第7話





 ───雨が降っている。




 バケツを引っくり返したようなと枕詞が付きそうな土砂降りの大雨。



 視界が阻まれ、暗く陰鬱。湿気があたりに立ち込め気温も下がる。

 木々が生い茂り、日光が当たりにくかった街道がある。今は大雨のせいで一層暗さが増していた。


 それは街道といってもしっかりと整備されている訳でもなく、凸凹で馬車が一台通れるほどの道だ。



 そこを速度を上げながら走る一台の馬車があった。



「なんでこんなことになっちまったんだ!畜生めっっ!!」



 行者台で手綱を握る男は舌打ちをし、目の前の馬をはやる気持ちで叩く。その仕草には抑えることのできない苛立ちが見てとれた。



「ただの簡単な御使いだと思ったのに…。騙しやがったなクソったれ!!!」



 彼が暴言を吐くのと同時に雷鳴が響いた。



「こんな危ないことなら…端から受けなかったのにっ。くそくそっ。あの情報屋めっ!!」



 口から出てくる言葉は愚痴か暴言か後悔の3つしかなかった。

 その急いで馬を走らせる姿は何かに追いたてられているように見え、幾度も後方を確認しているようだ。




  ────ズンッ




 と、身体の芯を震わすような鈍音が響く。その一瞬で周りの雰囲気が一気に変わってしまった。

 それはまるで周りの空気が全て重りになってしまったかのよう。



「ひっ…!」



 男は悲鳴を上げる。顔は恐怖にひきつっていた。彼はもうその時、自身の死期を悟っていたのかもしれない。その…次の刹那───





 迸る“閃光”が走った。




 道のど真ん中、馬車はそれを避ける術を持たない。



 後方に直撃。爆発。



 馬の嘶きと男の断末魔すらそれは掻き消して、馬車もろとも全てを吹き飛ばす。


 その儚くも残骸となった馬車は通りすぎようとしていた崖へ、まるで吸い込まれるようにして落ちていく。




 後に残ったのは飛び散った残骸と爆発の跡。その痕跡はその“魔法”がどれだけ桁外れな威力かを十全に語っていた。



 ――――それをなんの感情も抱かずに見ている一つの影。それは一言も声をはっさず、踵を返す。


 後に残ったのは雨粒の叩き付ける音と稲光の轟音。


 天から注ぐその音はその出来事をなかったかのように洗い流していく。


 またこの寂れた街道にもとの静けさが戻った。







   ◆◆◆







 ――――晴れやかな陽気。


 雨が上がった後の空は透き通るように美しく、空気がいつもより澄んでいるように感じる。

 まだ地面には水溜り、葉には水滴が残るものの、それは光を反射して、キラキラと幻想的な情景に一役買っている。


 昨晩の雨が嘘のようだ。爽やかな青空が広がり、暖かな朝日が一日の始まりを告げる。小鳥の囀りが聞こえ、動物たちの朝が始まった。そして────




「ぎゃあぁぁぁぁあ――――――――――――っっっ!!!」




 そんな気持ちの良い朝に雰囲気ぶち壊しな悲鳴が木霊した。



「むしがいるぅ――――っっ!! しかも足がおおいやつ!!!! いやぁ――――っっ!!!!」



 その正体は森の中でひっそりと暮らす小さな少女。“赤眼の魔女”サイサリス・ユウである。


 雄大な自然に囲まれ、水辺の近辺に建っている“魔女の家”。普通に虫ぐらい入ってくるだろう。

 見た目が悪い虫は普通に怖いし、それがもし益虫であってもやはり慣れないものだ。


 悠は朝からドタバタと窓からイントゥザフライ!してきた虫と元気良く格闘していた。


『朝から賑やかですね』


「あ!イオぉ~っ。たすけてっ!!!」


『わたくしに言われましても…』


 さすがのイオもこれには困ってしまった様子。


 それから数十分ドタバタとした末にやっとこさ窓からそれを投げ捨てることに成功し、ようやくその戦いに幕が下りたのだった。





 ・・・・・





「“こういまほう”ってそんなにむずかしいの??」



 朝のドタバタが一段落ついたあと、悠はその小さな口で魚をほおばりながら言った。


『基本的には一般の魔法とそう変わりありません。ただ違うのは創造力アルカナがあるかどうかです』


「???」


『そうですね。噛み砕いてご説明しますと、貴女様が使う“炎の魔法”。それは現実でも起こり得る現象の一つなのです。熱源があれば物質が炎上し、“炎”となります。───ですが、高位魔法は違います。その内の一つ“時の魔法”を例に上げると。“時”を想像しようとしてもなかなかイメージは湧いてこないですよね。これは人には創造しえないものだからです。体感では分かっていても実際には頭では理解できないもの。それを“高位魔法”と呼びます』


