第135話

「お前らここで食う? みんなあっちで食ってるけど」


 二人分の弁当が入っているらしい袋をガサゴソさせながら植田が近寄ってくる。あっち、とは、稽古場のことだろう。


「私もそっち行っていいですか? 公演の相談もしたいし」

「おう、じゃ、荷物持って来い。剣はどうする」

「……俺も行きます」


 まだ言い足りなそうな剣の気配に気づいていたが、無視をして植田と稽古場へ入っていった。


「あー、先生! 相談したいことがあったのー」

「あのさぁ、ここのセリフなんだけど……」


 あっという間に次公演の出演者に囲まれる桐子を、その一挙手一投足を見逃すまいとしているように見つめ続ける剣の背を、植田が叩いた。


「お前、この後時間あるか?」


 声に応じてそちらを向いて、剣の顔が引きつった。植田が、見たことも無いような厳しい目をしていたからだった。


◇◆◇


「腹減ったなー、お前もだろ? 午前中はテレビ局だもんな」

「いえ……、昼、大盛り食ったんで」

「そっか、そうだったな。……じゃあ、とりあえず生か」


 そう言って店員に声をかけ、飲み物といくつかの料理を注文する。会社員が仕事帰りに寄るには少し早い時間帯だからか、まだ居酒屋の店内は空いていた。


「順調か? あっちの役作りは。CMは撮り終わったんだろ」

「いえ、あの……、まあ」

「なんだよ、歯切れ悪いな」

「……今日の団長、なんか変すよ、なんか、あったんですか」


 剣は生殺し状態に耐えきれず、自分から植田が作るぬるま湯のような空気を終わらせた。それに応じるように、植田は煙草に火をつけるのをやめ、目を細めて剣を見返す。


「その辺にしとけ」

「……え?」

「ここが潮時だ。あいつも、そう言ったんじゃないのか」


 剣は、植田の細められた目を、どんどん強くなる拍動を堪えながら見つめ続ける。


「なんのこと……」

「いいって、分かってるから。つーか、気づいてたよ、ずっと。……香坂と付き合ってんだろ」


 隠していたつもりの事実が露見していた衝撃で、剣は返事が出来ない。しかし頭のどこかで、ああやはりばれていたか、と納得する自分もいた。


「お前らがお互いをどう思ってんのか、どんな付き合い方してるのかも知らんし、俺には関係ない。いや、香坂の友人でお前の責任者でもあるんだから、関係ないって言うのも変か」

「いつから……」

「ん? あー、そうだな、去年くらいからかな。もしかしたら俺以外にも気づいている奴がいるかもな。香坂はそうでもないが、お前、隠す気ないだろ」


 剣は絶句する。自分なりに周囲に知られないよう配慮していたつもりだったが、植田には通用しなかったようだった。


「お前の入団理由は覚えてる。それがどこかで掛け違って男女になったんだろ。でもな、いいことないからな、そんなの」

「……説教のために呼ばれたんですか。じゃなかったら桐子さんが……」

「あいつからは何も言われてねーよ。説教のつもりもない。正論だけで動くほど世の中単純じゃないことくらい、俺の悪い頭でも分かるわ。そうじゃなくて、あいつはやめとけ、って、言いたかったんだよ」

「散々言われましたよ、俺の将来がどうとか、人気が、とか……」

「俺が気にしてんのは、そんなことじゃねえよ」


 植田は小さく息をついて、茄子の漬物を口に放り込む。


「あいつ、多分、他にもいるぞ」

「ほか、って……?」

「だから、男」

「旦那さんんがいることは……」

「バカ、そうじゃねえよ。なんつーか……、ああ、これも本人から聞いたわけじゃないから俺の想像だけどな」


 ガリガリ頭をかいて、再び剣と向き直る。


「理由は知らん。なんでそんなことしてるのか聞いたことはない。でも、昔っからなんだ。あいつ……、付き合ってる男がいても、他にもいるんだよ。大学の時からずっとだからなぁ、悪癖が治ったとは思えない。実際、結婚してるくせにお前とつきあってるだろ。てことは、他にもいて不思議じゃない」


 友人である桐子を疑うような、裏切るような想像と告白に、植田自身も自己嫌悪で喉の奥が痛くなりそうだった。しかし、想像、と切り捨てることが出来ない、長年の付き合いからくる確信だった。


「あいつ、ぶっ壊れてんだよ、どっか。……だから、あいつが身を引くつもりなら、お前は逆らうな。潮時、って、そういうことだよ」


 しかし、植田の決死の忠告も、剣にはほとんど聞こえていなかった。

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