第10話





『おいおい。まだ残ってるのかよ』


『相変わらず遅いやつだな』


『残業大好きですね~』


『いつまでたっても変わらないな。真面目すぎるんだよお前は』


『そんなんじゃ一生モテないぞ』


『それで? 成果は出たのか? …だろうと思った』


『真面目なのはいいんだけどねぇ…』


『ミスは少ないんだけど…この遅さじゃこの業界はやっていけないよ?』


『頑固なやつだな。もういいよ俺がやる』


『めんどくせぇやつ…。頭固すぎ』


『お前がやったてどうせ変わらないじゃん』


『そこまでやる必要ある?? そんなの時間の無駄じゃん───』






 ────無駄か…。



 机に置かれた珈琲を見る。それは既に冷めきってぬるくなったものだ。常闇のように黒く暗いブラックコーヒー。それはまるで今の自分の心中をかえりみているようだ。自分はあまり好きではないが眠気覚ましにはこれが一番良いのである。



 さて、またいつもの憂鬱な時間が始まる。自分はそのカップを一口飲み机に置いた。






 ────はっと目を覚ます。






 何度か瞬きし、深呼吸する。


 かなりの時間、気を失っていた気がする。



「…す~っげぇ嫌なゆめみた…きがする」



 もうはっきりとは覚えていないが、す~っごく後味の悪い夢だったことだけは覚えている。悠は大きな溜め息をついて身を起こした。


「えっと…。なにがどうなったんだっけ…」


 所々おぼろげで記憶が安定しない。とりあえず、彼女は辺りを見回す。しかし、その行為は余計に思考を混乱させてしまった。なぜなら────



「え…。なにこれ。…????」



 辺り一面を覆う水面みなも。見上げれば青々とした空が広がり、果ての見えない途方もない空間に水平線だけが伸びていた。


 どこをどう見ても変わらない青の世界。どこか夢のような儚げで神秘的である奇妙な光景。


 意味が分からない。


 さっきまで“魔女の家”にいた筈なのに、なぜこんなところにいるのか。そもそもここは…なんだ????


 (まてまて。そういやおれはイオに“魔道書”を渡されて帰ってきたはずだよな? そのあと…どうなった???) 


 悠は腕を組んで頭をフル回転させる。夢うつつだった頭は時間がたつごとにはっきりとしてきたようで、そこでようやく事の次第を思い出し愕然とする。



 (もしかしておれ…――――?????)






   ◇◇◇






 ――――少し時間が遡る。




 “領域”の中から戻ってきた悠はまず床に倒れていた彼女をベッドに戻す。


 そして、手に持つのは“領域”の中で渡された例の“魔道書”。


「で、どうするの?」


『はい。では、その“魔道書”を捲ってください。所有者がそうすることで“魔道書”が起動いたします』


「うん。わかった」


 言われるがままに悠はその表紙を捲る。その瞬間、その本は光を放ち、呼応するように自身の“右目”も熱く光る。




「───っ!?」




 突然のことに悠は驚く。しかし、そうやって驚いてばかりいられなかった。いつもよりも格段に熱く赤く燃え上がる“焔”はじりじりと容赦なく“右目”を焼く。


 (いつもより…っ。ヤバいっ)


 どうにか耐えている彼女だったが、それがいつまで続くか分からない。そんなことはお構いなしに状況は刻一刻と進んでいる。目の前で行われている“魔法”は新たなフェーズを迎えようとしていた。



『これは世界の理。我が所有者が望むのは精魂の在処。彼の者を縛る鎖をその眼に、解き放す術をその眼に、彼の者を正しき生へ引き戻す調べを。我らに示せ──────“魔道の眼グランドアイズ”』



 凛とした音色で透き通るような声色で、詞を紡ぐイオの詠唱はまるで聖歌のようだった。それに呼応する“魔道書”はまるで風にでも煽られたかのように高速でページが捲られていく。



 (なんだこれ。すごい…)



 その光景を言い表すのは難しい。光輝いた本がひとりでに捲られていく様は奇妙であるし、眩むような光を放つのは不思議であったが、飛び散った光の残滓が夜空に輝く星のごとく瞬いては消えていく光景はとても儚く幻想的で美しいものに映った。



 (───っ!!!???)



