第8話






 葉の擦れる音が鳴り、小鳥たちが囀ずり、溢れ日が地面を照らす。


 そよそよと風が通りすぎ、少し冷たい空気を残していく。



 そんな自然が支配する森の中───



 イオに連れられ辿り着いた場所にはあきらかなる“異物”が混在していた。


 木々が散乱し、衝撃によって崩れ去った何か。恐らく崖上から転落してきたのだろう。木で作られた小屋のようなものがあった。


『これは恐らく荷馬車でしょう』


「え、馬車? それが上からおちてきたってこと?」


『状況から見てそれが一番確率が高いでしょうね』


「ふ~ん…。昨日のあらしで道をふみはずしたってことかな…。かなり視界わるかったし」


 不運なことだ。どこにだって事故はつきものかとそう思ったところで…。


『それはどうでしょう』


 と、気になる一言が返ってきた。それに悠は首を傾げる。


「なにかきになることでも??」


『はい。こちらを見てもらえますか?』


 ひらひらと舞うように飛ぶイオを追いかけ、それの裏側に回り込むようにして移動する。


 そこには無惨にも破壊された馬車の痛々しい惨状が見て取れた。


『ここに魔力マナの痕跡があります』


「え?? マナのこんせき??」


『要は魔力の残り香のことです。魔法を行使するとどこかに必ず痕跡が残ります。それは時間を置くと自然と消えてしまうものですが…。魔法の威力や質量によって痕跡は大きく変化します。それによって扱われた魔法がどれだけの規模を持っていたか、どれだけの時間がたっているかが分かるのです。大まかに…ですが。───見たところこれは…かなりの威力で放たれた魔法のようです。最近、恐らくは昨晩にできた痕跡でしょう』


 イオはそこで言葉を切って馬車に近寄っていく。その辺をひらひらと舞いながら馬車の状態を再度確認しているようだ。

 彼女が言ったことを踏まえるなら、この馬車はその魔法によって崖から転落させられたことになる。


「ということは…この馬車はだれかにねらわれたってこと??」


『恐らくは…。そういうことでしょう』


「え? ということはここにいたらあぶなくない?? まだそいつがいるかも…」


『いえ、人間の魔力反応はありません。この破壊の跡から鑑みるにもう事は収まった後かと』


「そ、そっか…」


 そう言われ内心ほっとする悠。

 ここに来て初めて他の人間が“生きている”という証拠を見つけてしまったためか、妙な緊張感を感じていた。ここまでちっともそういうものとはご無沙汰だったのは良くも悪くも幸運だったのかもしれない。まあ、まさかここまで事件性のあるものだとは思わなかったが…。

 やはりこの世界でもちゃんと人が生きているんだな、などとどこか他人事のように思う彼女であった。


 手持ち無沙汰となった悠はとりあえずこの馬車の周りをぐるっと回ってみる。それは見れば見るほど崖上から落ちてきたという壮絶さが分かるほど馬車は崩れて壊れていた。まだかろうじて形が残っていることが奇跡であるようにも思える。

 崖から落ちてきたというならその場所を確認してみたい気はするが、それはかなり難しい。この地点から崖上まで登るのは途方もない程の労力が必要になってくるだろう。見上げてゴールが見えないところで自分には無理だなと悠はそうそうに諦めた。



「ふむふむ…っと───わわっ?」



 見回っているとふとなにかに蹴躓いて転けそうになる。


「なんだよもう…って───うへ?????」


 それを見て目が点になる彼女。背筋が凍り、だんだんと可愛い顔が蒼白となる。そこにあったのは───人のだった。



「うぎゃぁぁぁぁ──────ぁぁっ!!!!」



 盛大な悲鳴が森を響かせる。それに気づいて慌ててイオが駆けつける。


『どうされましたか!?』


「ひ、人が死んでるっ!」


『ああ、なるほど。――――この馬車の者かもしれませんね。状態を確認いたします』


 悠が腰を抜かしている傍ら、彼女はえらく冷静に分析を開始する。その者の周りをひらひらと舞い、淡々と状況を整理しているようだ。その様子はまるでこの状況に慣れているかのよう。


『やはりそのようですね。この方にも僅かですが魔力の痕跡を感じます。死因は昨晩の“魔法”と見てよいかと』


「あの…さ。もしかしてイオって…なれてる?」


『? なんのことでしょう?』


「いや…その。人の死体みるのなれてるのかなっておもって。ふつうおどろいたりこわがったりしない?」


 そういうと黙ってしまうイオ。彼女にも思うことがあったのだろうか。少し間があき、彼女は口を再び開く。


『生物たるものいつかその命運は尽きるものです。それが遅いか早いかの話。そこに恐怖や驚きには繋がらないと思いますが…』


「いや、それはそのとおりだけど…。うーん…」


 なんだか話が噛み合わない。イオが言ったことは確かに悠も最もだと思う。それをはっきりと否定することはできなかった。だけど、腑に落ちないのも確かだ。すごくもやもやする。


