超絶の領域(3)

 キンゼイはルルフィーグのサブシートで戦闘の行く末を注視している。今、ジャスティウイングのトリオントライはボディを守るべく、エルボフレームから展開した重力波グラビティフィンで身を包んでいた。花弁は重力場で進路を捻じ曲げられている。


「Bシステム起動」

 少年が命じる。

精神強度サイレベル確認完了。疑似ブラックホール制御システムを起動します』


(ブラックホールだと!?)

 現人類にとっても未だ脅威となる自然現象である。


 重力波グラビティフィンが一気に50mまで伸長する。ジュネはそれを背後の正位置に動かして広げた。

 すると花弁の薄片の動きが変わった。逸れていたものが周囲の数点に向かって吸いこまれている。しばらくすると、そこに小さな黒点が生まれた。


「あれは……。あれは本当にブラックホールなのか?」

『擬似的なものよ』

 気づくとダークブロンドの二頭身アバターが現れている。

『本物があの位置にあったりすれば天変地異が起こっているわ。小規模なワームホールの入り口をあそこに作っているだけ』

「貴女は?」

「さっき助けてくれた人。エルシさんでしたっけ?」

 ステヴィアは見知っている様子。

『あなたたちがゴート遺跡って呼んでいるもの。聡明なあなたなら解るでしょう?』

「ゴート……。そんな存在が介入していたのか」

『介入ってほどじゃなくてよ。彼は与えられたものを普通に使っているだけ』


 ワームホール。時空回廊も星間銀河圏には概論として存在した。しかし、実物となると実現はしていなかった。それがゴート宙区で発見されたので科学界では大きなニュースになったものである。


「笑い草だな。最初から我々のような人間には御しきれるわけもない超絶の領域で戦っていたのか」

 失笑が湧いてくる。

『ちゃんと抗う姿勢を見せてくれたから助力する気になったと思うわ。そうでなければ見向きもしない。あの子はそれくらい特別な存在』

「それなら幾分かは救われる」

「そうです。キンゼイ様は精一杯頑張りました」

 声を張る娘に「君もな」と言っておく。

『見ておきなさい。そうは見られないショーだから』

「そうさせていただこう。私にはもう手も足も出ない」


 完全に観客になっている。今思えば、生き残れたのさえ幸運な状況だった。


「なんだそれは!」

 花弁がどんどんと吸いこまれていく。

「君の使ってるCシステムとぼくのBシステムは相克兵器なんだ。どちらかの対策としても機能するようにできてる。制御力サイレベル次第で勝敗が決まるよ?」

「よくわからんぞ」

「単純に説明しようか。ぼくがコントロールしている疑似ブラックホールまでエネルギー変換できるか、あるいは君の制御するエネルギーをぼくが全部吸いとってしまうか、どっちか」


 疑似ブラックホール制御は、重力波グラビティフィンが生みだした重力子グラビトンで時空界面に穴を開けワームホールを作るシステム。ワームホールの先は本物のブラックホールの近傍で、物質はもちろん電磁波エネルギーくらいまでは吸引する仕組みになっているとエルシは説明する。


「君の精神強度サイレベルがぼくを上まわれば疑似ブラックホールは消失して終わり。でも、そんな単調な攻撃しかできないなら負けないね」

「ほざけ! このロルドシーパは銀河さえ制するのが可能な機体なのだ!」

 皇女は激昂している。

「渡した誰かさんが君にそう言ったのかな? たしかに破壊力はすごい。普通なら無敵だろうね。ただ、それを生みだした存在にとっては兵器の一つに過ぎないんだよ」

「違う! 真に無敵なのだ!」

「思い込みを真実だと感じないくらいまでだったら後戻りもできたのかもしれない。もう、君は完全に飲みこまれちゃってるよ。脳が限界を超えた働きをしているのも感じられていないんだろうね」


 六本のスリングアームの制御だけでも人間の限界近い処理能力が必要だという。そういう意味でキュクレイスには適性があった。

 しかし、一定空間とはいえCシステムによる全体制御となると脳機能の限界を超える。必要な精神強度サイレベルを持たない人間が用いれば、時間を追うごとに脳細胞の死滅が進行するらしい。


