父親の独白

「これ、頼みますね」


「⋯⋯分かった」


 同僚に仕事を押し付けられた。大体一人分に与えられる仕事量である。

 それがほぼ毎日続いている。

 だけど、不思議な事にその同僚も仕事に紛争している。だから、反抗する気にも成れなかった。

 俺よりも若い彼だが、入社当時は一緒に切磋琢磨した仲だ。

 いつからか、彼は変わってしまった。だけど、多分昔と中身は変わってない。変わったのは、変えてしまったのは、環境だろう。

 本当に困っていると思い、毎日残業である。

 そして、反省した俺はきちんとそれを行う。


 仕事を押し付けられて残業が続く日々、日に日に細くなる手。クズな俺にはお似合いだな。


「あの、私お手伝いします!」


「いや、ここは妻の私がやるから、貴女は帰って大丈夫よ」


「いえ、そう言う訳には⋯⋯」


 後輩女性が先に手伝ってくれると申し出てくれるが、妻がそれを諭す。

 若いうちから苦労は知った方が良い。だが、それが重なるのは良くない。辞めてしまう原因になる。しかし、嫁に苦労を掛けてしまう。


「そうだな。ありがとう」


「当然ですよ」


「いや、ですので⋯⋯もう! 先輩のバカ」


 小声で罵倒されるのも馴れたモノだ。

 俺は罪悪感に苛まれながらも、一人では無理なので手伝って貰う。


 残業は日を跨ぐ時もある。

 俺の嫁に成ってくれた優しい方が手伝ってくれる。


「もうそろそろ終わるし、先に帰ってくれ」


「でも⋯⋯」


「大丈夫だ。白奈ちゃんを安心させてやってくれ」


「天音君が悲しみますよ」


「ははは。バカ言っちゃいけない。天音は俺の事なんて気にしてもない。過労で死んだら、表には出さなくても内心喜ぶんじゃないか?」


「そんな子供は居ませんよ」


「居るんだよ。俺はそれだけの傷を、あの子に付けてしまった。さ、お帰り」


「ええ。先に帰りますね」


 それから俺は二時間程残業をしてから帰る。

 同僚に仕事を押し付けられる日々に疲れるが、明日は休みだ。

 少しは休めるだろうか。


「あの、先輩!」


「あれ? 戻って来たのか?」


「いえ。ちょうど切らした物がありまして、買いに行くところでした」


「そうなんだ。それじゃ」


「ま、待ってください!」


「何?」


「その、少し、飲みませんか?」


「すまんね。俺はもう、酒は飲まないって決めてるんだ。反省しているんだ」


「反省?」


 悲しい顔をしている後輩を置いて、俺はそのまま帰る。家には俺を待ってくれる妻が居るんだ。義娘が居るんだ。

 俺が守らないといけない、息子が居るんだ。

 途中で昔に長らく通っていた場所を通る。

 深夜だから電気は消えている。


「クソっ! 手が震える。俺は、俺はもう」


 震える右手を抑える。疲れが溜まっているからか、とても惹かれてしまう。

 急いで、家に帰らなくては成らない。

 一度足を踏み入れたら、戻れなく成ってしまう。


「お? ルイちゃんじゃないか?」


「シゲさんじゃないか?」


 俺は久しぶりに、旧友に出会った。

 まぁ、互いにパチンコにのめり込んだクズだった。

 シゲさんは俺よりも年配の方であり、今は確かホームレスだった気がする。


「一杯、どうだ?」


 ビール缶を渡して来るが、手で断る。


「もう、引退したんだ」


「そうかい。少し、話さないか?」


「良いですね」


 それからベンチに座り、空を眺めながら近況を話す。


「そっちはどうだい?」


「再婚して、義理の娘が出来たよ」


「そうか。変わったな」


「あぁ」


 俺はどうしようもないクズだった。

 嫁を持っていながらも色んな女に走った。

 その中には子を孕ませてしまった人も居る。当時の俺はそれを無視した。

 息子に失望されても仕方がない。

