第300話

 松岡の謎かけのような話に何かを感じ取ったらしい一花は、唐突に


「私がお昼ご飯作ってあげる!」


 と言い出してキッチンへ駆けて行った。


「やっぱり元気な奴だな」

「でも、伯父さんから実の親子じゃないって聞いたときは修羅場だったみたいですよ」

「そりゃそうだろ。で? お前が慰めてやったのか?」


 伊織は情けない顔で首を振った。


「俺もその時親父が倒れてパニックだったんで、一花が遠慮したみたいです。親友の家に泊めてもらって、次の日遊び倒して復活したらしいです」


 塩が固まってるー、と文句を言う姿を離れて見つめながら、松岡は吹き出した。


「お前の出番、無かったか」

「いいんですよ。その代わり、プロポーズしたんで」

「……は?」


 キョトンとする松岡に、今度は伊織が吹き出した。


「だから、一花は俺のもんです。娘が欲しかったら他で作ってください」

「ちょっと待て、お前らまさか……」

「ちょっとー! フライパンもないとか、どうなってるのよー?」


 ボウルと菜箸を持ったまま、一花がぷりぷり怒りながらこっちへ向かってきた。


◇◆◇


 松岡のマンションから出て、一花と伊織は手をつなぎながら家路をたどる。

 用事は済んだが、まだ日が高い。このまま別れるのは名残惜しかった。

 どちらからともなく、あちこちブラブラ見て歩いたりして、疲れたところで目についたカフェに入った。


 一花は、言いづらそうにしながらも、伊織に話しかけた。


「伊織くん家は、これから、どうするの?」

「……親父とママは、来年ロンドンに行く」

「離婚、しないんだ」


 伊織は頷いて、アイスコーヒーを一口飲んだ。


「意外だけどね、親父が決めた。ママの意見は無視、って言ってたけど、ママのことを一番に考えた結果だと思う」

「……あんなひどいことされたのに?」

「俺もびっくりして突っ込んじゃったよ、それでいいの、って。でも、親父はやっぱりママのこと誰よりも分かってるし、愛してるんだと思う。だから、全部親父に任せることにした、俺も」

「じゃあ、伊織くんも」

「俺は残るよ、こっち。お前のことも認めてくれた。つか、親父は俺とお前が血がつながってるって思ってたらしいけど、そうじゃないならいいやって感じみたい」


 そして向かい側から一花の手を握った。


「まだ全部解決したとは思わないけど……俺たちは変わらないよ。そうだろ?」


 一花は真っ赤になりながら、伊織の手に自分の手を重ねて、しっかり頷いた。


◇◆◇


 週明け、広瀬は上層部に退職の意思を伝えた。

 当然、受理されなかった。考え直せの一点張りで、次々と役員が乗り込んできて引き留めようとするのには驚いた。

 会社としては新規の支部を広瀬に任せようとしており、それを踏まえての来期の計画だったため、今ここで広瀬に退職されては、人員配置含めて全てを考え直さなくてはいけない。

 赴任期間が終わればまた日本へ戻して役員へ引き上げることも検討している、と言われて、それはおそらく慰留案に過ぎないと分かっていたが、長年勤めた会社からそこまで必要とされていることは、素直に嬉しかった。


 やはり、友梨は退職していた。


「ご家庭の事情だそうです。お兄さんの看病が必要だって」


 友梨の直属の上司に当たる女性社員が、広瀬に残念そうに報告してきた。友梨が広瀬の手伝いもしていたことを知っていたので、広瀬の入院中の退職を、不義理だとも思っているようだった。

 しかしその報告を聞いて、広瀬はホッとする。

 看病の必要が出来た、ということは、あの車いすの青年は意識を取り戻したままだ、ということだろう。

 友梨たち兄妹にとっては、それが何よりの成果かもしれない、と思った。


 そして、夜、事前に約束を取り付けたうえで、文哉のオフィスへ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る