第255話

 文哉は各務に連絡を取り、契約締結の面談を取り付けた。そして合わせて、松岡にも連絡を取った。

 文哉としては、売却先を各務、川又裕之に決めたのは、彼に何かしらの思惑があるだろうと想定し、突き止めるためだった。そして松岡には、それに協力してもらうつもりだった。


『別室で、ですか。わかりました……。弁護士というよりは探偵の仕事のようにも感じますが』

「申し訳ありません。ここまで事情を話した上でないと、私としても信頼出来ないことなので」

『ご当主から信頼は嬉しいですよ。無論、自分の罪も忘れていませんが』


 言いながら松岡も、すっかり首根っこを押さえられている自分に苦笑する。

 今ではもうほとんど桐子には逢えていない。文哉に知られた以上、もう二度と二人で逢うことはないだろう。

 それでも、今はむしろこの関係を楽しんでもいた。


「では当日は、少し早めに、出来れば念のため裏口から入っていただけますか。スタッフに案内させますので」


 松岡の了承の返事を得て、文哉は電話を終えた。


(さて、どう出るか……。こちらの期待通り、早めに動いてくれると助かるが)


◇◆◇


 伊織は、学校にいる間もずっと母のことが頭から離れなかった。


 夫である父以外の男性と関係を持っていたこと、それも複数と、どちらも父と顔見知りという節操のなさに呆れた。

 しかしそれを知ったのと同時に、石橋から母の過去についても聞かされた。それはあまりに寂しく、今自分が母から大事にされていることが申し訳なく感じるほどだった。


 松岡や剣とのことを知った以上、今までと同じように母と向き合うことは出来ない。しかし、母の辛さを知らない自分が、彼女の人生の一部分だけ切り取って糾弾することもまた、何か違うようにも思えた。


 そして今、伊織の胸中にはもう一人大きな影が出来ていた。

 伯父の文哉だ。

 幼い頃から母を庇い、労わり、母から絶大な信頼を得ている伯父は、果たして母をどんな人間だと思っているのだろう。

 母にとって伯父がとても重要な存在であることは分かった。だが逆に伯父は、母を、自分の妹をどう思っているのだろうか。


 二人の間には、どんな絆があるのだろうか。


 ひと月ほど同じ屋根の下で暮らしたことで、それ以前よりは伯父への壁を感じなくなった。思っていたよりも気さくで、思っていた以上に頼りがいのある人だった。そして伯父と甥という近さのせいか、不思議と一緒にいると気分が落ち着いた。

 あの一花の父だ、と思うと、一層文哉への信頼と親愛は増す思いもする。


 だが、自分が知っている文哉はごく表面的なものだろう。

 実の娘でずっと一緒に暮らしている一花が『何考えてるかよくわからない』と評するくらいなのだ。

 母の桐子も似たところがある。

 その二人の本当の関係性は、となると。


(俺みたいなガキが一人で考えたって、わかるはずないんだよな)


 昨日は予想外の母の姿に、心の中で握りかけた拳の出し所がなかった。かといって、全てを飲み込んで知らないままを通すことも出来ない。


 母を責めたてることが出来ないならせめて、全てを知りたい。


 一人、心の中で頷いた時、授業の終了と昼休み開始を告げるチャイムが鳴った。

 伊織はスマホを片手に席を立つ。


「あれー? 伊織、メシ食わねえの?」


 いつもの友人たちの声も、伊織の耳には届かない。返事もしないで廊下に出ると、誰も来ない校舎裏まで来て息を整える。

 気持ちを落ち着かせてから、以前教えてもらっていた文哉の番号に電話を掛けた。


 すぐに応答があり、伊織は一瞬怯む。しかし自分からかけておいて逃げることは出来ない。


『珍しいね、どうしたの?』

「あの……、伯父さんにどうしても聞きたいことがあって」


 後戻りできない怖さと、後ろから誰かが背を押してくるような感覚の狭間で、伊織は文哉と会う約束をした。

 

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