第4話 住吉九 ハイパーインフレーション

 今雑誌やwebに連載している漫画でいちばん勢いがあるのは住吉九の『ハイパーインフレーション』と思う。

 これはすごい漫画だが、紹介するのがむずかしい作品でもある。どんな漫画にも似てないのだ。

 それでもキャッチコピー風に特徴を紹介するなら、スタンドがいないジョジョ、スケールの大きい頭脳戦、ショタや巨女といった特殊性癖、登場人物が全員信念を持った悪党、経済や紙幣やあらゆる帝国の歴史知識、そして唐突に炸裂する8時だよ全員集合的ギャグ……といったところであろうか。

 もう少しいうと、主人公の少年ルークは贋札を「生む」特殊能力を持っている。

 ただし出てくる紙幣はすべて紙幣番号が同じという弱点がある。主人公が無敵になる超能力とはそこがちょっとちがうが、弱点があるからこそ読者がワクワクする知略戦にもなる。

 贋札とはいえ能力が生産的なのもおもしろい。対象を破壊するジョジョのスタンドとはここが決定的にちがう。

 さらに体から贋札を「生む」ことが射精や出産のメタファーになっている。男性性と女性性をともに備えたルークは、だから女の子のような美少年として描かれる。

 さらにいうと能力を得た代償として、ルークは齢12歳にして生殖能力を失っている!


 奴隷としてヴィクトニア帝国に売られた巫女のハル姉を弟ルークが救おうとする……それが物語の根本だが、この物語はいろんな現実を連想させる。

 たとえばルークは白い髪とちいさいからだが特徴のガブール人という民族の一員である。その身体的特徴はちょっとユダヤ人を連想させる。

 ルークは幼いころから商才に長けていて、そこもユダヤ人っぽい。

 ヴィクトニア帝国は19世紀のアメリカのようだ。

 また奴隷としてゼニルストン自治領で虐げられるハル姉たちは、奴隷解放前の南部の黒人のようでもある。

 実際ルークたちが帝国へ向かうとき乗船した奴隷船内のエピソードは、ベン・ハーのような古典とともに、アフリカから新大陸へ移送された黒人奴隷も連想させる。

 奴隷の解放とガブール人のための国家建設を目指すルークは、かつて奴隷解放を目指して戦ったローマの戦士スパルタカスであろうか。

 またルークはガブール人の信者から救世主として崇拝されている。

 ステージで体から贋札を生む少年の姿を見て信者は熱狂する。

 ルークが「アンダーグラウンドのイエス」であることが、熱狂とともにまざまざと読者に伝わってくる。

 ここは妖しい魅力に満ちた名場面だ。

 

 とにかく一話ごとの中身が異様なまでに濃くて、現在単行本は四巻まで出ているが「まだ四巻か」と正直驚く。

 先日ツイッターを見ていたら「ハイパーインフレーションは悪役が一人もいないのがすごい」というつぶやきがあって感心した。

 まったくその通りで、この世界の登場人物は全員揺るぎない信念と信仰を持っている。

 ルークはガブール人の自由と独立のため。

 レジャットは帝国のさらなる発展のため。

 グレシャムは金のため。

 バトルはすべて信念と信念の激突で、善と悪との戦いではない。

 自分の信念を達成するための戦いだから、神話の善と悪の闘争のようにスタイリッシュな戦いにならず、生き残ろうとみんな必死になるからはたから見ると滑稽なギャグが生まれる。

 そこは作者の住吉九も自覚していて

「人間のカッコいいところが好きだ。だが、それ以上にカッコ悪いところが好きだ。真剣に何かに取り組む姿が滑稽にカッコ悪く見えることがあるが、そんなのは最高で、このマンガではそれを描いた。

 無論真剣に」

 と一巻の表紙の折り返しで語っている。

 住吉九が苦労人であることをうかがわせる名言だ。


 ルークはガブール人のための国家建設を目指している。

 疑心暗鬼におちいった信者にルークは語る。

「俺一人の夢が……」

「俺だけのものじゃなくなった!!」

「もう降りない!!」

「もう止まらない!!」

 ラップ調の名演説で、読んでいて年甲斐もなく胸が熱くなった。

 ……といろいろ書いたが、ハイパーインフレーションはへんなところもたくさんある漫画だ。

 極端に短いズボンからはみ出したルークのお尻と鼠蹊部を描く作者の入魂の筆致を見よ。

 またとりわけおかしいのがレジャットだ。

 レジャットは鋼鉄の信念を持つ帝国のスパイで、ルークにとって最大のライバルである。

 頭が切れて腕も立つ超人だが、ルークに対する執着心がすごい。その異様さはセリフにあらわれている。

「ルークのこと もっと知りたい(恋する乙女?)」

「やったぜレジャットさん!」とルークに抱きつかれて喜びのあまりグッと拳をにぎりしめる(にぎるな)。

 麻酔を使ってルークを尋問するとき

「俺とグレシャムどっちが好き?(質問の意味がわからない)」

 といい、そのときなぜか「スッ」と自分の髪をかき上げる(上げるな)。

 とにかく超人なのに、ルークに対してはやることなすこといちいちおかしい。

 それを見て爆笑しながら、レジャットと年が近い自分は

「でもなんか……わかるなあ」

 と、思ってしまうのである。


 国家建設を目指した漫画というと水木しげるの名作『悪魔くん千年王国』を思い出す。

 あの漫画は最後にユダの裏切りにあって悪魔くんの願いは敗れる。

 ハイパーインフレーションは現在お城で三つ巴の攻防戦が繰り広げられている。読者として

「なんとかこの戦いに勝って国家建設の夢を見せてくれ」

 という思いと

「ダウ―とハル姉と幸せに暮らしてくれ」

 という思いが交錯して、毎回手に汗にぎっている。

 興味を持たれたかたは少年ジャンププラスでぜひご一読を。

 まれに見る熱狂を保証します。

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