯孤独な“魔女”が決まった個人に残すことは滅多にないんだけどね」
「なるほど…」
「因みにこの領域はどこにあるか分かる?」
「え? …ワールドワイズじゃないの」
「不正解。ここは“杖”の中だよ。君の近くにいつもいたでしょ」
そう言われて初めて気がつく。そういえば常に持っていた気がする。なぜかと聞かれればよく分からないが…無意識の内に持ち歩いていた。今もそれは自身の左手に収まっており、それを不思議そうに見やる。
「さて話を戻そうか。で、その“魔道書”のことなんだけど。人間という枠組みの中で使えるようにするには少し小細工が必要なの。まあ造った本人は人が扱うとは思ってなかった筈だしね」
「え…? でも、イオはそんなこと一言もいってなかったけど…」
「危険なモノだとは言っていたはずだよ? まあでも、実際にどうなるかは分からなかったんじゃないかな。だって、あの子はわたしの例しか見たことがないだろうし。そう考えるとあの子も不運だったね。初めて出会ったのが常人ではなく、天才美少女なわたしだったんだから。初めて会った時の反応は面白かったよ」
ふふっ…と過去を思い出して愉快そうに笑うサイサリス。彼女とイオの出会いは悠としても少し興味があったが、今は脇に置いておく。
「とりあえず、君が欲してるであろうものはこれかな」
一頻り笑った彼女はそう言って左手を無造作に振る。すると、本棚から一冊の本が飛び出してきた。いつもの悠なら驚くところではあったが、「またか」という感情の方が強かったようだ。えらく慣れたものである。
「さてさて。まあこれを譲るにしても君には少し代償を支払ってもらわなきゃならない」
「だ、だいしょう…?」
「そう。代償だね」
にやりと口角を上げるサイサリスはおもむろに立ち上がってベッドへ向かう。そしてそこに腰を下ろして手招きしてきた。
「───さ。おいで?」
「え″!? いや、なにするつもりっ!?!?」
「そりゃあ。如何わしいことだけど?」
「は、はぁっ!? なんでっ!???」
「ふむ、新鮮だね。なかなかうぶな反応するじゃない。まあでも───拒否権はないよ」
パチンッ、と彼女は指を鳴らす。すると、ふわりと妙な感覚が悠を襲った。自身にかかっていた重力が失くなり、気持ち悪い浮遊感が全身を駆け巡る。
「へっ!!!??? いや、なにこれなにこれっ!? ちょちょっまって!!!いやーっ!いやーっぁ!!!」
「うるさいなぁ。はいはい、暴れないの」
「───っ!?っ!!??」
また彼女が指を鳴らすとお次は声を奪われた。悠としてはもうパニック状態である。なんでもありかこいつは。
そうして易々とベッドに投げられた悠。それに瞬時に股がって押さえ付けるサイサリス。端からみると姉妹が喧嘩でもしているかのように見えるが…。
(こ…こいつっ。力強くて振りほどけない…っ)
その力は一方的だった。至近距離から見つめられドギマギするがそれよりも恐怖の方が勝つ。悠は負けじと彼女の瞳を睨み返すがそれは無駄な抵抗だった。
「ふふ…っ。やっぱりわたしって幼くても可愛いねぇ。そんな生意気そうな目もドキドキしちゃう。それじゃ───“いただきまーす”」
「───っ!?!?」
その瞬間、時間が止まった。それは思いもよらぬ行為だった。まさかの出来事。なにかの冗談かと心の奥底ではそう思っていた。しかし、未知なる感触が現実を叩き付けてくる。───唇と唇が重なったのだ。
「っ!?!?っ!?!?!?っ~~~っ!!!?」
(な、なななななななななになに!?!? なんだか何かが抜けていく感覚がするっ!?というか、キス!? 接吻!? 今、おれキスしてます!!!!????)
