第181話

 桐子は一花に見せられた写真を見て、一気に色んな情報と思考と感情が交錯した。


(どうして広瀬さんの隣にいるの? あの子、まさか私を追いかけて行ったの? 環に予定入れてもらったのに、そっちはどうなってるの?)


 目の前に剣がいればその全てをぶつけていたかもしれない。しかし今は剣はおらず、夫や息子の前でそれを気取らせるわけにはいかなかった。


「ほんとだ、田咲くんね」

「え? 桐子の知り合いなの?」


 広瀬の驚く様子は、本当に知らなかったようだった。ほんの少しだけほっとしつつ、桐子はスマホを広瀬に返す。


「植田さんの劇団の子よ。だからよく知ってるし、この前の一花ちゃんの文化祭も見に来たのよね?」

「うん、ちょっと相談に乗ってもらったりして……。あ、夏の旅行の時にも偶然会ったんだよ。おじちゃんや伊織くん達はバーベキューの準備してたけど」


 広瀬は驚きが少しずつ溶けていく。桐子や一花とも顔見知りなら、機会があれば家に招待してもいいのかもしれない、とも思った。


「そうなんだ。それはすごい偶然だなぁ。もし会ったらよろしく伝えておいてよ」


 分かったわ、と返す桐子は、皆の食事がほぼ済んでいることを確かめて、デザート用に買っておいた葡萄を出す準備を始めた。


 その間、伊織は終始無言だった。


◇◆◇


 夕食の片づけを終え、風呂から上がって寝室へ行くと、広瀬がまだ寝ずに待っていた。


「どうしたの? 疲れて先に寝てるかと思ってた」

「うん……、ちょっと聞きたいことがあって」


 もう寝間着になっているのに、広瀬は緊張感を漂わせている。夕食時の一件を思い出し、桐子に緊張が走った。


「……なに?」

「あのさ、僕が出張している間、僕の部屋に入った?」

「え? ええ、掃除機かけたりとか、その程度だけど」

「空き巣とか、入ってないよね?」

「ええ……、もしかして、何か失くなってた? だったら明日探すわ。私は何も持ち出してないけど、もしかしたら違うところに……」

「いや、いいんだ。僕がまだ探したりないだけかもしれないから。ごめん、もう忘れて」


 そうだ、さっきは気が動転して、見落としていただけかもしれない。明日また探そう、と思ったことと、桐子の態度が協力的だったことで、妻への疑いが晴れ、広瀬の気持ちは一気に軽くなった。そして疑ったことへの罪悪感でじっとしていられなくなった。


 桐子がカーディガンを脱いだところで、広瀬は彼女の腕を引っ張ってベッドに引き入れた。

 急な動作に桐子は驚いてされるがままになった。普段の広瀬らしくない強引な力に微かな恐怖を感じながらも、その日はそれ以上抵抗することはなかった。


◇◆◇


 翌日、広瀬は出張の後片付けと週明けからの出社準備に追われていた。

 そこへ伊織がドアをノックした。


「どうした、珍しいな」

「えっとさ、勉強してて参考書に載ってないこと調べたくて……。親父、本持ってない?」


 聞けば欧州の経済連合関連を調べたいという。それなら、と自分の書棚から雑誌を数冊引き抜いた。


「あんまり分厚いと疲れるだろう。この辺でも分らなければまたおいで」

「へえ、親父こんな雑誌読むんだ……」


 それは外国の雑誌を日本語訳したものだった。本棚にはバックナンバーがずらりと並んでいる。どうやら定期購読してるらしい。


「ありがと。親父がいないときにもちょっと借りようかと思ったんだけどさ、どれがいいか分からなくて」


 パラパラとページをめくりながらのつぶやきに広瀬はぎくりと身をこわばらせる。桐子ではない、外部の人間でもないなら、伊織が持ち出した可能性だって十分ある。


「……何か持って行ったか?」

「え? あ、うん、本借りた。あとで返すよ」

「本だけ、か?」


 問いかけながらもこちらを見ようとしない父に異変を感じた。とっさに伊織は嘘をついた。


「うん、本だけ、だよ」


 

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