自由の女神

女神の訓戒(1)

 正統皇家唯一の生き残りとなったキュクレイス・フェリオーラムは逃げ込んだジャンダ基地のバスルームにいた。ぬるめの温度でゆっくりと戦闘の汗と無念を落としていく。


 二十七歳の彼女の肌はまだ若さを感じさせる張りを保つ。政治家のくだらない派閥争いで夫を迎えておらず誰のものでもない柔肌。それを丁寧に撫でて流す。

 脇腹の下に若干の痣があって目を細める。鏡を見ると肩の肌に青黒いくすみ。太腿の外側にも。ロックバーのバルーンとパイロットシートが当たる場所だ。激しい戦闘を思いださせる。


(小娘め、皇女たる私に言いたい放題しおって。次は容赦せん)

 険しい顔になってしまう。


 他国組織の威を借りているくせに『自由の女神』などともて囃されているのが我慢ならない。真っ先に潰さねば気がすまなかった。


(私にはあれ・・がある。怖るるに足らん)

 口角が上がる。


「殿下」

 カーテンの向こうから女の声。

「貴様か」

「ギュスター卿の動き、やはり奇妙な点がいくつか」

「うむ」

 引っ掛かるところがある。


 彼女は子飼いの諜報。周囲を調べさせるとともに、直下の各所との連絡調整をやらせている。寝室やバスルームといった場所に入れやすいよう女を使っていた。


「事前情報を入手しておられたのに妙に対応の遅さが目立ちます。デリケートな時期でもあったのに入出国の監視が緩かったのではないかと」

 それがブラッドバウを招き入れているという。

「政治家どもを追い込んで主権返上をさせるまでの切れ味に比べると甘さが目立つか」

「イドラス暴動までの経緯はそれらの積み重ねからきているように思えます。叛意をもたれているかと。もしくは殿下を排する思惑が」

「なるほど。すべてを私に被せて収めるか。で、自らが立つか?」

 野心が匂う。

「殿下の意に添わぬ発言は伏線かもしれません。記録を盾に皇家の罪だと主張するつもりでは?」

「あ奴らしいやり口よな。それだけ切れるからこそ使えるのだが」

「危険かもしれません」


 女は先手を打って遠ざけるよう勧めてくる。しかし、皇女にそんなつもりはなかった。


「使ってみせるのが器量というもの」

「そうかもしれませんが」


(皇家に優秀な血を入れるに最良の男だ。圧倒的な力を見せて感服させればいい)

 キュクレイスの女の部分が彼を求めている。


「それには『ロルドシーパ』が必要だ。急ぎ完成させろ」

「今しばらくお時間を。技術的に難しい点が多々ありまして」

 耳にしている。

「事故が多いとな?」

「はい、生体パーツ・・・・・部分が特に。それと構造の知れない一品物のパーツは試行錯誤の繰り返しで」

「秘術のゆえんだ。集めた人員を使い潰してもいい。すべてが決するのだからな」

 女は「御意に」と応じる。

「キンゼイは好きにさせておけ。最強の切り札はもう手の内にある」

「殿下であればお使いになれましょう。調整はお任せを」

「ああ、頼りにしている」


 女こそ代々仕えてきた裏の家系であり、『皇家の秘術』の管理者。名前も知らないが信頼は篤い。


 キュクレイスは気配が消えるのを感じながらシャワーの続きを浴びた。


   ◇      ◇      ◇


 一夜明けた首都イドラスは惨劇の余韻をひきずったまま。


 ローカルネットワークには家族の安否を求める声が飛び交い、悲喜こもごもの結果に満ちている。国家警察は組織の体をなしておらず捜索もままならない状態。

 略奪などの情報も見受けられるが、自警団の発足で犯罪抑止や捜索が行われている話もある。そんな状況下で速やかに動いたのが星間G保安S機構Oだ。彼らが治安維持に多大なる貢献をしていた。


(無責任に首都奪還を喜んでいていいわけがない)

