2-アンサー

 僕の人生は平凡そのものだった。それ以外の呼び方を僕は知らない。

 勉強しても成績は伸びず、両親も普通なただの共働き。二歳下の妹の春香は「お兄ちゃんのお嫁さんになる」とも「キモイから近寄んな」とも言ってくれない。お小遣いは中学生になってやっと月に五千円。虐められるほど弱くなく虐めるほど強くない。モブまっしぐらだ。

 そんなモブでも悩みがないわけじゃない。虐められてる奴を見ると苛々した。虐めてる奴は考えなしの馬鹿なのに人生を謳歌していることに腹が立った。僕にはなにもなかった。友達とデスゲームに巻き込まれることも、女子に好意を向けられることも、女教師に迫られることも、なにもない。なにもないことが、無性に、苛立たしい。胸に渦巻く様々な感情を吐き出す方法は、教室の隅で僕よりモブっぽい奴らとカースト上位の奴らの嫌なところを言い合うことくらいしかなかった。

 けれどそんな陰鬱な日々に転機が訪れる。父親に続き母親の仕事が忙しくなったことで、兄妹にスマホが与えられたのだ。

 スマホを手に入れてからの僕は無敵だった。

 友達がいない春香のためにことあるごとにメールした。知りもしないアイドルのゴシップを見てそのアイドルのファンのためにコメントで正論をぶちまけた。有名人が炎上しているのを見て正義の名の下に僕も集った。

 日頃の鬱憤を晴らすのにネットは最適だった。悪いことをした奴が悪い。叩かれる理由があるから叩かれる。僕は悪いことをした奴にそれを教えてやってるだけ。ウィンウィンだ、互いに良いことしかない。

 しばらくすると、せっかく僕が残したコメントが削除されていることに気が付いた。どうやら攻撃的だと判断されたコメントはなかったことにされるらしい。だから僕がSNSを始めるのも当然のことだったわけだ。

 下らないことを書き連ねる奴らに現実を見せてやった。炎上している奴らに正論をかましてやった。僕を言い包めようとした奴らは逆に言い包めてやった。

 僕は無敵だった。だから誹謗中傷で逮捕された人のニュースを目にした時は神にでもなった気分だった。僕の今までの行為は誹謗中傷なんかじゃないと言われたようなものだった。だって僕は捕まっていないのだから。もし後から誹謗中傷だと思われたとしても、アカウントを消してなかったことにすれば、誰も僕に辿り着けない。ああ、そういえば特定班というものがいるんだった。けど定期的にアカウントを消してIDをランダムにすれば誰も僕だと気付かないだろう。

 何度もアカウントを消した。そして作った。

 僕に叩かれるのを待っている奴がいる。叩かれて然るべき奴がのさばっている。奴らがいなくなるまで僕がいなくなる理由はない。

 ――そんな戦のような日々に、束の間の光が差し込んだ。

 いつもなら通らない帰り道だった。そこに、一軒のパン屋が、並んでいた。吸い寄せられるように店に入った。途端、香ばしい匂いが肺を満たした。

 そこで、出会った。

 出会ってしまった。


 小山こやま美紀みきという、一人の女と。


「――一目惚れだった?」

「はい。彼女は僕に出会うためにあの場所にいたんだと思った」

 僕の言葉に愛那が眉を顰める。無言で僕の話を聞いていた愛那は、感情が読めない目で僕を見下ろしたまま話の続きを促した。

「美紀はそのパン屋の店主だった。毎日通い詰めるうちに色々教えてくれたよ。パン屋を開くのが幼い頃からの夢だったことも、頭が良くないから試験の時はいつも一夜漬けだったことも、中学生の時に好きだった男子にこっぴどく振られて自棄食いして十キロも太ったことも。普通はそんなこと赤裸々に教えないよね。彼女は僕が好きで好きでどうしようもなくて、それでも僕に直接言う勇気がないから僕から告白してほしいんだと分かった。