分かりやすく動揺している悠は彼女にされるがままであった。妙に生暖かい感触も、ねっとりとした感触も、口の中に何かが入ってくる感触も。どう思っても誤魔化せない現実の感覚だった。拒否しようともがいても、力が入らず抜けられない。その上、決定的な体格差。どうしようもなかった。
そうしてどれだけ続けたのか。数分、数十分、いや数時間だったかもしれない。
へろへろになった悠はようやく彼女に開放された。
「ぷはぁっ。あぁ~~満足したっ」
「う…うう…。こ、この…やろう…」
(お、おれの。おれのファーストキスが…こんなやつにぃぃぃ…)
「いやはや。自分自身…ではないけど。同じ存在とやれるのはホント運がいい。あ~“領域”残しといて正解だった~っ」
恍惚とした表情の彼女は一仕事をやり遂げたかのように腕を広げて伸びをする。見ただけで分かるほど、かなりの上機嫌。どれだけやりたかったのだろうか。この魔女はかなり性癖が腐ってしまっているようであった。そんな変人のターゲットにされた悠はベッドの上で意気消沈していた。
鼻歌でも歌い出しそうな彼女はようやく例の本を取り出して見る。
「そんな顔しないでよ。これは必要な代償だったんだから。この本は“
もっともらしい理由を述べる彼女。嬉々としてやっていたような気がするが、身体的にも精神的にも疲弊している悠はもはや突っ込むのも億劫だった。
「粘膜接触が一番効率いいんだよねぇ。もっと別の場所の方がわたしはそそるんだけど…流石に初めてはハードだろうからね。また機会があればしようね♪」
さらに恐ろしいことを宣う彼女。それに戦々恐々とする悠だった。
「――――それじゃ。右手を出して」
と、サイサリスは否応なく悠の右手を取り、本の表紙に乗せる。すると───
眩い光が目の前を覆う。何かが右手を伝う感覚がし、身体の奥底で混ざる感触がした。
“ぼんっ”
「うひゃっ!?」
そして、それは煙を立てて消滅してしまった。
「───うん、上手くいったみたいだね。よかったよかった」
「えっと…。なにがどうなったの…」
この状況にいまいち実感がわかない悠は首をかしげる。
「ちゃんと変わってるでしょ。右手を見てみなよ」
「え…?────っ!? なにこれっ!?」
言われるがままに悠は右手を見やる。すると、そこには見慣れない黒い模様があった。
それは手の甲から伸び、右腕まで伝って胸の方まで───
「ほい、手鏡」
そういって見せられた自身の顔。いつものように可愛らしい顔が映っていたがそこにはやはり見慣れない模様が続いていた。
まるで右腕から右目に吸い込まれるようにして配置されたかのようなその模様は異様と言うほかない。可愛らしい顔とかなりアンバランスである。
「ちょ、なっ。なにこれっ!? いれずみ!?」
「ん~? それは“
「じゅ、じゅほうっ!? それ呪いじゃないの!??」
「大丈夫。死にはしないから。こんなことで驚いていたらこの先やっていけないよ?」
「…へんたいナルシストめ」
「なにか言った??」
恐ろしい笑顔で圧をかけてくる彼女から悠は目を逸らした。
彼女が熱く語った説明によると。“刻印”は魔法を扱いやすくするために産み出された方法であるらしい。身体に新たな回路を作り、それに魔力を通すことによって…うんたらかんたら。悠にはその辺は分からなかった。とりあえず、身体に馴染むと自然と見えなくなるらしい。しかし、“魔法”を使えば光ってしまうとか。自分の身体のことなのに何か別の話をされているかのようだった。なんだか気味が悪い。
「とりあえず、今はそれでどうにかなると思うよ。まあ後は気合いかな。細かいことは分からないだろうし」
「き、きあいなんだ…」
彼女はそういうと席を立つ。そして思い出したように振り返った。
「あ、そ~だ。その“杖”の名前は“スティア”だから覚えてあげてね」
「す、スティア…??」
悠は言われて傍にあった杖を見やる。それは答えるように瞬いた。初めて名前を呼ばれて嬉しがっているような感じがする。感情もあるのだろうか。ますますなぞの存在である。
「うんうん。名前がなかったら可哀そうでしょ? 仲良くしてあげてね。それと、も~ひとつ。わたしのことはイオには内緒ね」
そういって人差し指を口に当てる彼女。悠は首をかしげる。
「え、なんで…??」
「なぜって? そりゃあわたし自身が死んでいるからだよ。ここにいるのはただの記憶の断片。自分がこのあとどう歩んだのか。なぜ死を選んだのか。あの子はどう思っているのか。…なにひとつ知らないんだよ。そんなわたしの存在をあの子が知ったら残酷でしょ?」
そういって笑う彼女に悠は何も言えなかった。イオには“魔道書”の起源を語ってもらったが、“犠牲になった魔女”のことはなにも言ってくれなかった。そこで気が付く。
(おれはなにも…知らないんだったな。彼女のことを、なにも。まだなにも…心を開いてもらえてないってことか…)
「――――なに難しい顔してるの。可愛い顔が台無しじゃない」
「え…ってうわっ!? ちかっ!?!?」
いつの間にか近づいていたサイサリスに驚く。目と鼻の先だった。
「そんな心配しなくてもイオとは仲良くできると思うよ。あの子、他には冷たいのに妙に優しいから。その辺はもう知っているでしょう?」
「え、なんで…。なにもいってないのに…」
「いや、分かりやすくてね。露骨に顔が曇るんだもん。誰だって分かるよ。もう少し隠す練習した方がいいよ」
「うぐ…」
と、図星を指され何も言えなくなる。
「とりあえず、“
「え…?? た、たたかう…??」
唐突に言われた不穏な言葉に戸惑う悠。しかし、それを見て不適に笑う彼女は容赦なく言葉を紡いだ。
「わたしはこれからもこの“
視界が薄くなっていく、相変わらずなにを考えているか分からない不適な笑みを浮かべた彼女も…だんだんと見えなくなっていく。
「え、ちょ、まってっ。まだききたいことがっ!!」
そんな彼女に悠は声を上げる。
「あなたはラケシスをっ――――」
知ってる…と言い終わる前に言葉が途切れる。突然の出会いは唐突に終わりを告げた。
誰もいなくなった部屋で一人。悠がいた虚空を見つめてサイサリスはふと呟く。
「ラケシス…ね。あいつ本当にあの“約束”を守ったんだ。ほんとに“天界人”とは思えないほど律儀なやつだね。ま、今のわたしにはどうしようもないけど」
そんな言葉を聞くことなく、悠は現実に戻る――――
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