第131話

 供された料理を一通り平らげると、松岡は店員を呼んで何かを言いつけた。頷いた店員は頭を下げ、出ていく際に扉を閉めた。この後の話の内容を慮って人払いしてくれたらしいと、伊織だけは気がつき、目礼した。


「松岡さんは……、どれくらい知ってますか。その、千堂家、について」


 真昼でも太陽は真上へ昇らない季節だ。横から差し込む午後の日差しは、ガラス越しに熱いくらいだった。

 眩し気に目を細めながら、松岡は頷いて話し出す。


「まあ、大人が持つ一般常識程度だな。平安以前から続く五摂家の祖と連なる家筋で、現当主が三十二代目だ。都内を中心とした土地家屋と山林が主な財産で、総資産は数千億と聞いている。先代当主が財テクやり過ぎてバブルで結構減らしたらしいが、現当主が持ち直したらしいな。昔は摂政や中宮も輩出した名家だが、現在家系に残るのは五人だけ。そのせいか名前は広く知れ渡っているが、政財界のどちらにも姿を現さない」


 どこかの観光地のパンフレットを読み上げるように、すらすらと松岡の口から出てくる情報は、ここ最近で二人が聞きかじった情報と一致する部分と、予想を超えるものと様々だった。

 そして二人が目を丸くするような情報が、大人の間では『一般常識』だ、ということへも、衝撃を受けていた。


「五人、って……」

「お前と、お前のお袋と親父さん。そしてそっちのお嬢ちゃんと、親父さん。まあ、さっきから言ってる現当主だな。その五人だ。……もっと言うと、千堂を名乗る本家筋は現当主とお嬢ちゃんだけだよ」


 二人の脳裏に、慧然寺で見た家系図が広がる。始めの方にはずらりと名前が並ぶのに、一番新しいところは枝分かれが急速に減っていた。まるで大きな樹木をひっくり返したように。


「はじめて聞いた、って顔だな、二人とも」


 松岡の言葉に、揃って頷く。その反応にむしろ松岡のほうが驚いた。明るい話が少ないとはいえ、もう高校生にもなっているのに聞かされていないとは思わなかったのだ。


「本家を見に来てたってことは、家のことを知りたいってことだよな」

「……月曜日に、二人で学校サボって文哉伯父さんの後をつけたんです」


 出し抜けな伊織の告白に、松岡は飲んでいた茶を吹き出しそうになる。若さと行動力が組み合わさると、身近なシチュエーションも冒険譚になる。


「古いビルに入っていって、その後は出てこなかったんですけど。近くの喫茶店のマスターが少し教えてくれて」


 あの日聞いた話を伊織が伝える。松岡はうんうん、と頷きながら聞いていたが、最後の下りで真顔になった。


「子どもがいれば? そう言ったのか?」


 反射的に一花を見る。そしてすぐに目を逸らそうとしたところで、テーブルの下で彼女に脛を蹴飛ばされた。


「痛って、おい、何すんだ」

「何すんだ、はそっち。私はおじさんより先にそれ聞いてるんだから、変な気使わないでくれる? 話が先に進まないじゃん」


 あっさりと受け流す一花に松岡は唖然とする。真偽のほどは分からないながら自分の存在を否定されたような言葉を聞かされたというのに、もう受け入れているというのだろうか。


「で、その話を突っ込もうとしたけど、他のお客さんが入ってきちゃって聞けなかったんだよね、伊織くん」


 一花の言葉を受けて伊織も頷く。


「その後役所に寄ってこいつの戸籍謄本取って、本籍地になってたあの家を見に来たんです」

「なるほど……」


 松岡にとって初耳なのは、その喫茶店のマスターの言葉だった。文哉から聞いたのか、一花の存在を知らない誰かから言われたことなのか、一花が娘だから跡継ぎと目されず、『跡継ぎの男児がいない』という意味での言葉だったのか。


「お前たちが知りたいのは、そのことか?」

「いえ、その……、何が知りたいっていうより、全部が知りたいって言うか」

「おじさん、パパがどんな会社で働いてるか、知ってる?」

「会社? というか、親父さんは千堂家の全財産の管理会社を経営してるんだ。所有している土地家屋を借りて事業している会社も多いし、自治体が定期借地していたり、大学の研究農地になってたりするからな。だから勤めてるというより、経営者だな」


 あっさりと一花が知りたかったことを教えてもらい、拍子抜けする。


「……財産管理のために、会社が必要なんですか?」

「たまにあるんだよ、そういう家が。お前たちもそういう一族ってことだ。本来ならそれなりの教育を受けていてもおかしくないが……、まあ、そういう方針ではないんだろうな」

「……マ、母も、ですか」


 話の流れで、つい伊織は桐子についても松岡に質問する。松岡も自分が知っていることをそのまま話そうとして、寸でのところで留まった。


「それは……、そうなんじゃないのか? 俺はよく知らないが」

「そう、ですよね、すいません……」


 伊織が引き下がったことで、心の中で安堵するが、伊織の顔はいまいち晴れない。

 考え込む伊織の隣で一花が立ち上がった。


「ちょっとごめんなさい、部長から電話」


 松岡に言い置いて、部屋の外へ出た。もしもーし、と明るい声が聞こえてくる。


「元気な奴だな、あれは」

「一花ですか? まあ、そうですね、普段は」


 伊織も少し前まではそう思っていた。ただ、ここ最近一緒に行動していて、一花なりに無理をしていることにも気づいていた。


「守ってやれよ」

「……え?」


 松岡の言葉に驚いて顔を上げたところで、電話を終えたらしい一花が戻ってきて、それ以上聞くことが出来なかった。

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