第162話

 その日の夕食は、伊織のリクエストのハンバーグとなり、一花が調理を担当した。

 一花が自宅から持ってきたエプロンをつけ、一人で調理する様子に、伊織が横からチャチャを煎れ続ける。


「たまねぎ、ざく切りじゃん。みじん切りじゃないのか?」

「えー、牛乳多すぎるよ。俺、牛乳嫌い」

「ニンジン? なんで? ハンバーグってニンジン入ってたっけ?」


 付け合わせ用の温野菜サラダの準備をしていたら、一花が冷蔵庫から野菜を出すそばからまた戻す。

 最初は『俺も手伝う』と言ってキッチンへ入ってきたのに、完全にただの邪魔だった。


「もー! 伊織くんうるさい! あっち行っててー」

「なんでだよ、手伝うって言ってんじゃん」

「手伝ってない、邪魔! おばちゃーん、伊織くんがー」


 一花としては、伊織と一緒にいられる時間は無条件に楽しい。だから我慢していたのだが、そろそろ限界になり、困り果てて桐子に助けを求めた。

 そろそろSOSが出るだろうと思っていた桐子は、苦笑いしながら二人の許へ向かった。


「伊織、あっち行ってなさい」

「ママまでなんだよ、俺、少しは手伝いできるようになったんだよ?」

「はいはい偉い偉い。じゃあこっち、やって」


 桐子が指さしたのは、山積みになっている空のペットボトルだった。


「二人がジュースばっかり飲むから溜まる一方なのよ。キャップとラベル外して、潰して小さくして。資源ごみ用の袋に入れて外に出しておいて」

「……料理じゃねえじゃん」

「手伝うんでしょ? これも立派なお手伝いよ」


 優しい言い方ながら有無を言わさない桐子の様子に、伊織は苦い顔をしながらペットボトルの山と向き合った。


「おばちゃん、ありがとね」

「ううん、ごめんね。まさか一花ちゃん家にいるとき、いつもああだったの?」

「いつも……ではなかったよ、大丈夫」


 あはは、と笑いながらパンパンと肉を成型していく一花が気を使っていることは明らかで、桐子は再度頭を下げ、その後は一花を手伝った。


◇◆◇


「「「いただきます」」」


 数十分後、三人で食卓を囲んでいた。


「あら、美味しい。一花ちゃん、これ何入れたの?」

「デミグラスソースの隠し味でお味噌入れたんだ」

「すごい、それ、今度教えてね」


 一花は桐子から褒められ、心から嬉しそうに顔を赤らめて微笑む。その様子は伊織が見たこともないほど愛らしく、驚いて思わず見入ってしまった。

 しかし伊織からの目線に気づいた一花は、逆に不安に駆られた。


「も、もしかして、美味しくない……?」

「……え? あ、いや、旨いよ」


 伊織は無意識の自分の行動を隠したくて咄嗟にそう答える。慌てて食事を再開したが、今度は一花が伊織を凝視したままだった。


「な、なんだよ……」

「ちょ、おばちゃん、聞いた? 伊織くんが美味しいって言ってくれたー!」

「やったわね、最初の目標クリアね」


 興奮した一花は立ち上がって、イエーイ! と桐子とハイタッチする。最初は呆気に取られていた伊織は、次第にそれが自分への当てつけと思われて機嫌を損ねた。


「旨いって言ってるだろ、いつも」

「言ってない。全然言ってない。もしかしたら言ってたのかもしれないけど私は聞いてない」

「なんだそりゃ?! お前の都合だろ、それ」

「今みたいにちゃんと面と向かって言わなきゃ。それが作ってくれた人への礼儀よ、伊織」


 両サイドから責め立てられ、普段なら仲裁に入ってくれる父の不在がここでも痛い。


「そうだ、今日のご飯写真撮ってパパに送ろうかな」

「もう半分近く食っちゃってるじゃん」

「いーんだもん。そうだ、おじちゃんにも見てもらいたいな。伊織くん、送っといてー」

「うぜー……。じゃ、お前が撮った写真、俺に送れよな」


 はあい、と機嫌よく返事した一花は、食べ途中の食卓を色んな角度から撮影する。そしてまずは文哉へ送信し、同じものを伊織へ送った。


「ほらほら、早くスマホ取ってきて送って!」

「あっちって、今何時くらいかな」

「時差は確か九時間くらいだから、きっとまだ昼前ね」


 壁掛け時計を見ながら、桐子が計算して答える。そう言えば到着したという連絡もない。きっと着く早々忙しいのだろう。

 朝はあれだけ広瀬に小言めいた申し送りをしておいて、それ以降のドタバタで忘れていたことに、桐子は自分で嫌気がさす。


「親父、今頃何してるかな」

「多分お仕事中でしょ」

「じゃ、メール送っても大丈夫だね」


 あっという間に夕食を平らげた伊織は、楽し気にスマホを操作する。


「ちゃんと飛行機で寝れたか、聞いておいて」

「何だよ、ママ自分で聞けばいいじゃん」


 顔も上げずに入力を続ける伊織の言葉に、桐子は返事に詰まる。

 伊織の言う通りなのに、今日は広瀬と会話をしたくなかった。例え携帯電話の文字同士であったとしても。

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