第280話

 一花に夕食が出来たと呼ばれて行くと、そこには文哉の好物がずらりと並んでいた。

 茸の炊き込みご飯、金目鯛の煮つけ、ブロッコリーのプチグラタン、鳥のつくね汁。

 文哉は驚いて目を丸くした。


「これ……」

「えへへ。大分前だけどね、おばちゃんに教えてもらったんだ、パパの好物。あとね、このお皿もあの時もらったの。和食って見た目が地味でつまんない、って言ったら、器で工夫したら? って教えてくれて」


 頑張ったんだよー、と胸をはる一花を直視できず、思わず顔を逸らしてしまった。


「あ、あれ? 今日はこういう気分じゃなかった? 洋食のが良かったかな」


 慌てる一花に文哉は必死で首を振って否定する。


「違う……。すごいな、嬉しいよ、本当に……ありがとう」

「う、うん」


 嬉しいと言いつつ見たことがないほど辛そうな顔の文哉に、一花は不安が募る一方だった。だが、文哉が食卓についたので、一花も向かい側の自分の席に腰を下ろした。


「いただきまーす」

「いただきます……」


 文哉が椀に口をつけるのを、一花はじっと見つめる。


「ど、どう? おばちゃんほど上手じゃないかもしれないけど、不味くはないと」


 思うんだけど、と言おうとしたが言えなかった。文哉が顔を覆って泣いていた。


「一花、ごめん、本当にごめん……」

「えっと、無理して食べなくていいよ、ほら、明日のお弁当とかにするし」

「違う、違うんだ……。お前に話さなきゃいけないことがあるんだ」


 一花は文哉が帰ってきた時の違和感を思い出した。そして黙って箸を置き、父の話を聞く姿勢をとった。




 秋の夜は虫も鳴かず、人通りが無ければ完全な静寂だ。

 機械のモーター音のような唸りが微かに聞こえてくる部屋の中で、一花は今聞いた話を何度も繰り返し思い返していた。


 父の文哉と叔母の桐子が、実の兄妹ながら愛し合ったことがあったこと。伊織はその時に桐子が孕んだ子どもであること。

 一花は愛子が文哉と出会う前に妊娠した別の男の子どもであること。

 一花と伊織が恋仲であることは伊織から聞いて知っていること。

 愛子の死因は、事故や病気ではなく、自死であること。

 この全てを、桐子だけでなく伊織も広瀬も知ったこと。


 一花は周囲から音と色が消えた気がした。頭と心が激しく入り乱れて混乱している。記憶に残る母の面影。家族三人で行った遊園地や動物園の風景。

 母が突然死んだときのこと。項垂れる父の横顔。息せき切って駆け付けてきた叔母に飛びついて泣きじゃくった自分。


「ママは……」


 ふいにつぶやいた一花に、文哉は顔を上げた。


「ママは……パパをおばちゃんにとられたって思って、死んじゃったの……?」

「分からない。ただ、伊織くんの本当の父親が誰かを知っていたんだと思う。きっと、ずっと悩んでいたと思うよ」

「……死んじゃいたいって、思うくらい?」


 言いながら、一花の両眼に涙が溢れてきた。自分が泣けば父が苦しむことは分かっていても、止められなかった。

 母への恋しさと、死んでしまってからの寂しさと、もしかしたら今でも一緒にいられたかもしれない可能性への絶望と、それらを引き起こした張本人の父と叔母への絶望で息が苦しくなってきた。


「だから、おばちゃんは……パパの病院に毎日来てたの? もしかして広瀬おじちゃんが倒れたのって、パパたちのせい? パパ、おじちゃんに何したの? どうしてずっと黙ってたの? 私……パパの子じゃないの?」


 最後の言葉に息を飲んですぐに返事が出来ない文哉に、一花は愕然とした。

 そして椅子を蹴倒すようにして立ち上がると、そのまま家を飛び出した。


「一花!」

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