第247話
「あなたの……子じゃ、ない……」
目から光が消えた抜け殻のような桐子が、口だけ動かして呟いた。広瀬は自分が鑑定結果を受け取ったときの衝撃を思い出していた。
あれと同じようなショックを受けているのだろうか。しかし、伊織を産んだのは間違いなく桐子だ。その桐子が、この結果を全く意図していなかったとは、広瀬には思えなかった。
「僕なら……騙せると思った?」
「……騙す?」
「仕方ないね、僕が馬鹿だった。愛子さんから何も聞かなければ、きっと今でも一筋も疑っちゃいなかったよ」
「違う……」
「伊織の顔は君にそっくりだ。だから僕に似ていなくても気にならなかったしね」
「違う……違うわ、そんなこと……」
桐子は同じ言葉だけを繰り返し続けた。
伊織は確かに自分の子だ。そして、結婚するまでは正真正銘、広瀬以外とそうした行為をした記憶が無かった。いっそ過去に戻って自分の生活の一部始終をカメラで収めてもらってもいいくらいに、桐子には広瀬だけだった。
「伊織は、あなたの子よ……」
「そうだね、そうだと思っていたよ」
「あなたの子なのよ」
「僕も、そうだったらいいなと思ってたよ。気持ちの上では、これからもずっとあの子の父親だ。けれど……事実は事実なんだ」
「事実、って」
「僕以外の男との子供を、僕の子と偽って結婚した……。違うかい?」
広瀬は自分が冷静さを取り戻していることに気がついていた。皮肉なことに、桐子が予想外に取り乱していることで、広瀬の動揺が桐子に丸ごと乗り移ったかのように思考が整理されいつもの明晰さを取り戻していた。心なしか、体調不良も回復したようにも感じていた。
「違う、違う違う違う……伊織は……伊織はあなたの子よ! だから私は」
「だからそうじゃなかったって言っているだろう!」
しかし広瀬は気がつけば叫んでいた。桐子の否認は、真実ではなく言い逃れと嘘と自分への侮蔑だとしか思えなかった。
「僕がこんなことを間違えると思うのか! 真実を知ったとき、どれほどショックだったかわかるか?! それでも毎日仕事に行って、君たちには気づかれないように過ごしていた日々は地獄だったよ……。君が僕の異変に少しでも気がついてくれれば君を赦そうと思った。でも君は……全く気付いていなかったみたいだね」
いつのまにか桐子は壁際まで後ずさっていた。逃げる桐子を追うように広瀬は近づいてくる。息がかかるほど間近で過去を語る広瀬は、桐子が今まで見たことがないほど酷薄な表情をしていた。
桐子は混乱する頭で過去の記憶を辿る。愛子が亡くなった前後は伊織もまだ小学生で、自分も脚本の仕事が軌道に乗り始めた頃だった。広瀬は……どうだっただろうか。
思い出せなかった。
途方に暮れた桐子に、広瀬はそっと手を伸ばす。
「大学で知り合って、交際して、そのまま結婚するなんて、女性としては申し分ない流れだろうね。そして僕は隠れ蓑にはうってつけだったんだろ? 君に惚れ込んで、君を疑うなんて露ほども考えないおめでたい男……。確かにそんな理由でもなければ、僕を結婚相手として認めるはずはないよね、君も……お義兄さんも」
なぜか広瀬は、ひどく優しく微笑んだ。そして両手で桐子の頬を包み、上向かせて口づけした。
行動だけはこの上なく優しく甘美なのに、桐子は氷の海に突き落とされたようで動けなかった。
「すべてを知っていた僕は、もう用済みかな。そうしたら、三人で幸せになれるね。よかったね……。正真正銘の親子水入らずだ。純血のサラブレッドの跡取りを手に入れた気分はどうだ? これでこの先の千年も、千堂家は安泰だ」
(……千堂家? サラブレッド?)
桐子は広瀬の言葉はもはや音としてしか聞こえなかった。
返事どころか抵抗する様子もない桐子の服を、広瀬は力任せに引き裂いた。
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