「では、もう殿下にまともな判断力は……」

『無くてよ。生き残ったとしても、生命維持も困難になるほどの機能しか残ってないかしら』

 ゴート遺跡の残酷な宣告。

「でも、それだとキュクレイス様の制御力を超える力を発揮してるジュネは大丈夫なんですか?」

『あの子にとってはそんなに難しい制御ではないわね。だって、現存人類の中で最も私たちの創造主に近いと目されているんだもの』

「なんと。古代超文明人に近いと。どうすればそんな人間が?」

『偶然の産物? いいえ、必然が生みだした超人類かしら』


(そんな存在だからこそゴート遺跡がサポートしているのか。幼少期から教育を施され、ジャスティウイングは自らの使命に突きすすんでいると)

 壮絶の一語に尽きる。いち惑星の動乱の域を遥かに超えていた。


「ぐうぅ」

 皇女は悔しげに喉を鳴らす。

「そんなもの、飽和させてやる」

「もう残り少ないのに?」

「供給すればよい!」


 ロルドシーパが両腕を突きだす。手の甲側にある三連装砲が猛然と光を吐きだしはじめる。腕を振って幾つもの花を生みだし、分解して花弁の薄片を大量に生みだした。


「これでどうだ!」

「単調だって言った意味ももう解らなくなってる」


 花弁はトリオントライの疑似ブラックホールに飲みこまれていくだけ。皇女が言うように飽和する気配はない。

 意地になってさらに大量の花を生みだしていくキュクレイス。しかし、その行為は傍目に見ても無駄としか思えない。


「砲塔のリミッタを外しちゃ駄目だ。赤熱してきてる」

「うるさい! 敵のくせに指図するでない!」


 赤熱は進む。今や砲身の周囲にまで伝播しはじめていた。だが、溶解するには至らない。その前に燃房チャンバーの減圧と熱逆流によって房壁ケーシングの崩壊が先にくる。プラズマが噴出し、あまり間を置かずに左右の腕とも膨張する爆炎に飲まれる。


「ぬ! おお、これは!」

「まさか、好都合とか思ってないよね?」


 噴出した熱もプラズマエネルギーも巨大な針の塊へと変じていた。最後に残った額のレンズ機構が煌々と光を放っている。


「これでならぁ!」

「なにを言っても無駄かな」


 針の塊は、上腕からもれるプラズマが化けた腕につながっている。皇女はそれでトリオントライを殴りつけようとした。しかし、疑似ブラックホールを正面に動かしたジャスティウイングによってすべて吸収されてしまう。


「まだまだぁ! さらに大きなエネルギーをぶつけてやる!」

「やめておけば?」

「食らえ!」


 今度は両肩の三連装砲が暴走気味に砲撃を開始した。ロルドシーパは再び花弁に包まれると同時に砲口が赤い光を帯びていく。


「それはいけない」

『そうね。固定武装の燃房チャンバーは背中の下のほう。対消滅炉エンジンのすぐ傍よ』

「暴発したら」


 しかし、皇女は止まらない。霞むほどの花弁が渦巻く向こうで哄笑を解きはなっていた。散り際の美しさを誇るがごとく。


「受けてみよ、我がロルドシーパそのもののエネルギーをすべて! 耐えられまい!」

「自爆攻撃なんて、ぼくを下すという当初の目的から外れてるよ?」

 忠告もキュクレイスの耳には届かない。

「死すとも私の勝利だ! はーはっはっはっは!」

「キンゼイは自分の身を賭しても君の助命を望んでいたのにね」

「あ奴は裏切った! 私のことなど! 私のことなど……」

 急にしぼんでいく。

「間違ったんだよ。名君に化けるようなら最後まで付き従ってくれたかもしれないのにさ」

「うぅあああっ!」


 その瞬間、ロルドシーパの背中が爆炎を放つ。エネルギー供給を絶たれたレンズ機構は光を失い、火球は巨躯をじわじわと侵食していく。拡大する爆炎をジュネの疑似ブラックホールが飲みこむ。舞った黒点がスリングアームの残骸を含めてすべてをさらっていった。


「憐れだね。操っていた誰かさんにさえ見捨てられてた。もし、生体ビームまで備えてたら、ぼくでも手に負えなかったかも」


 少年のつぶやきを聞いたのはキンゼイを含めた数人だけだっただろう。

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