 ステヴィアは胸を痛めていた。


 民主奪還同盟リキャップスももちろん捜索などに協力していたが、全体的には戦勝ムードが漂っている。昨夜は祝杯を上げるメンバーの姿も見かけた。


(これは罰。我々が犯した罪に対する罰。きちんと向き合わなきゃ)

 忘却は許されない。


 がれきの撤去を手伝いながらルルフィーグで宮殿近くまでいくとようやく落ち着きを取り戻しつつあるのが感じられる。この周辺は夜遅くまで消防機と緊急車両が行き交っていた場所。


「あれは?」


 宮殿内からなにかを運びだしてきている。運搬車が門扉前で荷代の覆いを外すと人体が寝かされていた。


(まだ遺体の搬出がつづいているのね)

 そう思っていた。しかし、違ったのだ。


「おお、自由の女神! 見てくれ、これが悪の権化の皇王と王妃の死体だ。これからさらしてやる」

「近衛隊の死体も拾ってきてさらそうぜ」

「おー!」


 信じられないことを言ってくる。彼女は耳を疑った。


「待って! ご遺体に鞭打つような真似をしてはいけません!」

 スピーカーで呼びかける。

「どうしてだ!」

「こいつらが税金をとんでもなく上げたり、誰かの家族をさらわせたり、丸腰の俺らに発砲させたり命じたんだぞ!」

「そうだ! これは正当な裁きなんだよ!」

 ムキになって食ってかかってくる。


 ステヴィアは彼らの前にアームドスキンを着地させる。片膝立ちにするとシートを離れてアンダーハッチの上に立った。ヘルメットを脱いで首を振る。


「それでもいけないことはいけないんです」

 胸に拳を当てて訴える。

「この方々だけの罪だといえますか? 後ろめたいところはありませんか?」

「う……」

「キュクレイス殿下が政治家の腐敗を暴露したとき爽快感を覚えたのでしょう。きっと同じことをしている気持ちなんだろうと思います」

 図星を突かれた男たちは絶句する。

「その結果はどうなりましたか? 皇室を讃えたあなた方は無責任にもエイドラの未来を丸投げにした。それはわたしも同じこと。反省しています」

「あのときは! ……それが正しいと思ったんだ」

「今も自分が正しいと思っておられたんでしょう? でも、過去のあなた方は間違っていた。今度こそ正しいと言い切れますか?」


 反論の声はあがらない。皆が彼女と同じように後ろめたさを胸にいだいている。


「過ちをくり返してはいけません」

 目を逸らす彼らを見つめつづける。

「自らの罪も胸に刻み、ご遺体にも敬意をもって弔ってさしあげましょう? それがわたしたちにできる償いなのではありませんか?」

「そう……かもな」

「ありがとうございます」


 いつの間にかステヴィアは涙を流していた。その様子を見た人々はまるで浄化されたかのように表情を明るくしていく。


「俺たちが間違ってた。みんな、ご遺体をちゃんと包んでさしあげろ。街が普通に戻ってから宮殿で弔ってやろうじゃないか」

「そうしよう」

 考えを改めてくれた。

「きっとキュクレイス殿下はあきらめていらっしゃいません。わたしは数日中にもジャンダ基地に向かって殿下を説得できればと思っております」

「説得?」

「はい。この暴挙を国民に対してお詫びくだされば。素直に主権を本来の持ち主に返還するとおっしゃってくだされば罪を問うまいと考えています」

 ずっと考えていたこと。


(きっとキンゼイ様もこうなることを望んでいらっしゃったんだわ。市民が等しく省みることを)

 乱暴な手段だと思う。

(でも、そうせずにはいられなかったのですね? 自らがどれだけ恨まれようとも実行するのを厭わなかった)


「みんなも許してさしあげられませんか?」

 心から問いかける。

「誰もが過ちを犯すのです。許しがなければこんな悲劇がくり返されるだけ。皇女殿下が真摯に反省して二度とこのようなことがないよう誓ってくださるのであれば退位して普通に暮らすのを認めてさしあげたいのです。いかがですか?」


 ステヴィアの主張に集まっていた群衆は皆驚いていた。

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