第272話
驚く文哉たちの許へ、スタッフの先導を追い越した伊織がノックもせず部屋へ入ってきた。
「ママ……」
まさか桐子がいるとは思わなかったらしい伊織は、その姿を認めて驚く。しかし驚愕の表情は、すぐに侮蔑へ変わった。
「やっぱり伯父さんのとこに来るんだ。親父も家にいるのに、頼るのは伯父さんなんだね」
桐子は思わず目を逸らす。ここへ来たのは確認したいことがあったからだが、家に広瀬を置いてきたことは事実だった。
だが桐子の反応を、伊織は自分の皮肉な予想が当たったせいだと理解し、更に耐え難い怒りが込み上げてきた。
伊織はその感情を、そのまま文哉にぶつける為に向き直った。
「伯父さん、この前の質問の答え、聞きに来ました」
文哉は更に緊張を増しながら、頷いた。
「ママと伯父さんの、本当の関係を教えてください。二人は、兄妹ってだけじゃないですよね。ママと伯父さんは」
「そうだ」
伊織の言葉が終わらないうちに、文哉は肯定していた。全て聞くことに堪えられなかった。他の誰でもない、伊織の口から罵られることが辛かった。それこそが自分に課せられた罰なのだと分かっていても。
そして、二人に頭を下げた。
「伊織くんの父親は、俺だ」
深く頭を下げる文哉を前に、伊織も桐子も、何もできなかった。
否定することも、罵倒することも、泣くことも、責めることも。
伊織は予想していたことより何段も深く重い事実によるショックで。
桐子は、想像しうる中で一番最悪の予想が的中してしまったことで。
◇◆◇
広瀬は来客用のカップにコーヒーを注いで、行儀よく座っている友梨に出した。
「まさかお家に入れていただけるなんて」
「外で話すわけにはいかないだろう」
「ご近所の目があるから?」
くすり、と笑って、くるくるとスプーンでコーヒーをかき回してからミルクを注ぐ。綺麗な白い渦巻きが出来るのを、広瀬もぼんやりと眺めていた。
「会社は? まだ業務時間中だろう」
「早退しました。大事な用があるので、って」
再び意味ありげに含み笑いする友梨から、広瀬は目を背ける。その反応すら面白がっているように笑うと、友梨は一通の封筒を差し出した。
「兄から言付かってきました。ご一家をご招待したいと」
「……お兄さん?」
「川又裕之といいます。マネージャーは……きっとご存じないでしょうね。義理のお兄様にはとてもお世話になっているそうですよ」
「義兄と……」
ここで文哉の名が出るとは思わなかった広瀬は、つい封筒を受け取る。まるで結婚式の招待状のような、真っ白で上質で、金糸の装飾が施されたものだった。
「本当にお世話になったのは、奥様のほうですけれど」
続く友梨の言葉に、広瀬は驚いて封筒を落としそうになる。なぜここで桐子の名が出るのか分からない。
友梨がまた黙ってしまったので、広瀬は封を開けた。中にはカードが入っていた。封筒同様の美しい装丁で、日時と場所が印刷されていた。
「ここは……」
「是非奥様とご子息とご一緒にお越しください。きっと……マネージャーがずっと知りたいと思っていたことも、隠されてきたことも、全部知ることが出来ると思いますよ」
「君は……何者なんだ」
広瀬は友梨をまじまじと見つめる。少し前に入社したばかりの、よく気がつく内勤スタッフの一人だったはずだ。仕事熱心で、残業も厭わない姿勢に好感をもった。
そして広瀬の生まれて初めての、そして二度とないだろう過ちの相手だった。
しかし友梨の今の言動は、それともまた違っていた。広瀬の想像が及ばず混乱する。
「それも、この日に全部わかると思うわ」
ごちそうさま、と言ってカップをソーサーへ戻し、立ち上がる。呆然としたままの広瀬の唇に掠めるようなキスをすると、そのまま玄関から出て行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます