第9話
さて、奇妙な出会いをした“赤眼の魔女”と“謎の女の子”。
場所が変わり、“魔女の家”に返ってきた悠とイオはベッドで寝息をたてる少女を見て頭を悩ましていた。
「どうしたものかな…」
と、頬杖をついてぼやく悠。森の中であのまま捨て置くことができなかった二人はその女の子を連れて帰ってきた。
連れて帰ってくるなり彼女はお腹が空いたと言い出し、仕方がないので残っていた果実を振る舞った。その後お腹一杯になったからかすぐに寝てしまったので仕方なくベッドを貸しているという状況である。
その“謎の女の子”はいろいろと不自然な部分があった。
まず分かりやすいのは見た目が普通の人の容姿ではないこと。
耳が長く、身体の一部と腕と脚が妙な甲殻に覆われており、長い蛇のような尻尾があること。そしてその尻尾は伸縮自在らしく今も悠の身体に巻き付いていた。
性格は子供っぽくて甘えたがりな女の子のようだけども…。それはそれでどう対処したらよいか分からないのが本音だった。
『とても懐かれておりますね』
「おれはなにもしてないんだけど…。さすがにママなんてムリがあるでしょ」
彼女が出会いがしらに発した第一声は「ママ」だった。どこをどう見てそう思ったのか分からないが、その無垢なる笑顔を見ているとなんとも否定しづらい。
『刷り込みというものでしょうか…』
「それって生まれたちょくごにみたものを親とおもうやつ?? うーん…そうだとしてもどうしようもないしなぁ」
すやすやと寝息をたてる少女を見やる。自分がママと呼ばれる日が来るなんて想像すらしたことがなかった。ましてや自身の子供も作れそうになかったのにいきなり親に…「ママ」なるなんてなかなかに理不尽すぎる。というか、本当に刷り込みの場合消すのはかなり厳しいのではなかったか。パパではなく、なぜよりにもよってママなのか…不満は尽きない。
(そもそもこの
その悩みの種である当の本人はベッドで安らかな寝息をたてている。それは明らかに安心しきっている様子だった。長い黒髪が無造作に広がり、それとは対照的に丸くなって眠っている。なんだか猫っぽい。そんなたわいもない仕草だけ見れば普通の可愛い女の子なのだが…臀部から伸びている尻尾や固そうな甲殻がやはり異質に映る。
『恐らく彼女は…――――“
「なにそれ? びーすと??」
『はい。表沙汰には公表されていませんが、人が魔術で造った存在。謂わば生体兵器です』
「は???」
開いた口が塞がらないとはまさにこのこと。悠は素頓狂な声を上げ、そのまま固まってしまった。
まさかこんなファンタジックな世界で殺伐としたSF小説に出てくるようなワードを聞くことになるとは思いもしなかった。
「せ…せいたいへいきって…その…。もしかして、じっけんして作られた人工の生命体ってことでいいの…??」
『はい、その通りです。流石でございます。知見が広いですね』
「あ、ああ…そう」
誉められたところであまり嬉しくはないのだが。
聞き間違いかと思ったが合っていたらしい。というか、聞き間違いであってほしかった。
やけに重い
(…まだなんとも言えないけど。この世界はなんだか危険な匂いがするんだよなぁ。いろいろと…。魔女は迫害されているし、幼子でも容赦なく殺して。それに人体実験までして“生体兵器”を作り出す…? 嘘だろ? まだ細菌兵器とかなら分かるけど…“人間”にしか見えないぞこの娘。いったい全体どういう世界なんだ…???───そう考えると、この娘を連れて帰るという判断は間違っていたのかも…)
この世界のことを知ればしるほど自身の甘さを自覚してしまう。
始めてこの世界に降り立ったときの胸が高鳴るような高揚感はすでに消え失せてしまっていた。その代わりにキリキリと締め付けるような緊張感が心を鷲掴んでいる。
