第243話
まだ話し足りない伊織を引きずるように、一花は二人を松岡が待つ食堂へ連れて行った。
「うわ、すっげー、めっちゃ旨そう」
「でしょ。伊織くん達が中々来ないから冷めちゃったじゃん。今お吸い物あっため直してくれてるんだよ」
「「ごめんなさい」」
ぷりぷり怒る一花に、伊織と剣は素直に謝る。その姿を横で見ていた松岡が目を丸くした。
「二人で殴り合いでもしてるのかと心配してたんだが、まさか仲良くなったのか?」
言われて伊織たちは逆に驚く。思わず互いに顔を見合わせた。
「まさか、仲良く、なんて」
「ちょっとびっくりする話を聞いてたんで、ケンカする暇なんてなかったです」
びっくりする話とは? と首を傾げる松岡の隣で、一花が青ざめる。
「殴り合い? ケンカ? どういうこと?」
思わず二人の顔をじっくり見るが、どちらにも殴られた後は無さそうでほっとした。
「まあ、いいか。とりあえず食おう。せっかくの奥さんの料理だからな」
「はーい! いただきまーす!」
元気よく手を合わせ箸を取る一花と対照的に、伊織は何かを考えこみ続けていた。
剣はそれが自分のせいだと分かっていたので、改めて伊織に頭を下げようとしたら、松岡に向かい側からにらまれた。
『一花の前で不用意なことをするな』
というサインなのだろう。確かにここで自分と桐子の関係が露見するような発言は避けたほうが無難だった。
しかし伊織を放ったままでは自分も食欲がわかなかった剣は、どうすればいいかわからず途方に暮れた。
「……どうしたんです? タッキー、食べないの?」
「あ、うん……、いや、いただくよ」
一花に促されてしぶしぶ御浸しに箸を伸ばしたところで、伊織が口を開いた。
「俺、今日帰りたくないな……。このままじゃ、何か間違えそうな気がする」
唐突な発言に、一花は意味が分からず首を傾げた。しかし後の二人は気づかわし気に伊織を見遣る。
「それは、そうかもしれないね……」
「でもお前、帰りたくないって、どこ行くんだ? ホテルか?」
「うーん、そうですよね、どうしよう……」
考え込みながら、チラリと松岡を見た。
「松岡さん家、泊めてくださいよ。ついでだからママたちへの言い訳も一緒に考えてください」
「……なんだと?」
「だって、松岡さんからはまだ何も聞いてないですよ? まさか田咲さんの話だけで自分は逃げるつもりですか?」
困った風を装いながら、伊織の口元は微かに笑っているようにも見えた。松岡は椀を持ったまま天を仰ぐ。
「お前、この俺を脅すつもりか」
「脅し? 違うでしょ、今、松岡さんは被告人ですよ。俺は正しい情報が全部欲しいだけです。そしてあなたはそれを俺に提供する義務がある」
違いますか、と目だけでダメ押ししてる伊織に、松岡は降参した。
「分かった。うちに泊まれ。言い訳は一緒に考えてやる。ついでだ、田咲、お前も来い」
「は? なんで俺が……」
「あの短時間でこいつが納得できるほど話し合えたのか? まだ物足らないんだろ?」
最後は伊織に確認を取ってきた。伊織は小さく頷く。
「そう何日も外泊させられないしな。お前もここで稽古させてもらってるくらいなら時間あるんだろ。付き合え」
「……わかりました」
剣は頷かざるを得なかった。自分が蒔いた種と分かっていても、一層食欲が無くなった。
「え? え? なんで、伊織くんお家帰りたくないの? 何で松岡さん家泊まるの? 言い訳って? タッキーも? ずるい、私もー!」
何も教えられていない一花は、伊織たちの話の流れが読めないながら、男三人のお泊り会にだけ反応した。
しかし伊織が難しい顔で首を振る。
「ダメ。お前は家に帰れ」
「あのなお嬢ちゃん、こいつは男だからいいけど、女がそんなほいほい外泊するな」
「お父さん心配するよ、一花ちゃんは帰ったほうがいいよ」
三者三様の見解で断られ、一花は再びむくれて下を向いた。
「でも……、なんか納得いかない。私だけハブんちょ」
「いや、ハブってるとかそういうんじゃなくて」
「じゃあ教えて、さっきまで伊織くんとタッキー、何の話してたの?」
「それは……」
さすがに伊織は口ごもる。一花は今では伊織にとって一番近い他人だ。出来ることなら悩みも苦しみも全部共有してもらいたかった。しかし、恋人であると同時に従妹でもあった。一花から見て桐子は叔母だ。そして一花の父もまた、無関係ではないはずだった。
「ごめん、ちゃんと俺の中で整理出来たら話す。てか聞いてほしい。でも今は無理なんだ。今日だけ我慢してくれ」
一花は、伊織の真剣な表情と、聞いてほしい、と言った言葉で、やっと納得したように頷いた。
「分かった。約束だよ? ちゃんと話してね、一人で悩まないでね」
「うん、約束する」
束の間、二人だけの世界で会話する伊織たちに、松岡が呆れたような声で割って入った。
「今から尻に敷かれてどうする、こりゃ将来見えたな」
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