 また“右目”の光が増す、それに付随してもどんどん上昇していく。


 (おいおい!これ“爆発”したりしないだろうなっ?? どこまで熱くなるんだよ! 我慢できなくなるぞっ!!)


 焦りを見せる悠。しかし、今さら後戻りはできない。そろりそろりと心の奥底から恐怖が沸き上がってくる。


「───――――っっ~~~~っっっっっっ!!!!!!」


 噛み締めた歯の間から苦悶の声が漏れる。…限界だった。


 今やその熱は耐えられるたものではなくなていた。


 自分から言い出しておいて結果はこの様。ホントに惨めで…情けない。




「っ!!! あぁぁぁぁああぁぁあ───――――――――ぁっっ!!!!!」





 心の底から声を上げる。眼の奥から沸き出る激痛に遂には目を────閉じてしまった。




 その瞬間、世界が




 ────世界は真っ白に染まった。







  ◇◇◇







 だらだらと嫌な汗が噴き出す。


 頭を振り絞って今までの記憶を掘り返してみるが、そこから完全に途切れていた。十中八九原因はこれだ。


 (あ、あれ…やっちゃった?ねぇ。これもしかしてやっちゃった?? 死んだのなら説明つくよ?? これが死後の世界だったりするんじゃね?ほら、水だし。三途の川とか…。いや、これじゃぁ川じゃなくて海だけど!!!)


 自分でも動揺しているのが分かる。


 こんなときほど冷静に、落ち着いて考えろと自身に言い聞かすが不吉な考えが脳裏を掠め意図も容易く吹き飛ばされる。

 

「───はっ。そうだイオ! イオなら分かるはずっ。おーいっ。イオーっ!! いるんでしょ! でてきてよっ!!!おーいっ!!」


 ふと思い付いて彼女を呼ぶが、いつもならすぐにでも出てきてくれる筈なのにいつまでたっても現れない。


「うそでしょ…」


 と、つい口から出てしまった。放心状態のまま彼女は呆然とする。


 イオも忠告していた筈である。“創造力アルカナ”が足りなければ大変なことになると。なら、これが答えではないのか。


「え…。マジか。これ…マジなのか…」


 確証はない。しかし、現状を顧みるとそうではないか?と、思ってしまう。

 目の前に広がる果てしなく広がる海。自分しか居らず、あるのは空と水面が交わる水平線だけ。


「でも…からだはあるけど…」


 両手を見て開いたり閉じたりしてみる。もし死んだと仮定するなら、ここまではっきりと感覚があるのだろうか。


「それに…というか、まだこの幼女からだだし…」


 水面に映るのは最近やっと見慣れつつあった少女の姿。なぜかしっかりと魔女っ子スタイルなのは言うまでもないだろう。もはやこの服装は自分のアイデンティティーとなりつつある気がする。とかなんとか考えて…


 (…まじで意味が分からぬ。なにもないし。おれはどうすればいいんだ────)


 この打つ手なしのこの状況に悠としてもお手上げ状態だった。


 (こんな時にイオがいてくれたら…───っ)


 ふと半場無意識の内にそう思っていた。いつの間にか自分はこんなにもイオに頼っていたのだと自覚する。


 (はは…。おれはイオがいないとなにもできないんだな…)


 少し自嘲気味に薄ら笑う。結局、かっこつけただけでこんな結果か。なんとも情けない。


 自分の不甲斐なさを改めて自覚し、はぁ…と大きな溜め息をつく。

 頭を悩ましたところでもはや答えなどなさそうではあったが、これからどうするかまたもや考え込もうとしたところへ────




  “ゴスッ”




