第6話




 小鳥の囀ずりが聞こえ、窓から朝日が覗き込む。開けた窓の隙間から爽やかな風が滑り込み、薄暗い室内を駆け抜けた。


 ここは湿っぽい倉庫の中。

 不思議とカビ臭さも埃っぽくもないことに驚きだが、かなり湿気が溜まっているようだった。このまま放置していれば、すぐにでもカビが発生しそうだ。その前には手を打たなければなるまい。

 そんなじっとりと汗が滲む倉庫の中。湿気でやられたらしい長い髪がピョンピョンと跳ねたり、滲む汗で額に張りついたりと、とてもとても鬱陶しそうに払いのける彼女。早くここから撤退したいと思いながらも、求めているを見つけるまでどうにか我慢だと自身に鞭を打つ。

 最近はよい天気が続き、天候にめぐまれていたが、そろそろ雨が来ても可笑しくはない。まさかこの世界には雨がないとかそんなことはないと思うので、そうなる前にしたいことが悠にはあった。


 ───それは“釣り”だ。


 雨が降れば折角の小川が増水してしまい近づけなくなる。そうなる前に彼女は魚という“食糧”を手にいれたかった。



 そういえばと話が逸れるが、この“魔女の家”は川の畔に建っている。もしこの辺りに嵐が来て増水でもしたらどうなるのかと、悠はイオに尋ねたことがある。なんだかんだ心配性なところがある悠にはどうしても聞きたいことだったらしい。

 確かにこれだけ川の近くに建っているのだ。整備もされていない自然の川が増水すれば浸水しても可笑しくはないし、不安にもなるだろう。台風なんてくれば流される恐れさえもあった。島国特有の悩みかもしれないが。――――しかし、その心配は杞憂だったらしい。

 この家には魔術的なものがかかっているらしく浸水なんてしない。それどころか竜巻や地震、津波、地滑りなど自然災害が来ても耐え得ることができるらしい。うーん、ぜひ我が国日本にほしい技術だ。あ、魔法か。




『おはようございますユウ。朝からなにをお探しなのでしょう?』




「ん~? あ、イオ。おはよう」




 がさごそと倉庫を漁っていると赤い蝶々が現れる。朝からこんなところでなにを漁っているのかと不思議に思ったのか彼女が悠に尋ねた。


「つりどうぐをさがしてる」


『釣り道具ですか?』


「うんそう。ナスリンゴあきたから魚でもつれたらいいなとおもって」


『なるほど』


 そうこの家唯一の食糧たる“ナスリンゴ”。ナスと文頭につくので野菜ぽい味なのかと思っていたが、どちらかと言えばリンゴの方が近かった。瑞々しくて甘く普通に美味しい果物だったのだが。


 (流石に三日三晩続くと飽きるなぁ…。ていうか、ホントは肉を食いたいんだけど…)


 生きた小動物もしくは獣を狩る。初めはそれを考えた。しかし、流石にそれは今の自分では難易度が高いのではないかと諦めたのだ。森の中では思うように動けないし、また前のような化物モンスターに遭遇したらと思うと気が進まない。そもそもいい感じの獲物を捕れたとしても、捌く腕も知識もない。皮を剥いだり血を抜いたり、内臓を…など考えると、うーん無理。となった。そして、代案として思い付いたのが魚である。大物だと解体ができないので、とりあえずは焼けば食べれそうな小魚が狙いだ。


 悠をこの地に連れてきたラケシス。彼女がやりたかったことは数日経った今でも全くもって理解できていない。しかし、“頑張って生きてほしい”という思惑はビンビンに伝わってきていた。なぜなら、いろいろなものが倉庫に眠っていたからだ。とりあえず、使えるものを一通り突っ込んでおけといった感じでごった返すここは生活に行き詰った時にはかなり優良ではないかと思う。


 (魔法を覚えろとか言っておいて武器まで揃っているもんなここ。あれだけ勝手なことをやっておいて…心配性かあいつは)


 なにを思ったのか知らないが剣や槍、弓矢など一通りの武器が揃っているのはなかなかに見ごたえがあった。この細い腕でどうやって使えと言うのか分からないが…どうしても“魔法”が使えなかった時にでもと考えたのだろうか。あとは何かしらの工具や小物系。実験道具のようなものまである。───その中で食器や調理器具があったのは悠としてはかなり嬉しかった。本当に用意周到なやつである。


「そういや、イオ。たのみたいことがあるんだけど…」


『はい、もちろん承りますよ。なんなりとお申し付けください』


「うぇ?そ、そう? えっと…。それなら…ま、まほうをおしえてほしいんだけど…」


 要望を言う前から簡単に快諾するイオに若干逡巡するが、“それ”がなくては何も進展しない。

 そう“魔法”である。“魔女”たるもの魔法が扱えなければただの可愛らしいだけの女の子。まだこの世界に来て魔法と言えるものはあの“大爆発”ぐらいしかしたことがない彼女。『分からないことがあれば彼女イオに聞いて』とラケシスも言っていた。独学ではまた“爆発”という危険性がある以上、彼女に頼むしか道はなかった。というかあれを魔法と言えるのかは謎だ。


『なるほど。ようやくわたくしに尋ねてくださいましたね。もしや───のことを引きずっておられるのでしょうか』


「うぐっ」


 図星を刺され、びくっと震える小さな肩。


「いやっ…その。あれは…───って、みてたのっ!??」

 

『はい。あたふたするユウは見ていてとても可愛らしかったですよ』


「ぎゃ~~~ぁっっっ!!!!!!」


 と、奇声を上げる悠。なんの話をしているかというと───


 それは昨晩のこと。


 この土地は温暖で住み心地がよい場所である。しかしながら、昼間に天気がよいと気温が上昇し、それに比例するかのように川から上がってくる水蒸気もあって湿度も否応なく上がってしまう。そうすると日が落ちても気温が下がらず寝苦しくなってしまうのだ。

 それは昨晩がそうだった。長い髪がべったりと肌にひっつき、寝汗がシーツを湿らせる。気持ち悪さで目が覚めた彼女が身体を流したいと思うのは自明の理だった。そうして思い出したのが、“浴室”の存在である。


 この世界に来てからというもの…というかまだ3日しかたってないが。身体を洗うことをしてなかった悠。まったくしていなかったという訳ではなく、とりあえず身体を拭いていただけだった。それは異性になって気恥ずかしさがあったのは言うまでもないが…その理由の半分は使い方が分からなかったというのもあった。


 浴室にあるのは陶器できた浴槽とホースっぽい何か。恐らくそれがシャワーなのだろうが…如何せん使い方が分からない。

 壁から伸びていることは分かるが蛇口というものがないし、捻る場所もない。そこで悠は気が付く───これは“魔力”を流すのでないかと。


 そうと決まれば話は早い。彼女は早速それを試すことにした。“魔力”なら恐らく“焔”を出せば感じられるはず。まずそれを発動してそれから───


 さてさて、その時の悠はすっかり忘れていたのである。初めて魔法ぽいことをしたあの時のことを。

 なぜ忘れていたか? バカだから? まあそれは否定しないが、寝起きで頭が回っていなかったというのもあるだろう。もう少し冷静に落ち着いて考えていれば避けれていた筈の悲劇だ。とりあえず、結果だけ言うのならば…――――爆発した。ものの見事に爆散させやがった。これで浴槽はおじゃんである。あ~あ。



「───だって…わすれてたんだもん…」


『別にわたくしは責めていませんよ。教えなかったわたくしにも責任はありますし、それに直せますし』


「だよねなおせないよね…───えっ!? なおせんの!?」


『はい、もちろん。あ、ですがこれは上級者向けですので特訓してからになりますが』


 思ってもみなかった返答に悠は意気消沈した顔を上げる。


「と、とっくんってどのぐらい…」


『さて…それはユウ。貴女様の努力しだいでしょう。ですが、できないことではありません。“魔道書”を目覚めさせる力を既に発揮させていますので、そう心配せずともよろしいですよ』


「そ、そっかぁ~。よかったぁ」


 ほっと胸を撫で下ろす。ここで“あなたには難しいでしょう”とでも言われていたら少なくない精神的ダメージをさらに受けることになっていただろう。既に失敗しているのだ自信なんてものはない。それを考慮した上で彼女はそう言ったのかもしれない。が、それはさておき。


「あっ!そうだ。つりどうぐをさがさなきゃいけないんだったっ」


 と、ようやく当初の目的を思い出す悠。ほっとしたのも束の間、慌ただしくもとの場所へと向き直った。注意散漫。どうにかなると分かったからか。気が向けていた彼女が───何かを踏んづけた。


「ふへっ?」


『あ』


 と、二人の声が重なる。それは不幸にも丸みを帯びたもので…バランスを崩した悠は自身で散らかした場所に倒れてゆく。



「ふぎゃぁぁ───────────っ!!!」



 どんがらがっしゃーーっん!!!