『確かにわたくしは長らく封印されていましたので、人の亡骸を見慣れている訳ではありません』


「なら、こわくないの? なんだかやけにれいせいに対処するなとおもって」


『恐怖は特に感じません。わたくしにとって所有者たる魔女様以上に大切なものはございませんので。もし今回のように人が亡くなっていても、魂が去った亡骸はもうそこの馬車と何らかわりありません。ここにはいない第三者であっても馬車を恐怖の対象には誰もしないはずです』


 その言葉は、彼女は人ではないということを改めて感じさせられるものだった。“魔女”というワードにはいくらか愛情と呼ばれるものが感じられたものの、それ以外にはまったく関心がないように感じられる。


 (これは慣れているとかでなく、他人には関心がなかっただけか。確かにイオは人とはまた違った存在なんだろうけど…)


 価値観の違い。もやもやの原因は恐らくそれであろう。所有者には温厚で優しく頼れる存在であっても、赤の他人には厳しく冷たい。それが“司書イオ”という存在なのだろう。


 もし仮に…これが逆の立場だったらならどうなっていただろう。


 (おれが死んで、彼が生きてて。───おれが“魔女”ではなかったら――――)


 イオはここにはいなかっただろう。当然だ。その場合悠は助けるべき“魔女”ではなく、“赤の他人”になるのだから。自分は今、“魔女”だからここにいるのだ。


 ちらっと倒れている仏さんを見やる。


 (…なにがあったか知らんし、こいつがどんな人間なのかもおれだって知らん。だけど、こんなぼろぼろで知らない土地で…人知れず果てていくなんて。とても孤独で…悲しいじゃないか…)


 イオにはイオの考え方があるのだろう。それを否定する気はない。


 そもそも運命というのは残酷である。もし少しでも立場が違えばまた異なる運命が待っている。自分がここで彼の亡骸を見ているのは、少しでも踏み外せば切れてしまいそうな細い細い糸が、たまたまここに繋がっただけ。…本当にそれだけの話だ。


 自分の心中にあるのは同情かそれとも哀れみかなのか。もはやめちゃくちゃになった情緒は自分自身では理解できない。

 これからここで生きていくとしても、こんなことで悩んでいてはなかなか成長できないのかもしれない。この世界では人が死んでしまう“脅威”なんてそれこそ吐いてたくさんあるのだろうから。


「…イオきいていい??」


『はい。なんでしょう』


「この人どうすればいいとおもう…?」


『そうでございますね…。魂が去ったものを蘇らすことはできませんし、ここに捨て置くのが一番よいかと。肉食の魔物も生息しておりますし、そう長くないうちに自然に処理されることでしょう』


「そう…」


 悠は口を閉じる。

 これはただ自分がしたいだけ。甘いのかもしれないし。これからそんなことをいちいちしていくこともできないとは思う。これから生きて経験して、人の死に対してなんとも思わない日が来るかもしれない。だけど、それまでは――――



「この人を…ほうむってあげてもいいかな」





   ・・・・・・






 イオは悠がすることについて何も言わなかった。


 彼女に聞いたところここで亡くなっているのはこの人だけのようだった。因みに死んでいる馬も発見したが、さすがに重すぎてどうにもならなかった。申し訳ないと手を合わせ、その男性だけを葬ることにする。


 魔法の爆発で穴を掘り、そこに人を埋める。こんな精神的にも物理的にも重い重労働なかなかすることがないぞ…と思いながらもどうにかそれを終えることができた。


 埋葬が終わる頃にはかなり時間がたってしまい、もう日が沈み始めたころだった。森の中の日の入りは早い。あっという間に暗くなってしまう。今日の散策はここいらで打ちきりだった。


「おまたせイオ。またせちゃってごめんね?」


『いえ。わたくしは気にしておりませんよ。ここの調査はあらかた終わりましたので。ですが、少し時間を使ってしまいましたね。日没が近くなっておりますので、今日の散策はこれぐらいにしておきましょう』


「そうだね…。まあまた日をあらためて来よう」


 あまり実身のなかった散策だったが、常に順調にいくとは限らない。まあ、今回は想定外のことが起きたので、仕方がなかったと思うことにする。こういう日もあるさとポジティブに考え、明日はどういう予定にしようかと相談しながら彼女たちは帰路につく。


