第233話

「香坂……千堂は、藤井が連れてきたんだよ。藤井のことは知ってるだろ?」


 伊織は頷く。一花は環と面識がないので、伊織が桐子の親友だと説明した。


「最初はただ、綺麗な顔したやつだと思った。だからてっきり役者志望かと思ったら、裏方がいいと言うんで驚いた。それは俺だけじゃなくて部員はみんな思ってたな。役者なんて見た目のインパクトが勝負だ。板の上に乗せりゃあんなに映えるやつもいないと今でも思ってる。でも頑として聞き入れなかった。それでも演劇の世界が好きだからと、ビラ配りも小物製作も、演じること以外なら人一倍熱心に取り組んでたな」


 桐子の美貌は入学以来注目の的だった。桐子目当ての入部も後を絶たず、役者の一人だろうと目されて客席はしばらくの間立ち見が出るほどだった。


「目立ちたくないのに目立っちまうっていうのは、周囲から理解されない悩みだ。千堂が裏方に徹する姿は実際以上に小さな評価しかされなかった。藤井がいなかったら、もしかしたら演劇部をやめるだけじゃなくて、大学もやめていたかもしれないな」


 美人なだけでなく、真面目で授業には欠かさず出席して成績も良い。そうなれば教授陣からのおぼえが目出たいのは当然なのだが、良い評判というのはなぜか広まらない。逆に桐子には身に覚えのない噂が先行し、そしてどこからか千堂家の直系長女であることも、知らぬ人がいなくなった。

 桐子に声をかけるのは、演劇部員か、その見た目に惹かれた異性、千堂家につながりを得ようとする一部の学生や大学関係者だけだった。それ以外は、ありもしない桐子の『裏の顔』を広めるか信じる人がほとんどだった。


「お前さんの親父さん、香坂先輩はうちの大学のOBでな、演劇部じゃなかったが、卒業後もちょいちょい学内に顔を出してた。藤井は演劇部以外にも所属してたから顔が広くて、その中で香坂先輩と知り合って、お袋さんに紹介したんだよ」


 二人が同じ大学だと知っていた伊織は頷き返す。


「香坂先輩は在学生からも信頼が厚かった。面倒見いいしな。藤井は千堂を守るもう一つの壁にしようとしたんだろうな。実際、先輩のおかげで千堂へのおかしな噂は減った。それでも逆に批判を強める連中も消えなかった」

「なんでそんな……おばちゃんは何も悪いことしてないんでしょ?」

「してないな。というか、あいつ自身は興味なさそうだったな。いつものことだ、って、冷めたこと言ってたよ」


 伊織は父の書斎で見つけた両親の結婚式の写真を思い出す。母は、ドレスのせいだけでなくまぶしく輝くようだった。

 それを口にすると、植田は大きく頷いた。


「あんときは綺麗だったな。俺でも驚いたよ。まあずっと千堂を守ってきた先輩との結婚で、その上腹の中にはお前さんがいたんだ。二重に幸せだったんだろ」


 伊織は驚く。自分を身ごもったことが、母にとっての幸せだったのだというのが、何故か意外な気がしてしまった。


「えー、いいなぁ、私もその写真見たーい」

「お前ん家にもあるんじゃないのか? 親父さんは父親役でバージンロード歩いてたしな」

「パパが?」

「だってもうご両親いなかったんだし、肉親はお兄さんだけみたいだしな」

「その、母の両親、俺たちの祖父母についてなんですが……。何かご存じのことはありますか?」


 一花と植田の会話に、伊織が入り込む。思えば、祖父母がいつ頃何故亡くなったのかも伊織は知らなかった。


「千堂のご両親は、あいつが中学生の時に交通事故で亡くなったって聞いたな。あいつはその時入院してたから、葬儀には出られなかったらしいが」


 入院、という単語に伊織はひっかかる。中学生の女の子が、事故死した両親の葬儀に出られないような、怪我や病気をしていた、ということか。結構重症だったのだろうか。

 そして母にそんな経験があったことを、伊織は一度も聞いたことが無かった。


「交通事故って、じゃあおじいちゃんとおばあちゃん同時に、ってこと?」

「らしいな。お前の親父さんが、まだその時は学生だったらしいが、それ以降は千堂家の当主だ。結構話題になったらしいぞ。俺も人から聞いただけだけどな」


 それも学内で流された桐子に関する噂話の一部だった。話半分で聞いたとしても、その家柄と財産は植田からすれば十二分に異次元だった。


「パパ、大変だったんだ……」

「まあな。今のお前らと同じくらいだったろうからな。そういう意味では、お前たちがこんな風にごく普通の子供として生活できているのは、親御さんたちが守ってくれているからだろうな。お前たちにあれこれ話さないのは、自分たちと同じ目に遭わせたくないとか、そういう意味もあったんじゃないのか。まあ、俺の勝手な憶測だがな」


 そこまで話したところで、稽古場の扉が開いて劇団員が出てきた。植田を呼ぶ声が聞こえる。


「おっと、ちょっと行ってくるわ」

「あ、お忙しいときにすみませんでした。俺たちもう帰ります」

「そうか? あんまり役に立てずにすまんな」

「いえ、十分です。ありがとうございました」

「またなんか思い出したことがあれば教えるわ。あいつ、香坂には知られたくないんだろ?」

「……そうですね、出来れば」


 分かった、と頷く植田の横で、一花がきょろきょろする。


「今日は田咲さんはいないんですか?」

「あいつは今出禁にしてんだよ。ファンが集まり過ぎてな」

「うわ、まじで? じゃあお家にいるの?」

「いや、今は香坂が紹介してくれた場所で稽古してるらしいぞ」


 知らないのか? と言うように、植田が一花と伊織を交互に見遣る。

 二人はお互いに顔を見合わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る