第7話 ロアルド・ダール 南から来た男

 ロアルド・ダールの『南から来た男 Man from the South』を読んだ(『あなたに似た人』収中。ハヤカワ文庫)。

 二十五ページほどの短編で、ダールの代表作といってもいいたいへん有名な作品だ。いにしえのヒッチコック劇場で映像化されたそうだが、これは見ていない。

 ギャンブルがモチーフの話で、個人的に『ジョジョの奇妙な冒険』でいちばんおもしろい話、博打に負けた相手の魂を奪うダービー・ザ・ギャンブラーのエピソードに影響を与えた短編ではないかとかねがね思っている。

 いろいろおもしかったが、おもしろく感じた理由を以下に書いてみる。


 1 視点の面白さ


 もう六時近くなったので、ビールでも買って、おもてへ出て、プールぎわのデッキチェアに腰をおろしながら、夕陽をサカナにひとつ飲んでやろうかと、私は思った。

(P57 田村隆一訳)


 これが冒頭である。

 「私」の視点で奇妙な物語が語られることがわかるが、私はあくまで傍観者である。それが効果を上げている。

 これがもしほかの登場人物「ちいさな老人(南から来た男)」か「アメリカ人の水兵」の視点で語られたら、物語はたちまち切羽詰まった雰囲気になり、ホラー風味がより強く増したのではないか。

 それはそれでおもしろそうだが、私という傍観者が語ることで語られる世界と読者の間に距離が生まれ、それで読者はリラックスして緊迫した物語を楽しむことができたと思う。

 日本には私小説の伝統があるが、私小説における私はたいてい物語の中心人物で、その視点がカメラアイとして機能することはあまりないとも思う。


 2 ちいさな老人=南から来た男のぶきみな魅力


 と、そのとき、プールの端を元気よく歩いてくる、小柄な、初老の男に私は気がついた。

 彼は、一部のスキもない、真白なスーツを着て、足早に、一歩一歩、背のびしながら、はずみをつけるような足どりで、こちらへ歩いてくる。

 大きなクリーム色のパナマをかぶり、あたりの人たちやならんでいるチェアの方を眺めたりしながら、プールのふちを、ピョコンピョコン、とびはねるようにして、やってくるのだ。(P58)


 これが「南から来た男」初登場の場面である。

 世界文学的に見ても(悪の)ヒーロー初登場のシーンとして出色の表現と思う。

 「真白なスーツ」「クリーム色のパナマ(帽)」とビジュアルのインパクトも強烈だ。

 この短編を初めて読んだ高校生のころ、この冒頭部分を読んで一気に作品に引き込まれたことを今でも鮮明に覚えている。


 3 物語の唐突な展開


 私と老人がプールサイドで憩っていると、プールから上がった若いアメリカ人の水兵と彼のガールフレンドがやってくる。

 老人が葉巻をくわえると「火をつけましょう」とライター(たぶんジッポのオイルライター)を差し出す。風が強いと老人がいうと、青年は大丈夫という。


「ナルホド、ウン、ナルホド。これが必ず火がつくという有名なライター? そうですね?」(P61)


 老人は青年を賭けに誘う。老人のホテルの部屋で、青年がこのライターで十回続けて火をつけられるか、賭けようというのだ。

 青年が勝ったらキャディラックをやると老人はいう。

 逆に老人が勝ったら(青年が十回続けて火をつけられなかったら)、老人は「青年の左手の小指」をもらうという。


「どんなものって、アンタの、その左手の小指だよ」(P64)


 ここで唐突に物語のスイッチが入る。

 初読のとき、有名なラスト以上にここがショックだった。

 唐突に顔をのぞかせる老人の悪意にリアリティを感じた。

 ダールの小説は「奇妙な味」と称されるが、むしろホラーに近い感覚があると思う。

 とにかく技巧や駆け引きがいっさい通用しない賭けがおそろしい。


 4 奇妙なラスト【ネタバレあり】


 ここで話は一気にラストへ飛ぶ。

 青年は九回続けて火をつけるのに成功する。

 青年の左手はワイヤーでテーブルにくくりつけられている。

 左手の上で、老人が包丁を構えている。青年が失敗したらその瞬間小指を切り落とすつもりなのだ。

 あと一回で青年の勝利だが、九回目の炎は小さい。

「果たして成功するのか?」

 と読者が固唾を飲んでいると、部屋に唐突に老人の妻が帰ってくる。

 妻は老人を叱り飛ばし、青年にわびをいれる。


「あの人、いつもの癖が出て」

「わたしたちが暮らしておりましたのは南の国ですけどね、あの人、そこで四十七本も、いろんな人から指をとりあげて、それに十一台も車をとられているんですよ。

 あげくのはてに、あの人、みんなから、監禁してしまうぞとおどかされたものですから、わたし、ここへあの人をひっぱってきたのですよ」(P76)


 これでちいさな老人の正体が明らかになる。

 要するに精神的にちょっと問題がある人なのだ。

 そうとわかれば、ラブクラフト流にいうと未知が未知でなくなれば、怖さは消える。

 物語にくつろいだ雰囲気が立ち込める。キャディラックも妻のものとわかり、老人が道化のように見えてくる。

 「これで終わり」とホッとしていると、最後の最後に本物の恐怖がやってくる。

 「私」は鍵を取ろうとする妻の左手を見る。すると、


 いまでも私には、彼女の手がはっきりと見える――その手には、親指と、ほかに一本の指しかついていなかった。(P77)


 これで『南から来た男』は幕を閉じる。

 老人初登場のシーンもそうだが、このラストでも、ダールは読者に「絵」で強烈なインパクトを与える。ビジュアルにあいまいさがない。

 一瞬滑稽な道化に見えた老人が、最後の最後に再びぶきみな人物、自分のグロテスクな賭けに妻までつきあわせていた悪魔に見える名場面だ。

 これとはちがう解釈もある。

 吉行淳之介はこの短編の翻訳者田村隆一との対談で、あのラストで真にぶきみなのは老人ではなく妻のほうだといった。

 夫の狂気につきあう妻の狂気がより強く出ている、と吉行が語った記憶がある。

 女性との関係でいろいろ苦労した吉行ならではの感想と思うし、多様な解釈を許すのは名作の証しとも思う。


 ほかの作品では『味 Taste』も面白かった。

 教訓ではなく読後に味が残るところにダール作品の魅力がある。

 その味は、かなり苦いが。

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