この世界の暗く淀んだ黒い一面は自身が思うほど甘くはなく、想像よりも遥かに根が深いもののようだった。もしかすると、それはいつの間にか自身の周りに近づいていて、知らぬ間に取り返しのつかない状態に陥っている。そんな状況が自分にも訪れるかもしれない。いや…もう絡めとられていてもおかしくはないのだ。だって、すでに自分はその現場を見つけてしまったのだから――――
悶々と頭を悩ます彼女。どんどんと考えが嫌な方向にと向かってしまう。
どういう状況で、なぜ馬車が狙われ、なぜ崖から落とされたのか。もしかしたら狙われていたのは彼ではなく彼女だったのかもしれない───
そう考えれば考えるほど心配になり、その答えは出ず不安になってくる。
「あーっもう! どうすればいいのっ!」
『少し落ち着いてください。ユウ』
「うう、だって…」
『ここで慌てても何も変わりません。情報が少ない今は考えても仕方がないでしょう。ここは様子見するのが最善です』
そうイオに宥められた悠は「うぐ…」と出かかった言葉を飲み込み、どうにか落ち着きを取り戻す。イオの言う通り情報がない今はどうにも動けない。考えても大半が確証もない予測になってしまっては要らぬ不安が募るだけだ。考えすぎもよくないだろう。
「そうだね…。はぁ…。イオがいてくれてたすかったよ」
『それはなによりでございます』
とりあえず、情報が少ない今は打つ手がないので様子見するということで話は決まった。ならば、考えなければならないのは彼女の処遇である。
これからどうしていくかを改めて考えようと振り向いたところ。
「───ってあれ?」
ベッドで寝ていた彼女の姿がない。
「ちょっ!? どこに───」
『すぐそこにいますよ』
と、イオに指摘され視線を下げるといつの間にか彼女は悠の腰に引っ付いていた。少し視線を外していただけなのにその間に移動するなんて…と驚く悠だったが、それよりも彼女の様子が少しおかしいことに気づく。
「まま…」
「ママじゃないんだけど…。それよりあなた…かおが赤くない?? だいじょーぶ??」
「ママ…からだがアツいの…」
「え…。もしかして風邪?? ていうか、あなたも風邪になるものなの?───ってあ!ちょっと!」
言っている間に彼女はぐったりして目を閉じる。すると、彼女から力が抜けたようにずるずると床へ落ちてしまった。
「ええ!?なになにどうしたの!? うわっからだアツい!!? …これかなりヤバめでは!? どどどどどうしようどうしよう!!!?」
『落ち着いてください。ユウ』
「いや、だって! ここにはびょういんもないし!くすりもないんだよ!?」
『そうですね。よく状況を理解されているようでなによりでございます。では、その上で貴女様に一つお尋ねいたします────“この娘をどうされたいですか?”』
慌ててた悠がぴたっと止まった。
「どうって…それってもしかしておれがこの娘をたすけるってこと?」
『質問を質問で返さないでください』
「うぐ…」
有無も言わさないイオの物言いに怯む。いつもの優しい物腰とは一変して、その言葉は相手を突き刺すような冷たさで放たれた。
『申し訳ありません。ですが、これにははっきりとお答えいただきたいのです。確かに彼女を助けるというのも一つの選択肢です。見たところこれは一般的な風邪の症状とは異なります。それを治すには“
彼女の言葉を聞き、悠はようやくことの重大さに気がついた。
現状、悠は“魔法”の特訓をしているが、それはまだ巨大な氷山の一角に触れただけに過ぎない。そんな悠が“魔道書”を使えるかどうかは未知数。というか、普通に考えれば無理な話である。誰が「一」を理解していないのに「十」ができるものか。技術が伴うものは大概がそうだ。
“魔道書”の危険性はイオが一番知っている筈。ならば、彼女は止める立場にある筈だ。しかし、彼女は悠自身の考えを尊重してくれようとしていた。
苦しんでいる女の子を見る。
かつて、目の前で苦しんで死んでいく人を見た。心配かけまいと我慢して笑い、しかし笑いきれていなかったその痛々しい顔が脳裏に焼き付いて今だに離れないのだ。
