第228話

 翌日、各務は確認を含めて一人で三鷹の千堂家の屋敷を訪ねた。

 無論、外から見るだけのつもりだった。文哉から正式に打診を受けたとはいえ、まだ自分は部外者だ。勝手に訪問して、文哉からを探られるのも避けたい。


 屋敷から数ブロック離れた有料駐車場に車を停める。コートの前を合わせながら、屋敷を目指して歩き始めた。

 小学校の通学路にもなっている国道を歩く。土曜日のためか出歩いている人も多い。しかし千堂家の屋敷に近づくにつれ、人の気配が減っていく。


 千坪はあろうかという屋敷の端が見えてくる。高い塀の上端からは遅い都内の紅葉が見え隠れしていた。


 ふと、人影を見つけて顔を上げる。各務が歩くのとは反対方向から、背の高い青年が歩いてきていた。

 ジーンズにトレーナー、アーミージャケットを羽織ったラフな服装と軽快な足取りが、若さを体現している。遠目からも人目を引く容貌だが、人通りの少ない都下の住宅街にはそぐわない空気をまとっていた。


 違和感から、思わず各務は立ち止まり、物陰に身をひそめる。件の青年は真っすぐ屋敷の勝手口へ向かっていき、まるで自分の家のような慣れた様子で中へ入って行った。


(……誰だ?)


◇◆◇


 剣は桐子に稽古場として屋敷を紹介してもらってから、ほとんど毎日通っている。

 家にいてもやることがない上に、まだ植田から別の稽古場についての連絡も無い。

 それだけでなく、この屋敷が思いのほか居心地が良かったことも関係していた。


 電車の乗り換えも多く、バスを降りてもまだ歩く。お世辞にも交通の便がいいとは言えないが、一歩敷地の中に入れば別世界のような静寂で、まるで舞台に立っているかのように自分の声がよく通る。


 桐子が頼んでくれたらしく、昼食も世話人の石橋が用意してくれる。これも栄養バランスがしっかり考えられていていつも旨くてお替りしてしまうほどだった。

 一人でいるとついカップ麺やコンビニ弁当で済ませている。親元にいた時でさえ『おふくろの味』など味わった記憶がない。

 そんな剣にとっては、誰かの手料理というだけでありがたかった。


 今日も石橋夫妻に挨拶をしてから、広間で稽古着に着替えストレッチを始める。少しずつ体が温まり始めた頃、石橋の妻が廊下から顔を出した。


「あの、田咲さん、ちょっと……」


 剣は驚いて立ち上がる。毎日顔を合わせているものの、この夫婦は余程の用が無い限り、食事以外で剣に声をかけてこない。


「はい。なんでしょう」

「ほんとごめんなさいね、今主人が出ているので……。お屋敷の外で、私が見たことない人がずっと中を伺っているみたいなんです。ちょっと不安になって」

「見たことが無い人、ですか」


 剣は微かに眉根を寄せる。長年屋敷の管理を請け負っている石橋夫妻が見覚えのない人物、となると、不審に感じても無理はないだろうと考え、頷き返した。


「分かりました。どんな人か確認してほしいってことですよね」

「ごめんなさいね。セキュリティ会社の警備システムもあるから、もし怖い人だったらすぐ戻ってきてね」


 剣は靴を履いて勝手口から外へ出る。いつものように屋敷の周辺は静まり返っている。


 辺りに目を配りながら塀沿いに歩き続けていたら、スーツの上にコートを羽織った三十前後くらいの男性が目に入った。

 石橋の妻の怯え様から、いかにもな不審人物を想像していた剣は、その人物の横をそのまま通り過ぎようとした。


 その時、逆に男性のほうから剣に声をかけてきた。


「すみません、あの……もしかして、このお屋敷にお住いの方ですか?」

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