第194話
学校からダッシュで帰宅した一花は、既に勝手知ったる香坂家に飛び込んでリビングに駆け込む。光の速さでテレビのリモコンを操作すると、目当ての番組をつけた。
『それではこれより、来春放送予定のスペシャルドラマ「記憶の軛」の制作発表記者会見を始めさせていただきます』
丁度始まったところで、間に合ったことに一花はホーっと安堵の息をつく。バラエティ番組の司会などでよく目にする同局のアナウンサーが、滑らかに語り出す。
(綺麗な話し方だなぁ。やっぱり訓練してる人は違うな)
以前とは気にするポイントが異なってきていることに一花は気づいていない。それよりも画面に目が釘付けになる。
端から順に映し出され、桐子の横顔が見えた時、思わず歓声を上げた。
「うーるせ。何騒いでんだよ」
同時にリビングの扉が開く。一花と同じく学校から帰ってきた伊織が立っていた。
「おばちゃん! 伊織くん、おばちゃん!」
「え?」
一花が必死で指さすテレビの画面に目を転じると、既に母は映っていなかった。そのまま見続けていたら、父の写真に写っていた男が目に入り、伊織は身をこわばらせる。
「あ、タッキーだ。ね、伊織くん、この前おじちゃんと一緒に写真写ってた人だよ。うわー、主役だって、すごーい」
はしゃぐ一花の隣で、伊織はじっと画面を見つめる。暫くするとカメラは更に横へずれていったので剣は見えなくなる。しかし伊織の脳には残像がしっかり焼き付いていた。
松岡と会うのは明日だ。この男が何者で、母や父と、ひいては自分達家族にどんな関係にあるのか。
松岡は『会って説明する』と言った。メールでは説明できないということだろう。
『では、出演者の方からコメントをいただきたいと思います。最初に主演の田咲剣さん』
司会役のアナウンサーに促され、画面中央に立ち上がる剣がアップになる。写真で見た印象よりずっと大人びて堂々としていた。
『この度主役を演じさせていただく田咲剣です。テレビのお仕事は初めてですが、制作の趣旨と目的に感銘を受けました。色んな方に、芝居は面白い、と思っていただけるような作品になるよう、力を尽くしたいと思います』
「うわー、なんかタッキー、いつもと感じが違う……」
感心したように呟く一花を他所に、伊織は画面を睨み続ける。
『田咲さんは普段は舞台で活躍していらっしゃいますが、今回テレビに出ようと思われたきっかけは何かありますか?』
記者からの問いかけに、剣は驚いたように目を見開く。そして横を向いた。誰かと目配せしたように小さく頷き、また正面を向いた。
『何故自分が、と、お声かけ頂いたことにまず驚きました。ですが普段から大変お世話になっている香坂先生が脚本を担当されると聞き、二つ返事でお受けしました』
やっぱそうなんだー、と嬉しそうに手を叩く一花の横で、増々伊織の目は厳しくなる。しかしテレビに夢中の一花は気づかない。
桐子の名が出たことで、カメラが桐子の姿を捉えた。優し気に剣を見上げている。長く同じ劇団に関わり続けている先輩として、若手の出世を喜ぶのは当然だ。その証拠に一花は全くそのように解釈しているようだった。
だがどうしても、伊織の目には、母の目が違う何かを送り出しているように思えてならなかった。
まだ会見は続いていたが、それ以上見ていることが出来なくなり、伊織は立ち上がる。
「あれ? もう見ないの?」
「ああ」
「おばちゃんももうすぐ喋るのにー」
「帰ってきたら聞けばいいじゃん」
「タッキーとツーショットが見られるかもよ?」
「興味ない」
素っ気なく言い捨てて階段に足をかけた時、一花が後ろからパタパタと追ってきた。
「あれ、あれれ? もしかして伊織くん、やきもち?」
「……は?」
「タッキーにおばちゃん取られちゃうとか?」
キャッキャとはしゃぎながら笑う一花に、伊織は先ほどまでの苛立ちが一気に沸点を突き抜ける。気がつけば、自分の右手がはじけるような甲高い破裂音を立てていた。
ハッとして顔を上げると、自分の頬を抑えて目を丸くしている一花の姿が目に入った。
そこで初めて伊織は、自分が一花をひっぱたいたことに気が付いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます