星空未体験記

みゐ

星空未体験記

 『今日は十時から十三時頃まで雨の予報です。湿度は七十二パーセント、降水量は一ミリ程度でしょう――』

 毎週火曜日の聞き慣れた天気予報が響く。湿度が高いと髪が広がったり、雨が降ると道が濡れたりして面倒だ。何でわざわざコントロールしてまで雨を降らせるんだろう。管理者は何を考えているのだか。


 火曜日、今日は待ちに待った火曜日だ。家の近くの広場がプラネタリウムになる日。ただの解説付きの星空観賞と言えばそれまでだけれど、これが私の癒しになっている。プラネタリウムというと、昔はドーム型のものが建てられていたらしいけれど、それじゃあ開放感がなくてつまらない。開けたところで真の星空が見えるからこんなにも素晴らしいのに。お祖母ちゃんにそれを説明したら『本物の星空の方がもっと美しいんだよ』って、この星空も本物でしょう?この星の光が何年もかかって届いているから、素晴らしい本物なんだ。

 私たちには手が届かない神秘。それが星だとお祖母ちゃんは言っていた。私も、星を見るたびに自分の悩みなんかちっぽけで、希望も星のようにたくさんあると思えて救われてきた。初めて望遠鏡を買ってもらったときは夜通し星を見続けたりもした。あの美しい光を見るのが大好きだ。



 「今日の帰りなのですが、システムの故障によって豪雨になっているそうなので、システムが復帰するまで教室にいるようにと、先生からの指示です」

 いつもの委員長が声を張る。もうリュックを背負って席を立っていたが、もう一度座った。システム故障って、スマホゲームじゃないんだから。

 窓の方から聞こえる音はいつもよりずっと激しくて、生まれて初めて雨に恐怖を覚えた。これじゃあ今日のプラネタリウムは中止かな、雨が止んだとしても芝生に寝っ転がれない。それこそ、強風でも吹かせて乾かしてくれればいいのだけれど、そんなことを大人たちが考えているはずがない。

 まだ帰ることもできなさそうで、教室では非日常が騒いでいる。家にいるお祖母ちゃんにも一応連絡しておこう。『帰るの遅くなりそうだから、夕飯の準備できないかもしれない』っと。


 あんなに騒いだ割にシステムはすぐに復帰して雨は止んだが、ところどころ障害が残っているらしい。星はシステム制御の範囲外だから見られるはずなのに、今日はまだ見えない。雨が降りすぎて高くなった湿度のせいだろうか。湿度が高くて星が見られないというのは聞いたことが無いけれど、いつも同じように光っていたものがないと、どこか寂しく感じてしまう。


 「お祖母ちゃん、ただいま。遅くなってごめん」

「おかえり。もう夕飯の支度始めてるよ。今日はプラネタリウム行くのかい?」

「今日は行かない。芝生がびしょびしょだったら嫌だし。そう、あと聞いて!今日は星が全然見えないの。雨のせいかな」

「雨の後は空気が澄んでよく見えるはずだよ。お月様は見えたかい?」

「そういえば見えなかった」

「じゃあ故障かね」

「星と月とかは制御の範囲外でしょ。人間だっては地球外のことはさすがに動かせないじゃん。天気は地球上のことだからできてるけど、月でさえ遠すぎるんだから」

「本当の話を聞いたことがないのか。地球は人間のあやつり人形だとも聞かないか?」

「地球は大切な自然だよ。いつも皆で大切に守ってるじゃん」

「この世界のことはみんな必死に守っているがな……」

「ねぇ、何の話?」

「じゃあ、本当の話をしてあげよう。ただし、すぐ忘れたほうがいいがな――」


 昔々、まだ子供だった頃、戦争が起こった。些細な国同士の論争が、いつの間にか兵器の比べっこになっていた。大きな大きな戦争は、僅かな人々を残してすべてを燃やした。木々も、動物も、建物も、この片腕も、全部、ただ灰になって、地球は枯れた。人間がたった数か月のうちに壊し尽くしてしまった。戦場がなくなって戦争が終わった。

 それでも地球に住み続けたい人間はドームを作った。進化しすぎた技術を使って、大きなドームを五つ作った。そこに全ての人間を詰め込んだ。だだっ広いドームに、とても少なくなった人間が住み始めた。そしてドーム内を開発した。綺麗な、美しい、素晴らしい自然を溢れさせた。木があって、建物も建って、空気も澄んで星が作られる。もう枯れることはない、人間の自然を作った。この世界に不自由はないが、自由がない。本物が何一つ見えない中で、制限された世界の中で生き続けなきゃいけない。