 だが、嫁を失って初めて、俺は気づいた。とにかく悲しくて、そして自分に失望し、後悔を繰り返した。

 反省したとしても、それを証明する術は無い。


「後悔の連続、か」


「ええ。シゲさんは?」


「最近は廃墟に身を置いている。ちょっとした収益が定期的に入ってな、社会復帰を目指してる。そしたら、また迎え入れてくれるかもしれん」


「家族が、シゲさんにも居ますからね」


「あぁ。羨ましいよ。社会人に成れたお前はさ」


「ほんと、幸運でしたよ。定期的な収益が入るから、余裕なんですか?」


「まぁな。まぁ、頑張るさ」


「ですね。互いに頑張りましょう」


 疲弊していた心が回復して行く感覚するがする。

 友人と話すのは、楽しいモノだな。


「息子とは、どうだ? 見ていた感じ、難しいと思うが」


「あぁ。俺は親として、人間としてダメだと言われたよ。俺はほんとダメだな」


「はは。そりゃあ、辛いな」


「あぁ。昔なら、暴力で黙らせていた。でも、その時は、本当に辛く悲しいよ。何も出来なかった。シゲさんは後悔してないのかい? 堕ちた事をさ」


「後悔し飽きた。後悔しても何も変わらない。後悔して、それを続けて、何も出来ないよりかは、前に歩き出す方が良い。おめぇもそうだろ?」


 俺は⋯⋯そんな前向きな考えは出来ない。いや、シゲさんだってそこまでポジティブな訳がない。

 俺には分からない苦労があるだろう。

 きっと、後悔する時間すら、彼は前に歩き出す時間に変えているのだろう。


「俺は今も後悔を引き摺ってます。嫁が亡くなるまで、本当の大切なモノに気づかなかった愚か者の末路って奴ですかね」


「おめぇ、それは無いぜ。お前さんよりも、儂なんかよりも、辛い目に合っている奴はいるぜ? その中には確かに、自業自得って言葉で片付けられる奴もいるだろうがな」


「⋯⋯そうですね。確かに、それと比べたら俺はまだ恵まれている」


 俺は立ち上がり、空に向かって叫ぶ。


「俺は反省した! いずれ、人間として、父親として、認めて貰える様に、頑張るぞおおおお!」


 本当はもっと言いたい事、話したい事がいっぱいある。

 だけど、疲れたので帰る事にした。


「戻れたら、連絡くださいね」


「おうよ」


 俺は連絡先を渡して家に帰った。

 俺のスマホに息子の連絡先はない。悲しい事にな。

 だが、全ては俺の責任だ。

 俺はクズだ。反省したと行動で示そうとしても、それは伝わらない。伝えようとしているのかも分からない。

 言葉で言った。だが、それはあくまで口から出た『言葉』でしかない。

 人の印象は簡単には変わらない。一つのミスが長らく相手の心に付き纏う。


 俺の場合は一つなんかじゃない。

 永劫の時があっても、俺の罪は許されない。それは自分でも分かっている。

 それでも、少しばかりは、俺と言う変わった存在を見せてやりたい。


 翌朝、俺は久しぶりに天音と目を合わせた。

 面と向かって顔を合わせた。

 天音がどんな感情を渦巻いているのか分からない。だけど、少しばかり、嬉しいと思ってしまった。

 この日はいつもよりも早く天音達が学校へと向かった。


 そして、俺は、緊急の仕事が入り会社に行く事と成った。


「付いて来るな」


「で、でも」


 スマホを見せながら言う。


「これは俺の仕事だ。どんな事があろうとも、俺の仕事だ。俺は反省したんだ。だから、俺がやり遂げる。俺じゃないとダメだ」


 そして、翌日いきなり入った新人社員に寄って、俺の人生が変わる。

 悪い方では無い。ただ、変わったのだ。

 その社員は俺を見る度に嫌そうな顔をしていたが、仕事は俺の倍⋯⋯四倍くらいは速かった。

 変わった日は丁度、天音達のテストが終わった翌日の日だった。

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