第174話
伊織とのやり取りを終えると、松岡は再びパソコンと向き合う。桐子が脚本を書きおろしている劇団名を調べるためだ。
伊織が件の青年が桐子の知り合いかもしれない、と言ったところで、松岡は二人の関係性にはなんとなく想像がついていた。
問題は、その男がどうして夫の広瀬と並んで写真を撮っているのか、だった。
もしも桐子たち夫婦に何らかの手出しをしようとしているのだとしたら。
それが言えた義理ではない松岡だったが、それでも何かの企みがあるなら、止めるべきだと思った。
(そもそも、そんな危なっかしいのと付き合うあいつが悪いんだがな)
桐子の男癖の悪さは承知の上だったし、だからこそ自分との関係もある。しかし桐子が夫以外の男と関係を持つのが、よくあるタブーな関係からくるスリルを楽しむためでも、遊びでも、ましてや性欲のためでもないことを、松岡は理解していた。
桐子には、無自覚な自己破壊衝動があるのでは、と。
だからといって、家族を壊しかねない相手を選ぶのは頭が悪すぎる、と、松岡は舌打ちをしつつキーボードを叩いていた。
『香坂桐子 脚本 公演』
思い付いたキーワードで検索を繰り返す中で、一番多くヒットした劇団名で再検索をかける。公式ホームページにアクセスし、劇団員一覧のページを開くと、団長の次に大きなサイズで、青年の顔写真が表示された。
『田咲剣』
ものの五分程度で名前までたどり着き、多少拍子抜けする。しかし、伊織も名前が知りたかったわけではないだろう。
桐子と、広瀬と、田咲剣。
この三人の繋がりが伊織にどう影響するのか。
松岡はそこまで突き止めようと心に決め、昼食を食べるためにオフィスを出た。
◇◆◇
オフィス街は松岡と同じく昼休憩のため歩いているビジネスマンで溢れていた。手早く食事が済ませられそうな店はまだ長い行列が出来ている。
そうした混雑を抜けて、大通りから一本裏へ入ったところにある古いホテルの回転扉を押す。そこのラウンジレストランが松岡の気に入りだった。
窓際の席に案内され、注文を伝えて一息つくと、背後から名を呼ばれた。
「やっぱり、松岡先生ですね」
振り向くと、驚きながらもにこやかに笑う坂井が立っていた。
「お、これは久しぶりですね」
「こちらこそ。そうか、先生の事務所はすぐ近くでしたね」
「昼時に自社にいる時は、ランチはここと決めているんですよ」
「さすが、いい場所をご存知ですね」
そつなく松岡を持ち上げながら、同席いいですか? と聞いてくる。断る理由も見当たらないので頷いた。
「どうですか、最近は報道へも出演を控えていらっしゃると、吉沢が嘆いていましたよ」
「面目ないです。有難いことに本業が立て込んでまして」
桐子に嫌がられて以来テレビ出演を控えているだけなのだが、無論そんな理由は言えるはずはなかった。
「それでは仕方ないですね。こちらは先生のご紹介のおかげで、無事企画が進んでいますよ」
坂井の話が最初は分からなかったが、暫くして、自分が彼に桐子を紹介したことを思い出した。
「ああ、そう言えば、どうなったんですか? 例の件は」
「香坂先生の骨太な脚本のおかげで、最高レベルのキャストとスタッフを集めることが出来ました。放映は来年ですが、是非見ていただきたいです」
「ほう、じゃ、主演も有名な人なのかな」
「いえ、主役は若手です。テレビの経験はほとんど無かったので、最初断られるかと思ったんですけどね。その人も、香坂先生のおかげでオファーを受けて頂きましたよ」
そう言って、坂井は自分のスマホを操作し、表示した画面を松岡へ差し出した。
「この人です。まだ若いですが、舞台でいい仕事してましてね。今回のドラマで話題になることは確実だと思います」
自分のことのように嬉しそうに話す坂井に、そうですか、と請け負いながら、松岡は写真を凝視していた。
(田咲、剣……)
松岡は言い知れない不安と、それに加担してしまったかもしれない自分の迂闊さに頭を抱えそうになった。
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