 と、朝からけたたましい騒音を響かせるうるさい小さな魔女様でした。






 ・・・・・・・・・・・






 “魔法”とは“魔力マナ”を操り、“創造力アルカナ”で形にすることである。


 “魔力マナ”とはこの世界に充満している“魔元素エーテル”が体内に蓄積し変質したもののこと。


 “創造力アルカナ”とは人が物事を考え、思考し、連想し、その過程で形作られる想像上のエネルギー。


 “魔女”は“魔力”を生まれながらにして自由に使うことができ、“創造力”によってあらゆる現象に変化させることができる────





「そのいいかただと。一般人はまほうをつかえないってこと?」



『鋭いですね。その通りです。一般人には魔法が扱えません。ですが、賢人の提案により“魔導器トランジスタ”が天神族によって与えられ、魔法に良く似た“魔導”を扱えるようになりました。それによって人類は発展し、最早それはなくてはならないものになっております』



 傍らに赤い蝶々、反対側には木製のバケツ。バケツの中には意外にも水飛沫が飛んでおり、元気な魚が何匹か入っていた。


『意外と上手なのですね。釣りは初めてだとお聞きしましたが』


「うーん…? うまいというかなんというか…。ここの魚がなれてなさすぎてほいほいくいつく。ここすごい穴場だね」


 とりあえず釣り道具と一緒に見つけたルアーで試しているのだが…。前述のとおり釣られるということに慣れてないのか意外と当たりが多く、悠としては少し拍子抜けであった。ボウズだったらどうしようと考えていたので尚更である。しかし、食べれる魚なのかは分からないので後でイオに調べて貰うしかない。


「とりあえず…ばくはつしないようにしたいんだけど…。───そもそもまほうが失敗たらどうなるの?」


『魔法に失敗すると魔力が暴走して“爆発”します』


「あ、やっぱりばくはつするんだ…」


『はい。それが少なからず“魔女”という存在を危険視する要因となっていますね。幼い魔女は力の制御が効きませんので。悲しいことですが産まれたばかりの幼子をその場で殺すこともしばしばあるようです』


「え″…。まじで…? き、ききたくなかった…」


 残酷な事実を聞かされ、顔がひきつる。どれだけ“魔女”という存在がここの人々にとって危険視されているのか再確認させられた。


『では、ここで試してみましょう』


「えっ! ここでやるのっ!?」


『はい。ちょうど鮮度のよい素材もあることですし、もし爆発しても誰にも咎められません』


「いや…まあそうだけど…」


『あ、ちゃんと絞めておいてくださいね』



 ということで、この場でやることになった───


 

『魔法を扱うにはまず魔力に慣れなければなりません。手っ取り早くそれを感じられるのは“赤の魔道書”を起動した時でしょう』


「もしかしてあの“ほむら”がマナ??」


『? 焔ですか?』


「あ、やべ。これおれがかってにつけたなまえだった…」


『よいネーミングセンスですね。それでいきましょう』


「え…それでいいの…。まあ、とりあえず出せばいいんだね」


 こういうのはちゃんと名前がついているのではと思ったが、まあ今は関係ないのだろう。とりあえず、スルーしておいて悠は右目に力を込める。


 “焔”と呼ぶと目尻からたち昇る赤い陽炎が現れる。これが魔力ではないかと予想していたがそれはやはり当たっていたようだ。


『その“焔”は貴女様に宿った“魔道書”から溢れ出ているものです。貴女様の身体に蓄積し変質した魔力はその“焔”と同調して結びついています。要はその“焔”こそ貴女様の、謂わば“赤眼の魔女”の力と言うべきものなのです』


「…ふーむ? ということは、おれがその気になれば“ワールドワイズ”そのものをあつかえるってこと?」


『はい、その通りです。世界を構成する魔法が書かれた“魔道書ワールドワイズ”。それを宿す“魔女”はその気になれば世界を破壊できる存在なのです』


「へ、へー…ま、マジですかぁー…」


 ふと思ったことを口にしただけだったのだが、まさか肯定されるとは思わなかった。“赤眼の魔女”とは悠が想像していたものより数倍…数十倍ヤバい存在だったらしい。

 川の中に映りこむトンガリ帽子をかぶった可愛らしい女の子。それが世界そのものを危険に晒す存在なんて誰が思うだろうか。自分だけど。


 (う、うーん…。ちょっとスケールが大きすぎて想像できないんだが。なんでそんな危ないものを俺に渡すかな。あのクソ女神は)


