謁見

牛尾 仁成

謁見

 皇帝をしいすることは今の自分にはさして難しいことではない、と彼女は確信していた。位人臣を極め、公爵の地位を得た今であれば、皇帝に対して退位を求めることもできる。少なくとも、彼女の権力を持ってすればこの色褪せた皇帝を取り巻く臣下たちを根こそぎ排除することは可能だ。


 最早自分の野望を邪魔する存在はこの国にはいない。いたとしても、造作もなく粉砕できる。それだけの実力を彼女は間違いなく有しており、実際そうしてきたことは一度や二度ではない。圧倒的な実力の前には、皇帝という実権の無い存在など木偶同然であった。だから、彼女はこの謁見を通し相手を測る必要を認めていた。


 今まで、神聖にして不可侵と呼ばれていた存在がどれほどのものか。つまらない奴であればこの場で命をもらっても構わないとさえ思っていた。


 ――己が内に大きすぎる獣を飼っているな、公爵。


 それが、初めて皇帝が公爵に直接かけた言葉であった。


「さて、それは今陛下が玉体を預けておられる椅子でありますかな?」


 肯定する内容が返答であれば、それまでのつもりだった。公爵は己の殺気を隠しさえしない。暗殺者でさえねじ伏せる公爵の眼力は、容赦なく色褪せた皇帝を射抜く。


 ――否。折り重ね、紡ぎあげてきた無数の営みそのものだ。余が座るこのちっぽけな椅子などではない。


 一瞬、彼女の害意が空白となる。


 ――案ずるな。そなたが欲するなら皇帝の位などいつでもくれてやる。


 油断を誘う詭弁か、皇帝の口からこぼれる言の葉が静かに邪悪な女を覆い始めていた。


 ――だが、この冠はそなたの獣が気に入るか? 獣が欲しているのは別のものであろう。


 声は聞こえなかったが、彼女は自分の耳が皇帝の笑みを聞いた気がした。それと同時に、彼女は一切の躊躇も、かけらの緩みも無くこの初めて会話した人物の為人を洞察した。


 帝国有史、一千八百年の歴史、その頂点に君臨し続ける神聖にして不可侵な存在は決して与太でもなければ傀儡でもない、と。


 皇帝はのだ。しかも、その気になればいつでも一人で片付けられてしまう。間違いなく、それだけの実力がこの何の変哲もない玉座の男にはあるのだ、と彼女は認識させられた。


 強者は強者を知る。事実、彼女の力は間違いなく古今類を見ない次元に到達していた。だが、長い間誰もこの人物の本当の実力を見ようとしてこなかったから体感していないだけで、実質この帝国はこの男一人で保たれてきた。蟻が山を認識できないのと同じで、巨大すぎる力を正しい尺度で認識できていないだけだったのだ。只人ならざる公爵はこの謁見で、既にここまでを瞬時に見通したのである。


 玉座に続く階段の下から見上げる彼女の視線を泰然と受け止めながら、皇帝は言葉を重ねた。


 ――そなたが余を測ろうとしていたように、余もそなたに興味があった。よい。実によい。これからもそなたの好きなようにするがいい。地に足をつけながら度し難い望みを持つ者同士、精々励もうではないか。


 彼女はもう決して感じることはないであろうと思っていた感覚を、あの苦々しい月が浮かぶ夜とともに思い出した。悍ましく、忌々しい、そして遠き日の彼女を震わせた戦慄であった。久しく感じていなかった恐怖を思い出しながらも、公爵は何ら揺らがない。一種、傲然とさえ聞こえる峻厳な声で告げた。


「……陛下のお望みを叶えるのが、臣の勤めであれば」


 二人以外誰もいない謁見の間に、うるさいぐらいの静寂が横たわる。


 

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謁見 牛尾 仁成 @hitonariushio

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