第246話
「兄妹、って……」
「君と、お義兄さんだよ、もちろん。……僕も愛子さんも、結婚して家族になった。君も僕らを大切にしてくれている。お義兄さんも、愛子さんを大事にしていたね。でもさ……違うんだよ、君たち二人は」
広瀬はまたも桐子の隣に文哉の影を感じ取る。
もちろん桐子も文哉も、あからさまに仲良さげに振舞ったり、ほかの家族に示威的に振舞ったり、排除してくるようなことをするわけではない。
それでも、二人が醸し出す特別な空間は、それ以外の人間には立ち入れない聖域に見えた。
千年続く名家が築き上げたものは、その莫大な財産でも、世間から恐れられる威光でもない、他者を踏み入らせない目に見えない壁だった。
「それでも僕は君を信じていた。僕がプロポーズしたとき、君は心から喜んでくれた。そして妊娠したと、とても嬉しそうに教えてくれた。あの時の君の輝くような笑顔は今でもはっきり覚えている。僕は一生をかけて君を、自分の家族を守っていくんだ、って誓った」
広瀬はまた桐子ではない別のものを見つめるような目で語り続けていた。
「だから、ショックだったよ、愛子さんの手紙はね……」
「……ねえ、愛子義姉さんの手紙って、何が書いてあったの?」
桐子は数分前の問いを繰り返す。しかし広瀬は、顔を伏せて首を振るだけだった。
「言えない……言えないんだ、ごめん」
「どうして? だって、あなたの話を聞いていると、多分義姉さんの手紙の内容って、兄さんのことじゃないの?」
思い切って自分の想定を伝える。予想通り、驚いて顔を上げた広瀬の目は絶望を宿していた。
「もう亡くなった人を責めるつもりはないわ。それに、夫婦のことだもの……。もしかしたら兄さんが何かしていたってことも無くはないんだろうし……」
「でも君はさっき、お義兄さんはそんなひとじゃない、って言いきったじゃないか。それでも……僕の言うことを、愛子さんの言ったことを信じてくれるのか?」
広瀬の念押しに、怯えたような表情と相まって、桐子は否と言えなかった。一つ深呼吸をしてから、頷き返す。
「あなたを信じるわ」
広瀬が一人で抱え続けたという愛子からの告白を、自分も分かち合おうと思った。そうすることで、広瀬の重荷を少しでも軽くすると思ったからだった。
しかし桐子の返答は、必ずしも広瀬の心を軽くするものではなかった。
(これで、もしかしたら僕たちは……夫婦ではいられなくなるかもしれない)
逆もまた然りだった。桐子がこの後自分を選んでくれたなら、一つのヤマを越えたことになる。
桐子を信じて、運命を賭けたいと思った。それにもう、黙っていることも出来ない。桐子も食い下がるだろう。
「愛子さんはね、苦しんでいた。お義兄さんに愛されていないことに気がついて……。お義兄さんが愛しているのは」
広瀬は目を閉じた。
「君なんだよ」
広瀬の絞り出すような声は、庭先を通り過ぎた車の音にかき消されそうなほど小さかった。しかし桐子の耳にはしっかりと届いていた。
広瀬は静かに目を開け、桐子を見た。
「……桐子?」
「……」
「意味が分からない? それとも理解したくない? 両方かな。……そうだね、実の妹にそんな感情を向けているような人だと、君は思いたくないんだろうね」
「そんな感情、って」
「お義兄さんが、君を一人の女として愛してるってことだよ」
瞬間、桐子は広瀬の手を振り払った。
「そんなはずない! 何を言っているの? あなたも、いえ、義姉さんも……。おかしいわ、そんなこと、あるわけない……」
「どうして否定するんだ?」
「どうして、ですって? 当たり前じゃない! だって」
「君だって受け入れたんだろう?」
頭上に次々と岩が落ちてくるかのような衝撃に、桐子は立っていられなくなってその場にへたり込む。広瀬も椅子から立ち上がり、桐子の正面に腰を下ろした。
「受け入れたって、何を……? 私は兄さんのことは」
「証拠だってあるんだ。ここまで来て嘘はつかないでほしい」
「嘘なんてついてないわ!」
桐子は広瀬が恐怖そのもののように見えて、思わず後辞さる。
「証拠?! 証拠って何? 兄さんもそんなんじゃないわ! だから証拠なんてあるわけないじゃない!」
真っ青になって震える桐子を見ても、広瀬はそれが事が露見したことで慌てているのかもしれないと思うと、同情心はさほど湧いてこなかった。
「僕が出張から帰ってきたとき、僕の書斎から何か持ち出していないか、空き巣が入ったりしていないか、って聞いたの、覚えてる?」
唐突に全く関係なさそうな話を持ち出され、桐子は混乱しながらも頷いた。
「書斎から無くなったのは、愛子さんからの手紙だ。それとね……DNA鑑定結果だよ」
鑑定、と繰り返す桐子に、広瀬は頷く。
「僕と、伊織のね。伊織は……僕の子じゃなかった」
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