第165話

 伊織は毎朝、スマホのアラームで目を覚ます。今朝もいつもと同じ時間にスマホが鳴った、と思ったら、それはメールの受信を知らせる音だった。

 こんな時間に? と寝ぼけながら手に取ると、父からのメールだった。

 自分が送ってから中々返信が無く、少し心配になりかけていたため、返信があったことにほっとした。


 目をこすりながらメールを開く。内容はさして重要でもないものだった。


(これなら一々返さなくてもいいのに)


 と、自分も他愛無い文面だったことを棚に上げて、父の素っ気ないメールにがっかりする。


『ママにも大丈夫だと伝えておいて』


 というくだりを読んで、似たもの夫婦だと思った。息子自分を介して会話するなよ、と独り言ちたところで、写真が添付されていることに気がついた。

 開くと、どこかの酒場のような薄暗い屋内の中に、父を真ん中にして男性が三人写っていた。

 一人は父と同年配の男性。もう一人は父の仕事関係とは思いづらい若い男だった。

 知り合いか、と、画面を閉じようとした時、その男に既視感を感じた。


 写真からでも伝わってくるすらりとした雰囲気、普通では見かけないような整った目鼻立ち……。


「あ」


 どこで見たのか、を思い出した伊織は、スマホを手に一花の部屋の戸を叩いた。


「一花、一花。起きてるか? ちょっと入るぞ」

「ちょ、ちょっと待って、私パジャマだし……」


 室内から焦りまくる声が聞こえるが、それがどうしたと、伊織は扉を開けて中に入った。


「お前さ、この人、知ってるよな」


 おはよう、を言う余裕もなく、伊織は自分のスマホを一花に差し出す。まだ目の焦点が合ってなかった一花は数秒画面を見つめ、ああ、と声を上げた。


「タッキーじゃん。あれ? どうしておじちゃんと一緒にいるんだろ?」

「お前の文化祭の時に観に来てた人だよな」

「そうそう。おばちゃんが脚本書いてる劇団の俳優さん。私が役付いて困ってた時に相談に乗ってもらったりして、それで観に来てくれたの」

「ママの……?」


 見覚えがあると思った人物の素性が分かって納得したのも束の間、母とも繋がりがあると聞いて、伊織は眉根を寄せる。


「次の公演出ないらしいけど、外国に行くからなのかなー、でもびっくりだね」


 好きな俳優のオフショットに無邪気に喜ぶ一花を他所に、伊織は黙り込んでしまった。


「おじちゃんも元気そうだね。これ、おばちゃんにも見せてあげたら?」


 一花の提案に、伊織は束の間考えて、首を振った。


「これ、ちょっとママには言わないで」

「え、なんで……?」

「ちょっと、な」


 伊織のはっきりしない返答に一花が問いを続けようとした時、階下から二人を呼ぶ桐子の声が響いた。時計を見ると、いつもの起床時間はとっくに過ぎていた。

 二人は慌てて登校の準備を始めた。


◇◆◇


 一つ呼吸してから、桐子は文哉の病室のドアをノックした。昨日も来たが、丁度検査か何かで不在だったので、これ幸いと洗濯物だけ回収し、文哉とは顔を合わせることはなかった。だからこそ余計に今が気まずい。でも一昨日のまま、というわけにもいかないのだ、と、自分を奮い立たせた。


「どうぞ」


 いつも通りの文哉の声が聞こえてゆっくりと扉を開けると、中には文哉以外にもう一人いた。

 見舞客がいると思わなかったので、驚いて挨拶が出遅れる。すると相手方が先に声を上げた。


「あれ……、この前、撮影現場にいた方、ですよね?」


 何のことだ、と思ったが、すぐに思い出す。剣のCM撮影現場で通りすがりに声をかけてきた人物だった。


「あの時は……、名乗らず、失礼いたしました」

「いえいえ、こちらこそ。そうか、ご当主のご家族だったんですね。改めまして、各務と申します」


 爽やかに微笑んで、環に対してしたのと同じように名刺を差し出した。桐子は両手で受け取る。


「妹の桐子と申します。その……兄とはお知り合いで?」


 驚きつつも、文哉の関係者だと思うと自然に警戒心が高まる。しかし各務は屈託なく笑って頷いた。


「ええ、以前から色々とお世話になっております」


 そう言って顔を文哉へ向けた。恐らくその顔も、桐子へ向けたのと同じような表情だったのだろう。

 それでも一瞬だけ文哉の顔が苦く歪んだのを、桐子は見逃さなかった。

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