 だからあの日、告白してあげようとしたのに――あの女は僕を裏切ったんだ」

「……彼女は、結婚してた。そうだね?」

 目をかっと見開く。拳を床に叩きつけると、唾を吐き散らしながら「そうだよっ!!」と叫んだ。

「あの尻軽は僕の気持ちを弄んだんだ! 僕に好意を向けさせて異性が夢中になる自分の姿に陶酔したかっただけだったんだ! そんなの許さない! あの女は悪だ、悪女だ! サンドバッグにされて当然の女だったんだ!」

「だから彼女の行為とあなたの思いをSNSに書いた?」

「ああ、そうだよ。正義の鉄槌はみんなで下さないと」

「けれどその思いは届かなかった?」

 愛那の言葉に拳を握り締め歯を食いしばる。歯軋りの音が響き、手の血管が浮き出て――ふっと、力を緩めた。

「はい。僕の正義は、『自己中』という言葉に括られた」

 笑みを浮かべる。

 愛那はなにも言わず、僕を見下ろしたまま。

「馬鹿な奴らには僕の正義は難解だったらしい。だから僕は美紀のことを奴らにも分かるように、細かく、全て、時に大袈裟に例えて、教えてやった。奴らは暇だから美紀のことを調べる。そして本当に美紀がいることを知って、通っていた学校や美紀がどういう人生を送ってきたのか晒し上げる。そしたら僕はもうなにもしなくて良い。分かりやすく連ねた僕への美紀の言動を知った奴らが正義の声を上げ、そこに同士が集う。

 憶測も集まれば真実になる。

 僕が思った以上に、美紀は悪女になった」

 愛那の表情が歪む。汚いものを見るかのような目に、僕も顔を歪めた。

「あなたの流したデマが真実として拡散された。そのことに、なんとも思わなかったんだね?」

「僕は分かりやすく誇張しただけ。嘘を言ったわけじゃない。質問の前提が違う」

「質問を変えよう。

 あなたのネット上での行為を両親が知ったのは、彼女のニュースが切っ掛け?」

「はい。さすがに死なれるとは思ってなかったから動揺しちゃった。けど死んでなかったんだよね。無駄に怒られただけだった」

「あなたがネットでしてきた行為を両親に言ったのは、逮捕された時のことを考えたから?」

「はい。たくさんの人に『僕はなにも悪くない』って擁護してもらいたかったから」

「つまり保身のため?」

「はい」

「あなたの行為を知った両親は、あなたを止めようと生活環境から変えようとしたはず。転校を受け入れなかったのは、ただ単純に、中学の卒業まで残り数ヶ月だったから?」

「はい。それ以外になにかある?」

 愛那が目を閉じる。次に目を開けた時、表情は全て消えていた。

「あなたは彼女のニュースの後も何度もその行為を繰り返した。

 現実じゃないから傷付けても良いって、思ったんだね?」

「はい」

「彼女の自殺未遂を知って、尚。

 一度だけでなく、何度も」

「はい」

「彼女は一命を取り留めた。けれど壊れた心は戻らなかった。なにも言葉を発しない、植物のように呼吸を繰り返すだけの彼女に、私達は後悔した。彼女がこんなに追い詰められるまでなにも知らなかった、知ろうとしなかった自分が腹立たしかった。

 彼女は好奇の目に晒されながら、夢だったパン屋を続けようと、変わらないでいようとしてた。けれど彼女が変わらなくても周りはそうはいかない。客足は次第に遠退き、嫌がらせを受けるようになった。看板を出す時に心ない言葉を投げ掛けられたこともあった。そんな状態がいつまでも続く店に客が戻るわけない。

 彼女が絶望するのは当然のことだった」

「ねえ、長いよ。その話は、君が僕に分かってほしいことと関係ないんじゃない?」

「いいえ」

 はっきりと、愛那が言い切る。

 僕の疑問を、切り捨てる。


「関係あるよ。

 だって私が出題者なんだから。

 この舞台を整えたのも、問いを考えたのも、全部私なんだから。

 答えは私の中で、初めから決まっている」


 愛那の気迫に思わず息を呑む。

 愛那は「最後の質問だよ」と言うと、どこからかスマホを取り出した。どうやら今までの会話は全て録音されていたらしい。

 取り上げなければと立ち上がった瞬間、愛那が声高に問い掛けた。


「あなたは、あなたのせいで誰かが死んだとして、後悔する?」


「いいえ」


 ――間髪入れずに返した答えに空気が静まり返る。

 刺すような静寂に思わず固まる僕を、愛那は複雑な表情で見つめた。

「……どこまでも、素直な人だね。それはそうか。あなたは悪いことをしていると、これっぽっちも、思ってないんだから」

 愛那はよく分からないことを言うと、スマホを一回、小突いた。そのままスマホを掲げる。

 画面には、通話中とスピーカー設定がONになっていることを示す記号が表示されていた。

「っ? え?」

 誰? 誰と、繋がってた?

 悪寒が走る。膝が震える。奥歯が不愉快な音を鳴らし始める。

 まさか警察? いや、そんな馬鹿な。こんな茶番に税金を使うわけがない。それとも生配信していた? いやありえない。さっきの質問でこの様子は実況中継されていないと言っていた。 なら両親? もしそうだとしたら僕が焦る必要はない、落ち着いて大丈夫だ。なのに――なんで、震えが止まらない?

「あなたは好意を寄せた相手に裏切られるのが嫌なんだね」

 それはそうだろう。みんなそうだ。なにを当たり前のことを言ってるんだ。

「その好意が本当に『好意』と呼べるに値するものか、考えもせずに」

 考える必要なんてない。僕のことは僕が一番よく分かってるんだ。

「こうして私が言っている言葉の意味も、あなたには伝わってないんだろうね」

 自分のことしか言わない奴の話なんか誰が聞くもんか。


「ゲームオーバーだよ。

 鈴村すずむら広樹ひろきくん、あなたは私の問題に解答出来なかった。

 あなたは知らなければならなかった。どうしてこんな部屋に閉じ込められたのかだけじゃない。どうして私があなたと話したがっているのか、を」


「……なに、言って」

 声が震える。なんとか足を踏み出すと、スピーカーの向こう、聞き覚えのある呼吸音が、張り詰めた空気を揺らした。


『――全部、兄さんのせいだよ』


 腕を伸ばす。愛那がスマホを宙に放った。視線の動きに身体がついていかない。せめて声を上げようと口を開け――なにかが地面に叩きつけられた音に混ざってなにかが砕けた音が、スピーカーから響いた。

「………………………………」

 床に崩れ落ちる。聞き間違えるわけがない。あの声は――

「さて、エピローグだ」

 声に振り向く。

 愛那が楽しそうな笑みで、僕を見下ろしていた。

「あなたのせいで鈴村すずむら春香はるかちゃんは傷付いた。あなたのような人のせいで多くの人が傷付いた。あなたのせいで小山美紀は壊れた。

 あなたは罪人だ。あなたが嗤いながら見ていた加害者に、これからあなたもなる」

「っふざけるな!」

 愛那に飛び掛かる――そんな些細な望みすら叶わないのか。僕は愛那が噴射したスプレーに耐え切れず床をのた打ち回った。

「安心して良いよ。ただの催涙スプレーだ」

「っふざけるなふざけるなぁっ!

 何様なんだお前は! どうして僕にこんな仕打ちをする!」

「『それが分からないから』、かな。春香ちゃんにしたこと、しようとしたこと。あなたのことを知らない人達にしたこと。彼女にしたこと。全て、『あなたが分かろうとしなかったから』、私達はこうするしかなかった」

「いい加減なことばっか言うなぁっ! お前のせいだ! 春香が死んだのはお前のせいだぁっ!」

 激痛を誤魔化すように叫ぶ。

 同意を得ようと振り向こうとした時、あまりにも冷たい声が降り注いだ。


「あなたのせいだよ。

 あなたが、妹を、姉を、追い詰めた。

 あなたがなにも考えなかったから、考えようとしなかったから」


 缶が床に落ちる音が響き渡る。

 涙を零しながらなんとか目を抉じ開け視線を持ち上げる。

 愛那は――笑っていた。

 冷たくどこまでも冷え切った氷の笑みを、僕に向けていた。

「あなた以外の人に心なんてないと思ってた? なんにも感じないお人形だと思ってた?

 それはあなただよ。

 心が無い人で無しは、なにも考えない、感じない、あなたの方でしょ?」

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