「─────あだぁっっっぁ!!!!!!!!」





 後頭部にが走った。



 彼女は目の前に星を放ちながら転倒。ずっこける。



 完全に意識外からの攻撃。かなりの衝撃を受け目を回した悠はその場で少々へたりこんだ。そして、復活した彼女は飛び起きる。



「すっごくいたいっ!!! だれだぁっやったのっっ!!!!」



 凄い剣幕だ。かなり痛かったようである。そうして振り返った彼女が見たものは───宙に浮いているだった。



「は…─────はぁ????」



 頭にはてなマークをたくさん浮かべる悠。


 目の前にいるのはいつも持ち歩いていた長い杖だった。で、なぜか今はふわふわと宙に浮かんでいる。


「え? なになに? え? どゆこと???」


 その奇妙な光景に先程の怒りも忘れ困惑する。

 それにお構い無く“魔杖”はくるくると宙を舞うと地面…いや、水面と平行になるように静止した。


「…???」


 その行動に彼女が首を傾げていると早くしろと催促するように“魔杖”が揺れる。喋ることはできないようだが、意志疎通はできるらしい。意思があるかは分からないが。


「え? もしかしてのれと???」


 自身の腰の辺りで静止するそれを見て、その様子があたかも自分に乗れと言っているような気がした。それはどうやら正解だったようで、ブンブンと元気よく頭(上の方)を振り回す。


 (おおうマジか。…仕方ない。ここでこうしているのも時間の無駄だし…。魔法がある世界なら、杖が動いているのも可笑しくはないのかもしれないし。…おれもなかなか毒されてきたなこの世界に)


 一つ溜め息をついてから悠はそれに飛び乗る。


「よし。なら、つれてって。あなたがいきたい場所に」


 そういうと同意したように“魔杖”は動き始める。



「───って、ちょっと待って?はやくない?ねぇ。きいてる? ちょっとスピード出すぎ…ちょっとぉぉぉぉ──────っっ!!!!!???」



 気づいた頃には遅かった。制止の声も虚しく。それは枷を解かれた獣のように遠慮もなく、ぶっ飛んでいった。彼女の悲鳴を残して。

 





  ・・・・・・






「しぬかとおもった…」




 げっそりと意気消沈する悠。さっきまで元気に飛び回っていた“魔杖”は今のところ左手に収まっている。やっと地に足がついて、彼女は心底安堵していた。いや、地じゃなく水面だが。


 しかし、不思議なものだ。踏みしめているのは水面の筈なのになぜかそこに地面があるかのように立つことができる。実際、踏み出すと波紋が広がり、水飛沫が飛ぶ。しかし、それ以上のこと…沈み込んだり、それこそ溺れたりすることもない。


 (まるで地面一帯にリアルなホログラムでも映っているかのようだな。恐らく違うんだろうけど…)


 これは魔法的ななにかなのか。それともやはり死して見る幻像なのか。どうにも分からない。だが───



 (少なくとも。この中に入ればなにか分かるはず…)




 悠は目の前を見上げる。そこにあったのは───“魔女の家”。そっくりな建物だった。



 “魔杖”が連れてきたかったのは恐らくここなのだろう。かなりのスピードで一頻りぶっ飛ぶといつの間にか辺り一面が霧に覆われ、それが晴れると目の前にこの“魔女の家”が現れていた。


 まるで夢でも見ているような感覚。これが罠かそれともまた違うなにかなのか。今の悠にはまったくもって検討もつかない。とりあえず、今できることは…



 (この中に入ってみることだな)



 ドアノブに手を掛け…る前に戸を叩く。すると、扉はひとりでに開いていった。



 (うわ…これも魔法なのかな。自動ドアとかハイテクだなー)



 扉をくぐるとそこは廊下だった。悠が入ると扉はまたもやひとりでに閉まる。それを横目で確認すると、彼女は気を取り直して足を進める。



 廊下を少し進むとリビングがあった。悠はそこに足を踏み入れる。すると────




「――――やあ、待っていたよ」




 待ち人がいた。



 テーブルにつき、足を組み、肘をついてこちらを見やるの女性。



「君が今代の“赤眼の魔女”だね。会えて嬉しいよ」



「あなたが…ここの主人??」



「うん、そう。まあ、ここはただのだけどね。主人というほど大袈裟なものじゃないよ」



 その女性は不適な笑みを浮かべそう返す。



「とりあえず、立ってないでこちらにおいでよ。もっとよくわたしにその顔を見せて?」


 そう言って手招きする彼女は嬉しそうに笑っている。しかし、その笑顔はイオとは少し異なるなにかを秘めているように感じた。それに悠はこの女性からあの“クソ女神”と同じ匂いがしていることに気づく。だから、動かなかった。