「あしたはどうしよう?」


『今日の続きでよいのではないでしょうか』


「そうだね。まだ山菜もとれてないし…」


 そんなたわいのない話をしながら歩を進める二人。そんな中、悠の足になにかが当たった。



「おっと? …なにこれ??」



 日が陰り、少し見辛くなった地面。雑草も生えていたため、なにかが落ちていることに気がつかなかったようだ。


『どうされましたか?』


「いや…。なにか足にあたって…。なんだろこれ。まあまあおおきいな…。くろいスーツケース???」


 それはツルツルとした質感で漆塗りのような黒いスーツケースぽいものだった。この世界にもスーツケースがあるのかは分からないが。


『これは…あの荷馬車から飛んできたものかもしれませんね』


「え? あれから?」


『はい。それに…これは───が施されています』


 イオの声に真剣みが帯びる。


「ことばから想像するに…隠ぺいされているってこと??」


『はい、その通りです。ですので、この中にあるものはわたくしにも分かりません』



 それを聞いた悠は腕を組んで黙考する。


 これをほっておくか否か。開けるか否か。



「あけてみよう」


『どうしてそうなったのですか』


「いやだって…。こんなところにえたいのしれないものを置いとくのもどうかとおもうし…。ほうちしておくのもきけんでしょ??」


『それもそうですが…』


「ならイオは反対? それともなにかべつのアイデアある??」


『…そうですね。一応、透視する魔法はありますが…今のユウが扱えるかは少し分かりませんね』


「え? 透視まほうってあるの!」


『はい。ってなにを想像しているかは分かりませんが。そこまで便利なものではございませんよ。かなりの制限もかかりますし、なによりこれは上級者向けです』


「ちなみにしっぱいしたら??」


『目が爆発します』


「ひぃいっ…」


 答えを聞いて背筋が凍った。目が爆発するとかどういう状況だよっと悠としては突っ込みたかったが、つい最近もその“爆発”を見てきたばかりで生々しいイメージが脳裏に容易に浮かぶ。


 (こ、これはもっと後に習得するやつだな。うん)


 と、未来の自分に任せることにした。



「それじゃ…───あけるよ??」



 イオが『はい』と頷くのを聞いてから、悠はそのケースに手を伸ばす。金具はすでに使い物にならないぐらいに変形していた。触るとぼろっと取れてしまったほどだ。


 悠はごくっと唾を飲み干すと…一気に蓋を持ち上げる。




「え…??」



『これは…』




 と、戸惑う二人。それもその筈。そこに入っていたのはなんと…────人間。しかも“女の子”であった。




「う…。ふみゅ…」



「生きてるっ!!??」



 一瞬、また亡骸が入っているのかと思った。が、それは違った。

 スーツケースの中で丸くなっている黒髪の女の子。それは明らかに寝息をたてていて、よくできた人形という線も否定せざるを得なかった。そして何より、彼女は光に照らされて目を開けたのだ。

 黄金…金色の瞳だった。その虚ろな瞳に驚いた表情のの姿が映っている。


 一見、ただの女の子かと思ったが、普通の人とは違う異質な部分がかなりあることに気づく。


 ───それは、耳。普通の耳より長く尖った形をしている。


 ───それは、腕と脚。黒い硬い甲羅のようなものに覆われ、鋭い爪が並んでいる。


 ───それは、尻尾。しなやかなツルのようにゆらゆらと動く漆黒の尾。その先端には刃のような形状になり触れればたちまち切られてしまいそうなほど鋭い。


 というか、そもそも裸同然の格好だった。貴重なところが甲羅で覆われていなかったらヤバかったところだ。おもに悠が。


 首をもたげて眠たそうにこちらを見上げるそんな異形の女の子。その仕草だけみると年相応な可愛らしい女の子ではある。

 ようやく焦点があってきたのか彼女はしっかりと悠を見やる。黄金の瞳と赤き瞳がぶつかり合った。


「あ…えっと。き、きみは…??」


 どうにか言葉を絞り出した。よく分からない予想外な状況に頭が追い付いていないが…どうにか悠は口を動かす。



「ま……?」



「ん? ま…?」




 覚束ない言葉で彼女は言う。聞き取れず、悠は聞き返す。が、聞かなきゃ良かったと後悔するはめになる。


「まま??」


「は?」


「ママっ!!!!」


「はぁっ!?!?」


 そういって彼女は飛び付いてくる。固まっていた悠は成す術なくそれに捕まった。


 (え…? なに? この状況はなに??)


 状況についていけない悠は助けを求めてイオの方を見やる。が───


『意味が分かりません』


「ですよねー」


 二人仲良く首を傾げた。



 


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