第234話

 稽古場を出た一花と伊織は、この後の行き先について話し合った。


「やっぱ、気になるよね?」

「行ったところで何もないかもしれないけどな。今日の一番の目的は果たしたわけだし、まだ時間もあるし、それに……」


 そこで伊織は顔を赤らめて口ごもる。一花は首を傾げて伊織の顔を覗き込むと、乱暴に手をつかまれた。


「もうちょっと一緒にいたいじゃん」


 今度は一花が赤くなる番だった。


◇◆◇


「じゃあ、田咲さんに電話して場所聞いてみるね」


 一花がバッグから自分のスマホを取り出したところで、伊織が待ったをかけた。


「ちょっと待て。いきなり行ったほうがいいかもしれない」

「え、でも……団長さんの話だけだと、場所まで分からなかったじゃん」

「うん、だからダメもとで……」


 そして今度は伊織がスマホを取り出し、松岡の電話番号を表示した。




 休日だからか、二回のコールで松岡とつながった。一花も待っているため今の状況と電話した理由を簡潔に伝える。


『……お前ら、また二人してそんなことやってんのか』

「時間あるんだしいいじゃないですか。それよりも、田咲って人が使ってる場所、知ってるんですか?」

『……今どこだ?』

「え? 今はだから、劇団のすぐ近くの……」


 そう行って伊織は周囲を見回し、地下鉄の最寄り駅を伝える。電話の向こうから疲れたようなため息が聞こえた。


『三十分で着くから待ってろ。俺が連れてってやる』

「え? でも……。切れた」


 呆気にとられた伊織がつぶやくと、一花は横から覗き込んでくる。


「松岡のおじさん、なんだって?」

「これから迎えに行くから待ってろ、って。場所は知ってるみたいだな」

「ラッキー、場所分からなくて迷っちゃったらどうしようって思ってたんだよね。ついでに帰りも家まで送ってもらおうか」

「バカ、そんなことしたら伯父さんにバレるぞ」


 あ、そうか、と舌を出す一花の気楽さに呆れながら、伊織には別の疑問がわいてきた。


(松岡さん、何で場所知ってるんだろう……)


◇◆◇


「おう、待たせたな。連れてってやるから乗れ」


 宣言通り三十分ほどで松岡の車が駅前に乗り付けた。都内の下町の混雑した商店街に停車した大きな車は明らかに異様で邪魔だった。


「わーい、私、今日は助手席がいいー」

「好きにしろ。お前は後ろでいいか?」

「はい、すいません、よろしくお願いします」


 松岡は電話の様子よりも固く見える伊織に違和感を感じながらも、頷いて運転席へ戻る。エンジンをかけてゆっくり走りだしながら、行き先について説明し始めた。


「これから向かうのは三鷹にある千堂家の別邸だ。別邸っつってももうずっと千堂家の人間は住んでいない。世話人が建物や敷地の手入れをしている。近々売却予定だが、まあ誰も使ってないから許可したんだろうな。都下とはいえ都内だし、通いやすいと判断したんだろう」

「そんなお家あったんだ。私、全然知らなかったー」

「お家、っていうか、かなり広いぞ。お前らがこの前見に行った本宅ほどじゃないがな。先々代、お前たちの曾祖父母が隠居後に使っていたらしい」


 思いがけず出てきた先祖の存在に伊織がドキリとする。自分たちからみて曾祖父母だとすると、桐子たちの祖父母ということだ。

 伊織は後部座席から松岡に問いかける。


「その、俺たちから見たらひいお祖父さん達は、もう亡くなってるんですか?」

「ああ。もう三十年近く経つんじゃないのか。存命なら百歳超えてるくらいだからな」


 伊織は少しがっかりした。万が一生きていてくれれば、それこそ何でも知っているだろうと期待したからだった。


「あと……、もう一つ聞いていいですか? 松岡さんは、その別宅のこと、どうして知ってるんですか?」


 松岡は伊織の問いに一瞬たじろぐ。バックミラー越しに見える伊織の目は無表情のような、それでいてこちらの誤魔化しを許さないような力がこもっていて、既視感に襲われる。


「……お前たちに黙ってても仕方ないな。さっき、近々売却予定だって話しただろう。俺も、購入希望者として名乗りを上げていたんだ」


 伊織と一花は驚いて思わず顔を見合わせ、そして松岡に目を転じた。


「ただ、ちょっと事情があって俺は辞退したがな。それで場所も知ってるってことだ」

「おじさん、引っ越そうと思ってたの?」

「あんなバカでかい屋敷に一人で住んでどうする。そもそも文哉氏は屋敷の解体を売却条件に付けている。だから俺でも手が出る金額にまで下がってたんだ」


 松岡と一花が話し続けるのをよそに、伊織は再び黙り込む。新しい情報を得たが、また新しい謎が増えた気がして落ち着かなかった。

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