(なんで…なんで。いつも…後悔ばかりなんだ)
苦しんでいる姿を見たくなかった。なにもできず、ただ指を咥えて見てるしかできなかった。
それが例えどんな得たいのしれないモノでも。あんな思いはもうしたくなかった。故に“彼”は───
「たすけたい…。たすけたいんだっ!!!!」
と、叫ぶ。自分になにかができるなら。自分が行動することで少しでも苦しむ誰かの助けになるなら…それにはやってみる価値がある。それはとてもとても…甘い考えだ。先ほど自身の甘さを自覚したというのにまたそんな顧みない発言をする。そんな甘ったるい考えは現実という絵具ですぐに塗り潰されてしまうのに。
『もし貴女様自身に危険が及ぶとしてもですか?』
「ええ!? そうなの!?」
『可能性としての話です。ですがそれは決して見過ごせるものではございません。それを見込んだ上での回答ですか?』
「それは…」
悠は返答に逡巡する。
もし自身に危険が及ぶならば、助けない方が得策である。悠の最終目的はラケシスを見つけて元の世界に戻してもらうことだ。あえて危険な橋を渡る必要はない。もしイオも悠がそんな冷徹な選択をとったとしても責めはしないだろう。
(だけど…だけど。それじゃあまたいつものおれじゃないか…)
言われたままに安定の道をとって。敷かれたレールの上を歩いてきた自分。それが今やどうだ。やりたいこともなければ、誇れるものもない。世間で胸を張って生きることすらできておらず、俯いてばかりだ。それがなにものにも“無関心”に生きてきた俺の末路だ。全てが全て…言われた通りに行動するのはなにも間違ったことじゃないし、悪いわけではないけど…。今や信じたものも大切な人もいなくなってしまって――――残ったのはただ…どうにかその日を生きていくだけの“脱け殻”だった。
(悪いのは一歩を踏み出せない俺だ。失敗はしたくない、危険なことはしたくないと、自信のないものは悉く避けてきた。それが俺の人生だった)
なら、今もそうなのか。自身の危険を避けるため目の前で苦しんでいる女の子を見捨てるのか。
「ふぅ~…」
悠は溜め込んだ息を吐き出す。嫌な考えも、気分も、全て吐き出した。
この世界を生き抜くために冷徹に切り捨てる。本当にそれができたら苦労はしない。自分の性格は自分自身が一番理解している。必ず後から後悔がついて回るはずだ。後悔ばかりの日々はもうやめだ。なら、やるべきことは一つ。
「おれはこの娘をたすけたい。イオ。やり方があるならおしえてほしい」
『承知いたしました』
そういうとまたもや視界がホワイトアウトする───
気がついた時には天高くそびえ立った本棚とどこまでも敷き詰められた本。
目の前には以前に見た姿と変わらず、優しい笑みをたたえた彼女が立っていた。
「いきなりされるとホントびっくりするだけど…」
「ふふっ…。驚く表情も可愛らしいですよ」
「うれしくない。って、なでるな!!」
子供をあやすかのようによしよしと撫でてくる手を払いのけ、悠は噛みつくように言う。
「で! なんでここによんだのっ!」
「そうですね。理由はおもに二つあります。一つ目は…これです」
そういって彼女は懐から一冊の本を取り出す。
「まって。いまどこからだしたの」
「それは秘密でございます」
「…。それでこの本がどうしたの? タイトルすらないけど…」
それは茜色の分厚い本だった。表にも裏にも背表紙にもなにも書かれておらず、なんの本なのか分からない。
「それは“魔道書”の一部です。
“魔獣体”とは魔物や獣魔、それに魔女という人間に対する脅威をなくすために人為的に作られた者たちの総称らしい。彼らはある時は脅威に対抗するための矛となり、そしてある時は人間を守る盾となり、そして用途がなくなれば捨てられる。使い勝手のよい駒であった。そもそも人として生きることを想定して作られてなく、駒として死ぬか、物として廃棄されるかのその二択。それが彼ら“魔獣体”の運命らしい。
「ひどい…ひどすぎるよ。そんなの…っ」
