第242話

「教えてくれてありがとうございます。確かにそういうことなら、俺が聞いてもママは教えてくれなかったと思う……。でも、これからどうするかは、まだ俺も分からないです。考えが全然まとまらない」

「もちろんでございます。私も、伊織様のご負担を考えずに色んなことを一度に話し過ぎました」


 深々と頭を下げると、石橋は次は剣に向き直った。


「私などが申すことではありませんが、田咲様もこの件はくれぐれもご内密にお願いいたします」

「分かっています……。俺も、桐子さんが話したくない過去を不必要に人に話したくなんかない」


 そう答えた剣は、横から伊織の視線を感じて振り返った。


「……何?」

「田咲さん、なんでそんなにママのこと好きなんですか?」


 とても素朴で、しかし伊織に対しては答えづらい質問で、剣は言葉に窮した。


「田咲さんとママって、結構歳離れてますよね。田咲さん格好いいし、何もあんなおばさん選ばなくても彼女なんて選び放題じゃないですか。あ、もしかしてママからお小遣いもらってるとか?」


 思っていもいなかった言葉に、剣はカッとして立ち上がる。


「ふざけるな! 金なんかもらうか! 俺は本当に桐子さんのことが」

「た、田咲様、伊織様に怒鳴るのは……」


 慌てて剣をいなそうとする石橋をよそに、怒鳴られたことなど毛ほども気にしていないような伊織は、うーん、と首をひねる。


「俺、田咲さんは誤魔化したり嘘ついて逃げようとするかな、って思ってたんですよね。でも全然真逆なことばかり言うし、じゃあママ活的な付き合いだったのかな、って思ったけどそうじゃないみたいだし。だとすると余計わかんないっていうか」

「……君は、自分の母親を何だと思ってるんだ?」

「それは……今はもう完全に軽蔑してます。石橋さんの話を聞いて可哀そうだなって同情もするけど、やっぱり納得いかない。俺と親父を裏切ってたのは、それとは別の話じゃないのかな、って」


 石橋の話からすっかり桐子の過去に同情しきっていた剣は、伊織の見解に唖然とする。しかし伊織の立場からすると、母の過去よりも現在の裏切りのほうがショックが大きいのは当然だった。


「俺と桐子さんは、対等だったと思ってるよ。もちろん才能もキャリアも桐子さんのほうがずっと上だけど、だからって桐子さんが俺を卑下したことは一度もないし、俺も卑屈に思ったことはない。桐子さんからもらった役は命がけで演じてきた。もちろん金銭のやり取りもない」


 こんな話に何の意味があるのだろうと思いながら、せめて正直な気持ちだけでも伝えなければおかしな誤解をされそうだとも思い、自分たちの関係について答えた。


「田咲さん、さっき、人気とか有名になりたいとかは考えてないって言ってましたよね」

「ああ、その通りだ」

「じゃあ、ママと結婚したいとかも思ってなかった?」


 またも剣にとって想定外の問いかけに、すぐに返事が出来なかった。

 自分は桐子を心から愛していると思っていたが、かといって家族を捨てて自分と一緒になってほしいと思ったこともまた、一度もなかった。


 半ば呆然としながら、無言で頷き返すと、伊織は何かが分かったような表情で何度も首肯した。


「田咲さんは、将来とかどうでもいいって思ってるんですね」

「……将来」

「うん。俺、本当は来年から親父と一緒にロンドンに行く予定だったんです。あっちの高校に編入して卒業しろって言われて。多分俺がママにべったりだったから、それが心配だったらしいんですけど。その時に、大学をどうするかは自分で考えて決めろって言われて、でも全然決められない。来年には受験生なのに、どうしたいのかが分からないんです。でも、日本に残ることに決めたんです」

「それは……どうして?」

「一花です」


 意外な答えに、剣も石橋も眉を上げる。伊織は恥ずかしそうに頭をかいた。


「将来どうしたいかなんてわからない。でも今、一花を一人置いてロンドンなんて行けない。だから行きたくない、こっちに残るって両親に言いました。その件で今日か明日親父たちと話して分かってもらわなきゃいけないんですけど、田咲さんだったらなんて言いますか?」

「……どうして、俺に聞くんだ?」

「だから言ったじゃないですか、田咲さんは将来のこととか考えてない人なんだろうって。そういう人のほうが、今の俺の気持ちわかってくれるかなって。違いますか?」


 剣は伊織が無意志に自分に差し伸べてきた手に驚いて返事が出来ない。しかし罪滅ぼしには小さすぎるが、自分はちゃんと応えなくてはいけない、ということは分かっていた。


「そうだな、俺なら……」


 その時、スパーンといい音を立てて障子が開き、一花が仁王立ちになっていた。


「おそーーい! お腹すいたー! ごはーん!」

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