「あれ? どうしたの?」


「べつに。さきにあなたのなまえをしりたい。あなたはだれなの?」


「ああ。なるほどね」


 腑に落ちたように彼女は頷き、その顔に三日月を作るかの如く口角を上げる。その得体の知れない不気味さは、まさしく“魔女”と呼ぶに相応しい姿だった。



「わたしの名前は───。君の先代の“赤眼の魔女”さ。お母さんとでも呼んでいいよ?」


「いや、だれがよぶか!!」


「なら、お姉ちゃん???」


「それもきゃっか!」


「ちぇ~」



 彼女は両手を広げ、残念そうに首をかしげる。



 彼女の容姿はそう…今の悠をそのまま成長させたような姿だった。悠も彼女を見つけた時からそれは予想済みだった。しかし、そうなるといろいろと疑問が残る。


「あの───」


「待った。質問するなら席について? いろいろと聞きたいこともあるだろうしね。わたしの知ってる範囲でなら教えて上げるよ」


 そう先手を打って言われ、しぶしぶ席につく悠。目の前に成長したであろう自分がいることに凄く奇妙な感覚がするが、それを抑え込み彼女を見返す。


「いや。やっぱりわたしってとても可愛いね。食べちゃいたいくらい」


「え、ナルシスト?」


「失礼な。自己肯定感が高いだけだよ。でも、ま。実質君とわたしは違う存在だから。わたしのようには成長しないかもしれないけどねぇ」


 そういって自慢気に腕を組む彼女。形のよい胸が腕に乗って主張している。まるで見せつけるかのように。今の悠にはないものだ。



「べつに。じゃまだからいらない」


「えっ!? ほんとに!? なんでっっ!!??」


「そんなにおどろくところ???」


「いや。だって、女性と言えば胸でしょ!!!」


「なんつーこというんだコイツ」



 失礼なことを宣う彼女。それをじっとりとした視線で見ていると、居たたまれなくなったのかこほんっと咳払いして彼女は話題を戻す。


「───とりあえず、君が一番気にしてそうなことを教えようかな。さっきも言ったけどここは“記憶領域グノーシス”と呼ばれるもの。君は“魔法”の衝撃でこちらに飛ばされてきたってわけ」


「ぐのーしす? いや、それより…まほうのしょうげきって…」


「うんそう。君…“魔道書ワールドワイズ”を使ったでしょ?───本来、あれは人が使える代物じゃないからね。“魔法”の余波に耐えられる人間なんて普通はいないんだよ。まあ、わたしは耐えられたけどっ!」



 どや顔でそう言う彼女はとても腹立つ見た目だった。顔はいいけど中身が残念なようである。



「なんか失礼なこと言われた気がするね」


「???────なら、おれは死んでないってこと?」


「そうだね。意識だけが飛ばされたからね。身体は生きてるよ。ちなみに、わたしに頼めばいつでも戻してあげられるよ? まあ、タダじゃないけど…」


 そういって彼女はにやにやとする。なにを考えているのかは分からないが、十中八九、ろくなことではないだろう。


「なら、すぐにもどして。おれにはやらなきゃいけないことがあるから」


「まあまあ。そう急かない急かない。ここは時間に取り残された隔絶した空間。どれだけいても現実の時間は変わらないから」


「むう…」


「それに――――今の君が戻ってもまた飛ばされて終わり。またそんな無謀で愚かな賭けに乗って命を捨てる気? それに、ここに来たのは本当に偶然の賜物。はないよ」


 彼女の言葉にはっとさせられる。確かにこんなことになったのは向こう見ずな自分自身のせいだ。戻ったところでまた同じ結果が待っている可能性が高い。それに───


「つぎはない…」


「そ。この“記憶領域”に入ったのはたまたま、まぐれ、偶然、不幸中の幸い。本当に運が良かったね? 次飛ばされてしまったらどこに行くか分からないし、そもそも戻れる補償なんてない。だから、ユウ────先代の“赤眼の魔女サイサリス”に聞きたいことはない?」




 彼女はそう言って不適な笑みを浮かべた。



 

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