「それがこの世界の現実です。わたくしも長らく封印されていたので、現在の彼らを知っているわけではありません。ですが、今苦しんでいる彼女はそういう類いのものです」
少し間があく。どうにか吹き出しそうになる感情を押しとどめ、悠は続きを促す。
「それで。どうやったらたすけられるの?」
「簡潔に言いますと今お渡しした“魔道書”の力を使います。この力で彼女を構成している術式をねじ曲げ、この世の生物として定着させます」
「じゅ、じゅつしきをねじまげる…??」
「はい、その通りです。ただこれには多大な
「あるかな…ね…」
少し悩むように口に手を当てる悠。
いまいち“創造力”についてぴんと来ていない悠だったが、ここで立ち止まることはできなかった。
(どうせ魔法を使うには危険と隣り合わせなんだ。なら、いつやったって同じ。やらなきゃいけない時に尻込みなんてしてられない――――)
「わかった。やってみる。それで二つめは??」
「二つ目はもう達成されております。お気になさらず」
「はい??」
「ふふっ。…では、あちらに意識を返還いたします。魔法の補助はわたくしにお任せください。わたくしはその為の
そういっていつも通りに微笑む彼女を見た悠は彼女の表情に少し引っ掛かりを覚えた。なぜかは分からない。だけど、それはなにかを押し殺しているような。我慢しているような。そんな気がしたのだ。
(もしかして二つ目って…直に会いたかっただけ…?)
つい先ほど語られた“魔獣体”の話は彼女をどういう思いにさせたのだろうか。今思うと“魔獣体”の彼らと“イオ”という人格との境遇が少し被っているのではないかと思う。
自分自身を“魔道書”の人格と言い張るイオ。実際この世界ではその通りなのだろうと悠は思う。だけど、彼女と数日過ごした今の自分自身はそうは思っていなかった。だから───
「ありがとうイオ。えっと…その…───おれはあなたをともだちだとおもってるよ」
どう表現したらいいか分からないどうしようもない気持ち。悠は咄嗟にそれに突き動かされてしまった。
後悔は先に立たず。それに珍しく目を丸くした彼女を見て柄でもないことを言ったと今更ながらに後悔した悠はさっと視線を逸らした。
「あらあら…。いきなりどうされました?」
「べ、べべべつに…っ。なんでもないっ。早くもどして!」
急に気恥ずかしくなった悠は慌てて帰還を促す。それを見て嬉しそうに微笑むイオ。
「ふふ…優しいのですね。貴女様は」
「べつにっ…やさしくないよ。ゆうじゅうふだんなだけ」
「そうですか。なら、少しだけ…お願いを聞いていただけますか? わたくしの“ともだち”として」
「は…はぁ? おねがい?? …いいけど。おれができるはんいにしてね」
「はい。では───」
その後、彼女がとった行動は悠にとって想定外のことだった。
ふわ…と、紅茶のようなよい香りが鼻腔をくすぐる。そのすぐ後ふわふわした感触に全身が包まれた。
「え…?」
頭がフリーズし、一瞬なにが起こっているのか分からなかった。気持ちのよい感覚が身体中に巡りそれで初めて理解する。自分は彼女に抱き締められているのだと。体格差がかなりあるので彼女の胸に埋もれている方が正しい気もするが…。それは確かに暖かい優しい包容だった。
イオはその小さな魔女を優しく胸に抱き締め、なにかを噛み締めるようにじっくりとそのままの状態を維持する。そして、自分の胸に埋もれ戸惑う彼女を見て笑った。
「その戸惑う表情も恥じらう表情も可愛らしいですね。ふふっ…」
「うるさい…っ。いつまでやってるわけ。もういいでしょっ」
「はい、十分です。ありがとうございました」
悠にはその言葉はいつもよりも明るく聞こえた。
「では、我が愛しの魔女様へ。御武運を――――」
その言葉と共に悠の視界はホワイトアウトした。
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