第299話

 次の日曜日、一花は伊織に頼んで、二人で松岡の家を訪ねていた。

 なぜか松岡は異常に緊張していた。

 マンションの中に入れば、これでもか、というほど、花やプレゼントらしきものがあふれていた。


「……親バカ?」

「そんなんじゃない、ただ、何すればいいのか分からなくて……」

「きゃー! めっちゃ高い! すっごーい、景色いいねー」


 一花はそれらには目もくれず、リビング一面の大きな窓に飛びついて外の景色に見入っていた。


「お前が言った通りの反応だな」

「良かったっすね。この景色のおかげで娘を連れ込めますよ」

「……おかしな言い方するな」


 松岡は力が抜けたような息をついて、ソファに腰を下ろした。それを見て一花たちも向かい側へ座る。


「で? 話って、なんだ?」

「えーとね、おじさんが覚えてる、ママの話をしてほしいの」


 松岡は意外な要求に驚く。しかし、先日来から少しずつ思い出していたことを話し始めた。


「お前さんのお袋さんとは、仕事を通じて知り合った。お袋さんが当時勤めてた会社の上司が俺のクライアントでな。秘書をやっていたお袋さんが連絡役だった。その流れで何となく仲良くなった」

「……恋人だったの?」

「申し訳ないが、それほどはっきりした関係はなかった。当時俺は最初の嫁と離婚したばかりだった。それも、仕事が忙しすぎて月に一度家に帰るか帰らないか、って生活をしてたせいだから、独り身になったからといってすぐに女作る気も無かった」

「でも……ママは妊娠したんでしょ。そ、そういうことを、したんだよ、ね……?」

「したな。多分」

「多分?!」

「悪かったよ。でも疲れ切ってると、どうしても人肌が恋しくなることがあるんだよ。後で倍疲れるってわかっててもな」


 一花はチラリと伊織を見る。


「な、なんだよ?!」

「男が全部そんなんだと思わなくていい。お前の親父さんも、そっちの親父も、俺とは正反対のタイプだろうよ」


 一花は少しほっとして頷いた。


「もっと言うと、あの頃、そんな相手が他にもいた。職業柄揉め事は避けたいから、避妊には気を使っていたんだが、まあ、例外があったってことだな」

「なんでママは、妊娠したことをおじさんに言わなかったのかな」

「連絡手段がなかったのかもしれんな。俺もほとんど覚えてない」

「おじさんから見て、ママってどんな人だった?」

「……真面目で明るくて、いつも一生懸命だったな。専務秘書だったんだが、他の役員や社員の手伝いも進んで引き受けるらしくて、上からの評価は高かったよ。でも、多分……無理してたんだろうな。だから、俺みたいなのと付き合ったのかもしれん」


 伊織は違う視点から、松岡に聞いてみた。


「どうして、そんなに好きでもない人と、自分をいじめるみたいな恋愛するんだろ、大人って」

「それは……お前のお袋さんのことか?」


 伊織は頷く。


「ヤケ酒とか、お前らも聞いたことあるだろ。本当は旨いはずの酒を、ただ酔いたいためだけに呷ることがある。味なんか覚えてないし、種類も銘柄も何でもいい。今の感情から、現実から逃れられるならそれでいいんだ。それと同じだろうな」

「ママは、おじさんのこと好きだったのかな。それとも、嫌なことから逃げたかったのかな」

「それは知らん。けど、お前さんを産んで育てたってことは、そっちのほうに意味があったんじゃないのか?」


 一花はパッと顔を上げた。


「お前さんも、お袋さんのこと全く覚えてないわけじゃないだろ? 文哉氏から色々聞くことも出来るはずだ。ちょっとすれ違っただけの俺よりも、二人で話したほうが、お袋さんの考えを理解するには近道なんじゃないのか?」

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