第220話

 松岡は文哉がメールで送ってきた住所を車のナビに表示する。金曜日だからか、平日でも都内の道は混んでいて、到着したのは約束の時間ギリギリだった。

 

 目的地は瀟洒な洋館で、松岡の車が門扉に近づくと、ゆっくりと飾り扉が開かれた。それに従って中へ進入する。

 建物の正面入り口で停車すると、ギャルソンがカギを受け取って駐車場へ回すと申し出た。松岡はそのまま中へ案内される。


 レストランらしき内装だが、昼時なのにほかに客はいない。不思議に思っていると、一番奥の大きなテーブルに文哉が座っていた。


「どうも。お忙しいところご足労いただきまして」

「いえ、こちらこそ……。こんなレストランがあったんですね、知りませんでした」

「そうですね、一般にはお客様を受け入れていませんので」


 文哉の口ぶりから、ここも千堂家の所有だと知れた。改めて店内を見回すが、古びたりさびれている様子はどこにもない。スタッフも普通のレストランと同じくらいの人数がいる。庭も枯れ葉一つ落ちていなかった。

 普段は営業していない店にも、これだけの手をかけている、ということだ。


「勿体ない気がしますね。予約客限定でも一般客を受け入れれば、きっと繁盛するでしょうに」

「ご興味ありますか? 松岡先生になら、売値もご相談に応じますよ」

「いえ、私は……」


 あっさり手放すことも匂わせてくる。ふいに、以前各務が言っていたことを思い出した。


「千堂さんは、次々に資産を処分されているように見えますが、何かご事情でも?」


 松岡に続いて注文と指示を終えた文哉は、少しだけ意外そうな表情を見せて笑った。

 否定か肯定か、快か不快かもわからない笑い方は、やはり桐子とよく似ていると思った。


「もう松岡さんなら話しても良いかもしれないですね……。いえ、むしろそのほうが、この先のご相談もスムーズかもしれない」


 この先、とは、例の不動産の件か、と松岡は察する。了承の意を、ゆっくり頷いて伝えた。


「私は、自分の代で千堂家を終わらせたいんです」


◇◆◇


 この日、文哉は先々代、つまり文哉たちの祖父の代からの付き合いである顧問弁護士の水島と、実家の第一応接室で向き合っていた。水島は文哉が成年するまでの間、後見人になってくれていた人物だった。


「では、こちらの書類にご署名、捺印ください。これですべて完了です」


 春に大学を卒業した文哉は、数年前に事故死した両親の財産と権利の全てを引き継いだ。妹の桐子はまだ未成年だ。そうでなかったとしても、桐子に千堂家に関わらせるつもりはなかった。

 二人にとって自分たちの生家は、忌まわしい思い出の泉でしかなかった。


「はい……、確認しました。ではこれより正式に文哉さんが千堂家の当主です。ご両親もすでにお亡くなりになっているので、大変なことも多いと思いますが、お困りの時はいつでもご相談ください」

「ありがとうございます。若輩者ですがどうぞよろしくお願いいたします。……まずは、この家から妹と一緒に引っ越したいんですが、その準備からお手伝いいただけますか?」


 水島は驚いた。確かに若い兄妹だけで住むには広すぎるかもしれないが、広さや格式に見合った使用人も多数雇用している。。


「ご当主が住まわれないとなりますと……、ほかのご親族が?」

「いえ。ここは誰にも譲りません。あくまで所有は私です」

「その……使用人の方々は、では、解雇ということに?」

「他の勤務先を用意します。もちろん彼らの希望を最優先で」

「お二人のお住まいは、千堂家所有のお屋敷ですか?」

「いえ、新規で購入します。桐子の進学先に通いやすい場所がいいかな。……とにかく少しでも早く出たいので、よろしくお願いします」


 まだ判然としないような表情で、しかし水島は頷いて書類を持って出て行った。


 そしてこの日を境に、文哉は一族へ大鉈を振るい始めた。

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