第235話

 小一時間ほど車を走らせて到着したのは、どこまでも続く高い塀の前だった。


「ここで降りて待ってろ。車停めてくるから」


 松岡は伊織たちを門前で下ろし、車を移動させて戻ってきた。


「松岡さん、ここ……」

「ああ。これがその別邸だ。多分世話人がいるだろうから入るぞ」


 言いながら呼び鈴を押す。チャイムというより本当に鈴を転がすような音が奥で鳴るのが聞こえる。少し待つと初老の男性が扉を開けた。


「これは松岡先生、お久しぶりでございます。今日は、文哉様とお約束を?」

「いえ、ご当主とのお約束はないのですが、ちょっとこちらを見学させていただければと……。出来れば内密で」


 松岡の最後の言葉に、石橋は微かに眉を顰める。しかし背後にいる二人の若者に気づくと、それをはるかに上回る驚きで息を飲んだ。


「そちらは……」

「はい。こちらのお屋敷に伺うのは初めてのようですね。……ほら、挨拶」


 松岡に促され、先に伊織が名乗ってお辞儀をする。慌てて一花もそれに倣った。


「文哉様と、桐子様の……。かしこまりました。では、どうぞ」


 戸惑う伊織たちに、松岡は何かを心得たように頷いて、先に中へ入るよう促した。伊織はここへ来て今更逃げられないと、意を決して石橋の後に続いた。




 石橋はまずは三人を応接室へ案内するため、長い回廊を進む。伊織も一花も、ここへ初めて来た者が誰でもそうするように、敷地の広さと庭の美しさに目を見張った。


「すっご……。ね、どんだけ広いんだろう。学校みたい」

「まさかそこまでじゃないだろうけど……、でも塀の端がまだ見えないな。こんな家があるなんて知らなかった」

「私も……」


 石橋は背後の子供たちの会話を耳に入れつつも、使用人の務めとしてあえて聞こえないふりを貫く。代わりのように、松岡が口を開く。


「言っとくが、こんなのがまだきっと他にもたくさんあるぞ。いくつ、どこにあるのかまでは知らんがな」

「……それも全部、パパの会社が管理してるの?」

「そうだ」


 一花は気が遠くなる思いがした。思えば、加奈にせっつかれて父の職業を知りたいと思ったことが発端だった。だが、知れば知るほど父が分からなくなる。ただ、自分はその父の娘で、関係ないとは言えないことは確実だった。

 それは隣で無言になってしまった伊織も同様のはずだった。


 不安になって伊織を見上げるが、伊織は一花を見ずに厳しい表情で松岡を振り返る。


「ここを田咲って人が使ってるの、ママの紹介なんですよね」


 松岡は伊織の空気が変わっていることに気づいた。先日、メールで剣の写真を送り付けてきた時の会話を思い出しながら、慎重に頷く。


「田咲さんがママの仕事仲間なのは知ってる。ドラマもママが脚本するから主役やろうって決めたって。だから稽古場としてここを紹介しても不思議じゃない。じゃあ……、松岡さんはどうしてそれを知ってるの」


 横で聞いている一花は、伊織が何を知りたがっているのか分からず戸惑う。しかし松岡には通じているようで、みるみる表情が暗くなっていった。

 そして参った、と言いながら、深いため息をつく。


「お前は本当に、あいつにそっくりだな」

「……あいつ、って?」


 思わず疑問を口走った一花の声に被せるように、伊織が答えた。


「ママのことだよ」

「……いつから気づいてた?」

「つい、さっきだよ」


 松岡は驚いて二三度瞬く。もっとずっと前からかと予想していたからだった。


「ママがここを田咲さんに貸したんだろ。それを知ってるってことは、松岡さんとママがつながってるって思うほうが自然だよ。本当は親父よりもママとだったんだね」


 意味ありげなインパクトを付けた言い方に、松岡は天を仰ぐ。

 普段の松岡なら、嘘を使わなくても言い逃れることも誤魔化すことも出来る。それは今も同じだ。しかし伊織たちには、それはしてはいけないと思った。

 松岡ももう、疲れていたのかもしれない。


「正解だ。お前のお袋は結婚前は俺の部下だったんだよ」

「……じゃあ、その時からってこと?」

「バカ言え。だったらみすみすほかの男と結婚なんかさせるか」

「そっか……」

「やけにすっきりした顔してるじゃないか。俺にキレても殴ってもいいんだぞ?」

「いや……、うん、少し前の俺だったらそうしてたかもしれないけど、なんか今は納得感のほうが強いっていうか。……正直に答えてくれてありがとう。これで松岡さんにまで嘘つかれたら、俺、どうすればいいか分からなくなってたかも」


 数分前までの冷酷な無表情が打って変わって、柔らかい微笑みまで浮かべる伊織に、松岡は何度目かの既視感に襲われる。

 そして手を伸ばして伊織の頭をぐしゃぐしゃとかき回した。


「ちょ、ちょっと、何すんだよ?!」

「いや。お前もやっぱり千堂の血筋なんだと思ってさ」

「……何のこと?」

「今のお前、文哉氏にそっくりだ。伯父と甥なんだから似てるのも道理か」


 よくわからない、と首を傾げる伊織の横で、とうとう一花がたまりかねて割って入ってきた。


「だから、何の話よーー??」

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