 不平不満が溜まる一方だが当の本人は行方知れず。あの後実際に家の中で女神の名を呼んだが応答はなかった。スルーして黙りを決め込んでいるのか、はたまたイオの言う通り追放されいなくなってしまったのか。分からないことだらけだ。


 (…とりあえず! 目の前にあることをやっていこう。魔法が使えなきゃ始まらないんだから───)


 と、悠は気合いを入れ直す。


『魔力を自在に操るには“創造力アルカナ”が必要です』


「えーと…あるかなはあるかな?」


『はい?』


「すみません。なんでもないです」


 イオの声はちょっと冷たかった。やめとけばいいのに。


『“創造力”とは所謂いわゆる想像力と言うべきものです。それが確固たる形を持つと魔法は比例して強力になります。要は実際に見たものを頭の中でイメージできれば魔法が使えるのです』


「あれ…。いがいと簡単…? じゅもんとかえいしょうとかいらないの??」


『よく知っておられますね。確かに呪文、それを詠唱することはあります。魔力を言葉に乗せて術式を作り、思う通りの現象を再現する。それは所謂“魔術”と呼ばれているもので、例えば自身の能力よりも高位の魔法を扱う時、もしくは複数の人間と魔法を合わせる時、創造力が足りなく確固たる形状を保てない時。大まかに別けるとこの3つとなります』


「へ、へぇ~…」


 ちょっとよく分からなかった。捲し立てるように説明するイオの言葉に目を回した悠は空返事を返す。それに気がついたらしいイオはこほんっと可愛らしく咳払いをしてから要約してくれる。


『生まれながらに“魔力”が扱える“魔女”は大抵の魔法が扱えます。その上“魔道書”を宿す貴女様はそれ以上のものを扱えるでしょう。ご心配には及びません』


「あ、なるほど」


 ほっと胸を撫で下ろす。今から呪文を全て覚えろとか言われたらどうしようかと思っていたのだ。残念ながら悠は頭が良い方ではない。学生時の成績は常に中の中ぐらいを彷徨っていた。まあ、この身体ではどうなのかは分からないが…。苦手意識があるのは確かだ。


『では、その魔力を操って炎を作り出しましょう。まずは…そうですね…。手のひらサイズの火の球を作ってみましょう』


「わ、わかった」


 すーはー…と深呼吸する。そして悠は右手を広げ、その小さな手のひらの上に火を灯そうと集中する。すると───



 ボンッッ!!



「うひゃっ!??」



 爆発した。



「ちょ、できないんだけどっ!!」


『そうですね…』



 少し悩んだように沈黙する蝶々イオ



『恐らく…魔力を完全に動かしきれていないのだと思います。魔力…と漠然に言い表しても理解しにくいのでしょうね』


「むむむ…。そもそもマナってなにかわからない。空気中にただよってるの??」


『いえ、空気中に存在しているのは“魔元素エーテル”です。それが変質したものが“魔力”ですので、似てはいますがまた違ったものですね』


「ああそんなこといってたっけ…。うーん…ならマナって身体の中をながれる“けつえき”みたいなものなのかな…。ということは───水ぽい…えきたい…?」



 少し考えた末、悠はもう一度試す。今度は手のひらに水が流れるように。水流が生まれ、その流れは腕を伝い暖かな熱が右手に集まる。そして───




 ボッ



「うひゃっ!?」



 右手に火が灯っていた。



『すごいです! まさかこれ程早く魔力を理解されるとは』



「あ…え? で、できた…の??」



 目をパチパチと瞬かせ、驚きを隠せない悠。そうしている内に火は小さくなり消えてしまった。



「あ…きえた…」



『魔力のみで発現したものなので、それを断つと消滅してしまいますね。強すぎる力はなかなか消えませんが…基本的にはそれが魔法のルールです』



「なるほど…」



 コツを掴んだらしい悠はそれからというもの火を出すことができるようになった。


 とりあえず焚き火をし、串刺しにした魚を焼いて食べる。塩がないので少々物足りなかったが…久々に食べた焼き魚はとてもとても美味しかった。


 満腹になった彼女は思う。

 この調子で“魔法”を覚え生き抜いてみせよう、と。

 いつ帰れるのか、そもそも本当に帰れるのか、元の身体はどうなっているのか、いろいろと分からない部分が多いが。立ち止まって後悔するよりはずっといい。

 そう自身に言い聞かせ、明日も頑張ろうとそう思うのだった。




 

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