第153話
両家顔合わせはスムーズに進んだ。
広瀬の両親も文哉も、二人の結婚には賛成である上に、桐子は妊娠している。広瀬も一家を構えられる程度の収入を得ているし、なんの障害も無かった。
はしゃいだ広瀬の母が、二人の馴れ初め話に盛り上がり、プロポーズの言葉まで質問が及んだところで広瀬が白旗を掲げ、やっと追及の手が止まった。
会席料理が水菓子まで供されたところで、広瀬の父が口を開いた。
「後は結納と、お式の日取りですな。桐子ちゃんのお腹が目立たないうち、っていうと、すぐ準備したほうがいいですかな」
「あらでも、せめて安定期に入ってからじゃないと、何かあったら大変だし……。でも式場も予約でいっぱいじゃないかしら」
話の流れから言えば当然といえる話題だが、他の三人は戸惑ったように顔を見合わせる。無論、一番緊張度が上がったのは桐子だった。
その桐子をかばうように、広瀬が両親の会話に割って入る。
「それなんだけどさ……、桐子の体も心配だし、生まれる前に、って考えると日程も立てづらいから、式は無しでいいんじゃないかって、話してるんだ」
広瀬の申し出に、両親は驚きすぎて返事が出来なかった。
◇◆◇
広瀬が千堂家を訪れた時、桐子と二人になり、挙式をしたくない理由について話し合った。
「うちの両親は僕が説得するよ。でもそれとは別に、桐子の理由を聞きたいんだ」
桐子の自室は、屋敷の荘厳さに違わず二十畳はありそうな広さに、アンティーク調の家具が並び、現実離れした豪華さだった。
しかし部屋の主の桐子は、広瀬の褒め言葉もほとんど耳に入っていないようだった。
「さっきお義兄さんにも聞いたんだ。なんていうか……こんな立派なお家のお嬢さんが結婚するんだから、ご挨拶しなきゃいけない親族や知り合いは多いんじゃないかと思って。でもお義兄さんも、それは気にしなくていいって言うし……。桐子が何を心配しているのかを知りたい。そうすれば、この先も僕が君を守れる」
最後の言葉に、桐子の頬がピクリと動いた。
「守る、って……」
「今まではお義兄さんが君を守ってきたんだよね。でも結婚したら、それは僕の役目だろ。でも、君が怖がっているものを知らないと、ちゃんと守れない。今じゃなくてもいいから、話して欲しいんだ」
そっと桐子の肩に手を回しながら、桐子を追い詰めないよう、慎重に言葉を選ぶ。暫くじっと広瀬を見つめ続けていた桐子は、目線を外すとそのまま広瀬の胸に頭を預けた。
その頭をゆっくり撫でていると、小さな声で桐子が話し始めた。
「私はね……、一族の恥なのよ」
衝撃的な言葉に、広瀬の手が止まる。冷静を装おうとしたが、丁度広瀬の心臓の上に桐子の顔がある。大きく拍動したことは、既に気づかれているだろう、と、誤魔化すことを諦めた。
「何か、あったの?」
桐子は、声に出さず頷く。
「私は昔から……何も出来なくて、体も弱くて、友だちも出来なくて。両親の期待には何一つ応えられない子どもだった。おじい様とおばあ様は優しかったけど……、おばあ様は私のせいで亡くなった……」
更に驚きの事実を告げられ、広瀬の桐子を抱く腕の力が強まる。
とっさに『そんなことはない』と口走りそうになり、言葉を呑みこむために慌てて深呼吸する。今はまず、桐子の話を聞くことが先だ、と。
「だから、私なんか、祝ってもらう価値は無いの。兄さんは皆の自慢だけど、私は正反対。私を大事にしてくれるのは、昔から兄さんだけで……、でもそのせいで、兄さんは色んな人から責められた。だからね……広瀬くんを、同じ目に遭わせたくない」
気がつけば、二人は両腕を互いの体に回して抱き合っていた。
「本当は結婚してもらうのも申し訳ないの。だけど……私、広瀬くんと結婚したい。この子を生みたい。でもせめて……誰にも知られたくないし、広瀬くんを辛い目に遭わせたくないの。だから……」
「わかった」
桐子が最後まで言い終わる前に、広瀬ははっきりと強く承諾の意を告げた。
「式は要らない。そうだ、家族だけで食事しよう。桐子は料理が上手だから、手料理で三人をもてなそう。もちろん僕も手伝うよ。お互いの家族への感謝を、式じゃない形で伝えよう。それでいいじゃないか、ね?」
力強く明るく微笑む広瀬の顔が、桐子は涙で滲んでハッキリを見えなかった。
しかしその涙は、喜びや感謝だけではなく、罪穢れのない人を裏切った痛みの涙でもあった。
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