第3話 乙一 冷たい森の白い家
乙一の『冷たい森の白い家』(『ZOO2』集英社文庫収録)を読んだ。
二十五ページほどの短編である。
ひさしぶりに読み返して童話風というか神話風のホラーだと思った。
「馬小屋で暮らしていた。家はなかった。馬小屋には三頭の馬がいた。たえず糞をまきちらしていた」(P47)
これがオープニング。
場所や時代はわからないし、語っているのが何者なのかもわからない。
私や僕といった人称がない文体なのだ。
人称がないということが、このなぞの語り手に自意識や感情がないことを暗示している。
馬小屋の壁は石が積み重なっている。この石が、のちに起こる惨劇の伏線になる。
なぞの語り手は虐待されている。
伯母は「あんたがいなければもう一頭、小屋で馬を飼うことができるんだけどね」という。
伯父は彼(本当は彼かどうかわからない)に接するときいつも鼻をつまんでいる。
二人の兄弟は彼に馬をけしかけ、顔を踏まれた彼は鼻が取れ顔の真ん中に穴があく。
赤毛の女の子だけ彼にやさしく接する。彼女は彼の頭のよさに気づき、彼に聖書を読ませる。
女の子は伯母の前で聖書の一節を暗唱させるが、伯母は捨て台詞をいって彼を馬糞の中に突き飛ばす。
成長すると兄弟は馬小屋に近寄らなくなり、赤毛の女の子も遠くの寄宿舎学校へ行く。
やがて伯母に見捨てられた彼は街に出るがそこでひどい目にあい、森に行く。
彼は家を建てようとして建材にする石を探す。すると、
「石を探している時、山道を歩く青年に出会った」(P53)
こうして惨劇の幕があがる……
というのが大まかなストーリー。
同じように馬小屋で生まれた救世主イエス・キリストのホラー版という気がしないでもない。共通点もいくつかある。
まずともに馬小屋で生まれたこと。
そして顔にあいた穴は十字架に磔にされたイエスの手にあいた穴と同じ聖痕という気もする。
しかし彼(都合上彼と呼ぶ)にはその生涯を予言する東方の三博士や聖母マリアのような存在がまわりにいない。
やさしい赤毛の女の子や無垢の象徴のような少女が登場するが、彼女たちに彼は救えない。
子どもを救うのは天使ではなく大人だと作者はいいたいのかもしれない。
馬糞と血にまみれた臭くて醜いイエスは人々に救済をもたらさず、逆に恐るべき災いをもたらす。
まったく救いがない話で、スプラッタホラーを見るときのような逆説的な快感もない。
では作者はなぜこんな暗いというより冷たい話を書いたのだろう?
真相はわからないがこれは現代の文芸誌より、古代ギリシアの古潭を集めたイソップ寓話集に収録されるのがふさわしい話だと思った。
イソップ寓話集は話の最後に必ず教訓が添えられる。冷たい森の白い家でいうと、
「この話は
運命には逆らえない
肉親の愛に恵まれない者は知性に恵まれても不幸の道を歩む
という教訓を語ったものです」
ということになるだろうか。
ずいぶん通俗的な教訓だな、といわれるかもしれないが。
乙一のホラーには二つ特徴がある。
一つは恐怖の極限のようなホラー。ZOOに収録された『SEVEN ROOMS』がその代表作。
そしてもう一つは悲しすぎて打ちのめされた気分になるホラー。
今回紹介した『冷たい森~』がその代表作である。
付記
この小説のタイトル『冷たい森の白い家』は子役時代のジョディ・フォスター主演のホラー映画『白い家の少女』を意識しているのではないか。
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