第261話

『香坂広瀬様


 突然手紙を出して驚かれたと思います。

 義姉弟とはいえ、個人的なお話をしたことはありませんでしたね。

 それでもあなたのお人柄は、桐子ちゃんからも夫からも聞いております。

 穏やかで優しくて頼りがいのある方だと。

 それはたまにしか会うことのない私にも十二分に伝わってきます。

 いつも一花を可愛がってくださって、それも感謝しております。


 そのあなただからこそ、私は最後の手紙の相手にあなたを選びました。

 父でも母でもなく、学生時代からの友人でもなく。

 広瀬くんに知っておいてほしかったのです』


 本棚から滑り落ちた封筒の中は、さらに小さい封筒が二つ入っていた。

 そのうちの一通のあて先は父。裏を返してみれば差出人は『千堂愛子』、一花の亡き母からだった。


 伊織の鼓動がドン、と大きく打つ。そして微かに残る記憶の中の愛子の面影を思い浮かべた。

 小柄で、いつもニコニコ笑っていた気がする。まだ小さかった自分と一花の手を引いて公園まで連れて行って遊んでくれた。

 突然亡くなったことを聞かされた時は、驚き過ぎて現実感がわかなかった。

 

 その愛子からの、父宛の手紙。

 読んではいけないと分かっていても、読まずに戻すことは出来ず中を開いた。

 そして飛び込んできた『最後の』という文字。

 伊織の手が緊張で震えるが、目は先を追い続けた。


『私と文哉が結婚した時、まだ生まれたばかりの伊織くんを連れて二人が会いに来てくれた日のことを昨日のように思い出します。

 とても幸せそうな三人が羨ましくて憧れました。自分ももうすぐあなたたちのようになれるのだと、そう思うと生まれて初めて、生きてきてよかったと思えました。


 でもそうはならなかった。私には罰が当たりました。

 当然です。私には幸せになる資格などなかったのです。

 なぜか、は聞かないでください。

 この期に及んで自分の罪から逃れよう、言い訳をしようとは思っていません。

 ただ、ずっとよくしてくれた広瀬くんに見損なわれて死ぬのは寂しすぎる。

 いえ、これも言い訳ですね。


 手紙を書いた本当の目的は、あなたと伊織くんにとって重要だと思うことがあって、それを伝えたかったのです。

 これをあなたに伝えることは、あなたを傷つけて苦しめることになるのは分かっています。

 しかし私がいなくなれば、きっとあなたは真実を知る機会を永遠に失うでしょう。

 ですからここに告白することをお許しください。


 話したいのは、文哉のことです。

 彼は、確かに私の夫でした。

 過ちを犯し、行き場が無く路頭に迷いかけていた私を拾ってくれた。

 感謝してもしきれません。

 けれど、彼もまた、私を利用していたのです。

 誰にも言えない秘密を隠すためには、私と一花が必要だったのです。


 察しのいい広瀬くんなら気づいていたかもしれませんね。

 文哉が隠したいもの、それは、彼がこの世で誰よりも愛しているのは、実の妹の桐子ちゃんだ、ということです。


 あの二人は、真実、夫婦なのです。』


 伊織は頭が真っ白になって、それ以上読み進めることが出来なかった。


◇◆◇


「伊織? 寝てるの? もう七時よ」


 翌朝、伊織は部屋から出てこなかった。まだ寝ているのか、とも思ってしばらく待ったが、前夜の件もありただの寝坊とは思えず、桐子は伊織の部屋のドアをノックした。

 しかしどれだけ呼んでも返事がない。

 ますます不安が高まる。中へ入ってもいいだろうか、と迷っていたところで、背後から広瀬の手が伸びて、桐子と同じようにノックをして呼びかけた。


「伊織、どうした、具合でも悪いのか? 学校休むならママに言って連絡してもらわなきゃいけないだろう」


 広瀬の呼びかけが終わって数秒後、内側から扉が開いた。真っ青な顔色をした伊織は、桐子をあえて見ないようにして広瀬に顔を向けた。


「親父、ちょっと……大事な話がある」


 伊織の異状に驚く桐子を無視して、広瀬は頷いて部屋に入り、扉を閉めた。


 桐子は廊下で立ち尽くすしかできなかった。

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