 現実では起こり得ないもの。見たり、聞いたり、触れたりできないもの。それを扱うのが“高位魔法”であるらしい。聞けば聞くほど難しそうではある。しかし───


「うん? それってもし想像さえできるならどんなまほうでも…つかえるってこと?」


 ふと思ったことを口にする。確かにこのルールなら想像できるものならどんな魔法でも扱えることになる。時間の概念とか悠の頭で理解できるとは思えないものの、かなり汎用性が高いように思えた。


 悠の意見に少し考える素振りを見せるイオ。彼女ならすぐに返答が返ってくるものと思っていた悠は不思議そうに首をかしげる。


『そう…ですね。ですが、人の創造力には限界があるはず…。そこまで可能かと言われると…少し返答できかねます…』


 なんだかいつもと違う反応が返ってきた。悠は目を丸くする。


「イオでもわからないことがあるの?」


『う…。そうですね。わたくしは“魔道書ワールドワイズ”の司書。確かに内に秘められた魔法を管理してはいますが…神ではありません。不確定要素が関わってくるものは容易く断定はできないでしょう』


「ふかくていようそ…ね」


 人の“創造力”は“不確定要素”ということだろうか。いや想像力の方か。


 何はともあれ、その“高位魔法”とやらを習得しなければ、浴室の修理ができない。今の目標はそれだ。前にイオに聞いたところ“時の魔法”を使って修復すると言っていた。ならば、それを四の五の言わずに修行せねばちゃんとした風呂にすら入れない。


 (この身体…髪が長い分暑いんだよね…。これ以上暑くなるとバッサリ切るのも視野に入れとかないといけない。もう異性の身体だからと四の五の言ってられないんだよな…)


 はぁ…と大きな溜め息が出る。まだまだこの身体に慣れるのはほど遠いようだ。




 家から出て、爽やかな風に吹かれ、そんな長い髪が風に靡く。




 今日の予定は魔法の特訓をしてから、山菜を取りに行こうかと考えている。余裕があれば魚も取っておきたい。


 悠としては魔物が蔓延る森に無闇やたらに入りたくはなかったが、食料というの問題もあるので避けては通れない道だった。とりあえず、イオも警戒してくれるということなのでその重い一歩を踏み出すことになったのだ。


 魔法の特訓と言ってもさほど難しいものではない。“魔力マナ”の流れが理解できていれば、自ずと魔法は上達していく。

 ただ“高位魔法”は別だ。これにはそれなりの経験も必要となり、いかに“魔女”といえど習得するにはそれなりの日数がかかるだろう。


 とりあえず、今の彼女がやるべきことは隙なく“魔法”を発動させること。魔力に慣れ、自在に操れて初めて“魔女”という一歩を踏み出せることだろう。



『───今日はこれくらいにしておきましょう』



 と、魔法の特訓に集中していた悠をイオが止める。



「あれ…いつもより早くない?」


『はい。これから森へ行かれるということなので、ここで体力を使いすぎるのはよくありません。今日はここで切り上げましょう』


 少し用心深すぎるのでは…とも思った悠だったが、森の中では何が起こるか分からない。あの化物モンスターを思い出して、用心に越したことはないかと思い直し納得する。


『では、先に山菜を取りに行くことでよろしいでしょうか。それともどこかに拠点を作りますか? 魚を持って山菜取りは流石に非効率的でしょう』


「そうだね…。ならさきに上流の方へいっていいかな。川のようすもみておきたいし、このさきがどうなっているのかも気になる。それにこれなら道にまよわないはず」


 道に迷わないというのはとても重要だ。鬱蒼と茂った森の中はどちらを向いても同じ景色に映ってしまいどうしても道が分からなくなる。帰ってこれなくなっては本末転倒だ。

 それに昨晩の雨の影響も見ておきたかった。幸いにもここいら一帯では何もなかったが、他はどうなっているか分からない。あとあと何かしら影響が出てきても困るので先手を打って様子を確認したかったのだ。


『承知いたしました。では、川を辿って散策するということでよろしいですね』


 こうして二人は森の中へと一歩を踏み出した。



 ――――そこで何が待ち構えているかも知らずに。




 ・・・・・・




「うひゃ~。すごいぜっけい…」




 川を遡ること20分ほど。そこにあったのは盛大に水流が降ってくる巨大な“滝”だった。


 周りに立ち込めるマイナスイオン。飛沫が霧になり、それが温度を下げているようで肌に触れる空気はかなり涼しい。

 悠たちは滝壺より少し離れた場所にいたが、それでもかなりの迫力で、自然が作り出した力を改めて感じさせる程だった。


「こんなところに滝があるなんて…。イオはしってた?」


『いえ。残念ながらわたくしもこの当たりの地理は詳しくないので…』


 とりあえず、見たところ異常はなさそうなので悠は手頃な場所へと移動し、背負っていた釣り道具一式を下ろす。


「このへんできゅーけいしよう」


『承知いたしました。では、わたくしはこの辺りを見回っておきましょう』


「あれ? そういえばイオってさ。おれ…というか“ワールドワイズ”からはなれられるの??」


『? それはどういう意味でしょう?』


「いや…ふかいいみはないんだけど。さっきみまわってくるっていってたから――――」


 そう言ったところでイオは申し訳なさげに呟く。


『わたくしとしたことが…すっかり失念しておりました。説明がまだでしたね。申し訳ございません…』


「え、いや。そんなにきにしなくてもいいけど…」


 イオは畏まって謝罪してくる。

 悠としてはふと気になったことを聞いただけに過ぎないのだが…。どうしたものかと彼女はその可愛い顔に困った表情を浮かべた。

 イオはたまにだがこのようにやけに重く受け取り、畏まってしまうことがある。それは悠自身のことを所有者=マスターとでも思っているからなのだろうが。悠としてはこれをどうにかしたいと考えていた。

 なぜ、と問われれば。ただ単純に居心地が悪いだけだ。と答えるだけだろう。内向的な性格で上に立つことを避けてきた悠。どうてもやらなければならない時はやるが、それ以外は基本的に友達のように接していたい。それが悠という存在だった。まあ、良い考えは今のところ思い浮かばないわけだが。


『一定の距離までならこの“分体”を使えば離れることは可能です。ですが、それ以上になると魔力が届かず、消滅してしまいます』


「えっと…。“ぶんたい”っていうのは…そのちょうちょのことだよね?」


『はい、その通りです。一定の距離と言いましたがしっかりと定まっている訳ではございません。“所有者”様の体調や“魔力”の乗りやすさ、環境の変化で変わってきますので。その辺りは臨機応変に、ということです』


「なるほど…」


 とりあえずは、ある程度の範囲は警戒できるということらしい。


「わかった。なら、見回りをおねがい」


『承知いたしました。では、少し失礼します』


 そうして森の中へひらひらと消えていくイオを見送り、悠は川辺の岩に腰を下ろす。


 ぱっと見た限りここにもちゃんと魚が棲息しているらしかった。狙うのは手頃なサイズの小魚だけだが。それでも食べるのに困らないほどの量は取れる。ありがたいことこの上なかった。大自然万歳である。


 (それも見越してこの辺りにおれを呼んだんだろうな。サバイバルなんておれはしたことないし、知識なんてTVのバラエティー番組で少しみたぐらいだ。用意されてなかったらすぐにのたれ死んでいただろうけど…)


 水面を見ながらそんなことを思う。なんだか複雑な気持ちだった。あのラケシスがいなければ、悠がこの世界で苦労することもなかったし、危険なめに合わなくてもよかった。しかしながら、やつの用意周到さがなければ軽く一度は死んでいたであろう。誰のせいでこうなったんだと問われれば、あのクソ女神のせいだ答えると思うが…。


 (ほんと…なんでおれなんだろうな…)


 そこが一番の謎であった。

 水面の中から見返してくる彼女はどこか憂いを秘めていて少し寂しそうに見えた。



『───ユウ。少しよろしいでしょうか』



「うひゃんっ!?」



 突然声を掛けられ驚く悠。普通に油断していた。この身体になってから妙に可愛らしい声を出してしまうことが多いな…と密かに自己嫌悪に陥っていたりする彼女。それはどうしても身体に精神が引っ張られるからだが…今の悠にはどうしようもないことである。まあ、それはさておき。


「あ、あれ?イオ? はやかったね??」


『申し訳ございません。驚かしてしまいましたか』


「べつにおどろいてないしっ!! で…どうしたの??」


 想定より相当早かったイオに分かりやすい強がりをみせたところで、何かあったのかと思い当たる。そして、問われたイオは少し声を潜めて───




『少し…確認してもらいたいものがございます』




 と、そう言った。




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