第236話

 石橋に案内された応接室は、屋敷のイメージとは正反対の洋間だった。本革の黒いソファーに腰掛けると、石橋と入れ違いで彼の妻がお茶を持って入ってきた。


「御用がおありでしたらそちらの内線電話でお呼び出しください。では、失礼します」


 そして妻が出ていくと、三人は一斉に詰めていた息を吐いた。


「……お前らまで緊張するなよ。お前たちの家っつってもいい場所だぞ」

「松岡さんだって何度か来てるんでしょ? 私たちは初めて来たんだもん」


 早速お茶請けのマカロンをつまみながら、一花は部屋の中を見回す。


「……で? タッキーに会いに行くんだよね?」


 一花は先ほどの伊織たちの不穏な空気をあえて無視して来訪目的を確認する。伊織はそれに頷いた。


「俺たちとは違う方向からママを知ってる人だ。植田さんはいい人だけど多分ママの味方だろ。俺たちに関係ないことは話さないっていう前置きは、俺たちに教えたくないことがあるって意味だと思う。だとしたら植田さんからは今日以上の話は聞きだせない。ほかの人に当たるしかない」


 そこで言葉を区切ると、ゆっくりと松岡に目を転じる。


「松岡さんにも、後でお話聞きますよ、もちろん」


 高校生とは思えない威圧感に松岡は息が止まる。そして止めた分、大きくゆっくり吐き出した。


「参った。わかったよ、俺が知ってることは話す。ただし、聞いた後から苦情を言うなよな」

「……覚悟しておきます」

「よし。じゃ、行くか」

「……どこに?」

「さっきお前が言っただろ、田咲に会いに行くんだろうが」

「え、タッキーの居場所分かってるの?」

「さっき通ったじゃないか。部屋の中からあいつの声が聞こえた」


 そう言って応接室の扉を開けて出ていく松岡の背を、伊織たちは唖然として見つめる。

 そこそこ深刻な話をしながら歩いていたのに、周囲の、しかも二人が聞き逃すレベルの人の声を聞き取って場所も覚えているという松岡の観察力に呆れる思いだった。


 大股でずんずん歩く松岡を後ろから追いかける。廊下から見るとどのふすまも扉も全部同じデザインで区別がつかない。それなのにそのうちの一つを、声もかけずに開いた。


「邪魔するぞ」


 中は数間ぶっ通したようなだだっ広い板の間だった。その左寄りで柔軟体操をしていた剣は、唐突に現れた松岡に驚きフリーズする。


「悪いな、稽古中」

「……あ、いえ。……え? なんでここに」

「用があるのは俺じゃない」


 松岡が振り返るのに合わせて、剣は彼の背後を見遣る。

 ひょっこりと顔を出す一花を見てホッとしたのもつかの間、その更に後ろから現れた少年を認めて、一気に血の気が引いた。


「君は……」


 剣の目が自分を見ていることに気づいた伊織は、一歩前に出てぺこりと頭を下げた。


「香坂伊織です。両親がお世話になっています」


 剣はとっさに松岡を見る。松岡は訳知りに眉を上げただけで、剣はイエスと理解すればいいのかノーなのか判断出来なかった。その困惑顔を見つめながら、伊織は続けた。


「少しお時間いただけますか。稽古のお邪魔はしませんので」


 剣と伊織を交互に見遣りながら、一花は再び混乱する。廊下での松岡と伊織の会話もだが、今の伊織も何をしようとしているのかが分からない。


「伊織くん、タッキーと何を……」

「お嬢ちゃん、俺とさっきの部屋に戻ろう」


 一花が伊織に手を伸ばそうとしたとき、反対側の手を松岡に引かれた。


「え? で、でも……」

「ここは二人だけで話させたほうがいい。……だろ?」


 松岡が剣たちを交互に見ると、二人は同時に小さく頷いた。


「悪い、一花。少ししたら戻るから」

「ごめんね、一花ちゃん。彼、借りるね」


 意味が分からないながら、とりあえず頷いて、一花は松岡と一緒に応接室へ戻った。


「さっきから何の話してるの……? 伊織くんは、タッキーに何を聞きたいの? このおうちのことなら、タッキーじゃなくてさっきのおじいさんに聞いたほうが早いよね」

「この家のことなら俺が教えてやる。昔話が聞きたいなら世話人さんに頼むしかないだろうが、お前の親父さんの許可がなけりゃ、どうせ何も教えてくれんさ」


 言いながら、松岡は口寂しさを感じて懐を探るが、煙草を忘れてきたことに気づいた。

 伊織から電話が来た時、自分で思っていた以上に動揺していたのだ、ということに気づき、苦笑いを漏らした。

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