第136話

 メッセージを受信した時、各務は慧然寺から帰宅したところだった。


『私も頑張るからね』


 妹からは一言だけだ。しかしそれでも、何をやろうとしているのかは分かる。各務は小さくため息をついて、


『お前は無理しなくていい』


 と返そうとした。言ったところで聞き入れず、意思を貫く性格であることは良く知っていた。

 入力しかけた文章を消して、スマホをソファへ放り投げた。


◇◆◇


 桐子は来週一週間広瀬と二人で家を空けることを、電話で伊織に伝えた。事後報告の形にはなるが、一週間も学校を休めない伊織には日本に残る選択肢しかなかった。


『……なんか俺だけ、仲間外れな感じ』

「何を言っているの」

『だってさー……。でも、ママの言う通り、学校は休めないしなー』

「そうよ。兄さんの家にいるのは丁度良かったわ。一花ちゃんがいるものね。伊織が一人暮らしするよりずっと安心よ」

『ママ、それひでーよ。俺もちょっとは役に立ってるよ』

「わかってるわ、頑張ってるって聞いてるから」


 久しぶりの会話で、電話の向こうでへそを曲げる伊織の気配が伝わってきて、桐子は苦笑しつつもホッとする。息子には順調に成長して欲しいと思うものの、おいて行かれると拗ねる姿に安堵していた。


(こういうのが私のダメなところなんだろうな)


『じゃ、おみやげは奮発してね。ほら、伯父さん家に世話になってるのもあるし』

「もちろんよ。一花ちゃん達に私が聞いても遠慮するだろうから、伊織からリクエスト聞いて私に送ってね」

『一花? あいつが遠慮なんかするかなー。まあ、聞いておくよ』


 気を付けてね、という言葉を最後に、伊織の側から電話が切られた。一花のことをよく理解しているらしい。ひと月あまりの間にすっかり仲が良くなったようで、それも安心と淋しさの両方を感じさせる素でもあった。


 伊織はあっさりと納得したのに、剣はいまだに食い下がってくる。


『ロンドンのどこ?』

『何日の何時発の便? 航空会社はどこ?』

『どの空港から出発するの?』


 と、何度もメールを送ってくる。全て無視しているが、諦める様子はなかった。

 とうとう昼間に電話まで掛けてくるようになったので、桐子は一計を案じることにした。


◇◆◇


「……追加の撮影、ですか?」

『そうなのよ、本当にごめんなさい、クライエントの要望が追加されちゃって』


 自宅でドラマの脚本の第一稿に目を通していた時、環から電話がかかってきた。もうCMの仕事は終わったものだと思っていたのに、撮り直しになるとのことだった。


「俺、なんかダメだったんでしょうか」

『違う、違うのよ、田咲さんのせいじゃないの。さっきも言ったでしょ、先方の希望なのよ。本社にデモを見せたら、もっとこうしろとか、車種を変えろとか、後出しで注文が出ちゃったみたいで』


 剣は電話では伝わらないようため息をつく。企業に勤務した経験が無いからよく分からないが、こうしたことは良くあることなのだろうか、と。しかし使われる身としては、出来れば最後まで詰めてから撮影に臨んで欲しかった。

 だが、そんな苦情が言える立場でないことも理解していた。


「わかりました……。それっていつですか」

『来週の水曜日。前回の二日目に行った海岸あるでしょ、あそこ』

「来週、ですか……」


 剣は環に見えないことは承知で顔を顰める。来週は桐子を追って、出来れば同じ便でついて行こうと思っていたのに、週半ばに仕事が入ってしまえば無理だった。


「別の日には出来ないんですよね」

『あら、予定あった? 植田さんに聞いたら大丈夫って言われたんだけど。ごめんなさいね、他の役者さんは逆にこの日じゃないと駄目みたいで』


 自分より先に他の人のスケジュール確保に動いていたことで、剣のプライドの別の部分が刺激される。だがそう言われれば断ることは出来なかった。


「分かりました……。じゃあ、当日のスケジュール教えてください」

『ありがとーー! 感謝します! 当日はスタッフが車で迎えに行くわね。タイムテーブルは今日中にメールするから』


 了承の返事をして、その後はさっさと通話を切る。

 腹立ちまぎれにスマホを放り投げると、どこかへぶつかったのか、鈍い破壊音が聞こえたが、壊れたかどうかを確認する気にはなれなかった。

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