 その星だって、月だって、結局は偽物だ。その光に命はないから、それを見ても美しくなんて思えないんだよ。開発されたドームはこれ以上ないほど快適で、幸せに暮らせる。それでも本当のことなんて誰も知ることはできないんだ。


 これを話すお祖母ちゃんは何よりも真剣だった。けれどどうしても作り話に聞こえてしまう。昔の逸話を聴いているような気分になってしまう。この世界はドームの中だなんてただの噂で、地球は美しいと思っていたのに。

 「何しろもうすぐ死ぬ身だから、誰にも話さないつもりだったんだが、話してしまったよ。最後に星の一つでも見られれば良かったのにね」

 お祖母ちゃんはもうだいぶ年を取っているし、いつ寿命が尽きて死んじゃうかわからないけれど、そんなことは言わないでよ。星はそこでいつでも見られたじゃん。

「じゃあさ、星、見に行こうよ。ドームにだって出口はあるんでしょ。私だってこのドームの外があるなら出たい。これが偽物だって聞いっちゃったからには見たいよ。今すぐ行こう、私だって運転くらいできるんだから」

 お祖母ちゃんの言う話が本当なのかはわからないけれど、本当ならそれは面白いかもしれない。それに、知ってしまったからには本物の星が見たい。

「今は運転も学校で習うんだったか。だが外に出たらもう戻っては来られないと思うよ」

「それでもいいよ。最期になるならお祖母ちゃんと本物が見たい。見れたら後悔なんてしない。だから」

「そんなに言うなら行こうか。行くなら、大切なものにお別れを告げてきなさい」

「……わかった」

 お祖母ちゃんの話は本当だ。確信を持ってしまう。それでもお別れを告げるほどではないでしょ。


 小さいころから一緒の猫のぬいぐるみ、お気に入りのキーホルダーに文房具、大好きな本、数少ない友達、学校、いつもの勉強机、私の部屋の全部、この家の全部、ドームの星。今までありがとうございました。また逢えたらいいね。すぐ戻ってこられるとは思うのだけれど。


 私の車を出す。この車ともお別れらしい。鍵をかざして目的地を入力する。目的地、一番遠いこの広場にしておこう。

「お祖母ちゃん、行こう」

「そうだね」

お祖母ちゃんも何も持っていなかった。いつも『大切なものはいつもここにあるんだ』って、言ってるもんね。

「ねぇ、お祖母ちゃんは怖くないの?」

「怖いのかもしれないけれど、一人じゃないから平気だよ。大切なものは全部ある」

「そっか。私も、同じ」

こんなに速い車でも目的地までは思った以上に時間がかかった。目的地の先に続く道を行ける限り進む。整備されていない道も通って、空が、ドームの天井が、近づいてくる。出口に近づいていく。

「本当にいいのかい?まだやれることもいっぱいあるだろう」

「私は、星が見たい。何よりも見てみたい」

「そうか」

 警備もゆるく、柵らしきものは壊れていて、簡単に出口に辿り着けてしまった。正直やりたいこともないわけではないが、星が見えるならそれ以上は望まない。もっと足止めがあると思っていたけれど、私のやりたいことは案外すぐにできてしまうようだった。


 「じゃあ、開けるよ」

「ああ、頼むよ」

 空色に染まっているドームの出口を開ける。お祖母ちゃんの目は

優しかった。

 二人で同時に外に踏み出す。



 何、これ。荒れた大地に、皮膚が溶けそうになる空気、息をすると肺が焼かれるようで、立っていられない。上を向くことなんてできない。私の知っている地球じゃない。

 怖い。これが本物なの?私が見たいと思ったのはこれなの?予想と違いすぎる。もっと美しいものを見せてよ……。

 どうにか隣のお祖母ちゃんを見ると、すでに倒れていた。目も閉じているし、息もしているかわからない。叫びたくても、声を上げられない。こんなことになるなら、一番伝えたいことがあったのはお祖母ちゃんなのに。

 私も耐えられなくなって地面に横たわった。もう息ができない。全身が痛くて、動くこともできない。

 最後に見えた空は、一つの星と満月を浮かべていた。

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星空未体験記 みゐ @tuki_bi-al

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