第130話

 松岡の車に乗ること数十分。到着したのは副都心の高層ビル街だった。

 大きなホテルの入り口で下車する。休日だから、というのでもないだろうが、ロビーには人が溢れかえっていた。


「あ、お前ら好き嫌いとかあるのか?」

「私はないよー。でも伊織くんはいっぱい」

「おい!」


 既に敬語すら使わなくなっている一花があけすけな返答をしたため伊織は慌てる。しかし松岡は、あっははは、と大きな笑い声を立てた。


「どうせ、肉は好きだけど野菜はイヤだとか、そんなんだろ」

「あたりー」

「……俺、帰る」

「ちょいちょい、待て。これくらいでへそ曲げるな。ほんとそっくりだな」

「親父に?」

「……ああ、まあな。男なんてな、酒飲むようになったら味覚変わるんだ。それまでは水で流し込め」


 そう言ってバンバン、と乱暴に伊織の背を叩くと、まるで自分の家のように最上階のラウンジレストランへ二人を案内した。

 松岡の後ろを歩きながら、一花がこそりと耳打ちする。


「変なおじさんだけど、面白いね」

「変な、って。お前だって見たことあるだろ、よくテレビの報道番組とかでコメンテーターやってるじゃん」

「そうなの?」

「……もういい、やっぱり帰ったら勉強な」

「ええーー」


 松岡は二人の他愛無い会話を聞くともなしに聞いていた。従兄妹、ということだが、そうした親さを感じない。逆に、別の距離感を感じる。主に一花から。


 着いた場所は中華レストランのようだった。ホテルの最上階に位置しており、抜群の眺望が窓の向こうに広がる。ボーイに案内された席からは副都心一帯を見おろすことが出来た。


「すごーい、人間が見えないよ」

「なんだ、別に珍しくもないだろ。お前らならこんな店、来慣れてるんじゃないのか?」


 メニューブックを二人に渡しながら、松岡が意外そうに聞き返す。


「慣れてるわけないじゃん、初めて来たよ」

「うちも、外食ってそんなに多くないし」

「伊織くんとこはおばちゃんが料理上手だもんね。また習いに行こうかな」

「そういえば、一回しか来てないよな。三日坊主以下じゃん」

「う、うっさい! 色々忙しかったんだもん」

「いちゃつくのは後にして、まずは注文を決めてくれ。店が困ってる」


 松岡にため息をつかれて二人は慌ててメニューに目を落とす。伊織は自分が嫌いな食材が入っていない料理を懸命に探しているが、一花は松岡の言葉で上の空になってしまっていた。


 ジャスミン茶を注いでもらい、各々口をつけながら、一息ついた松岡が口を開いた。


「で……、お前たち、あそこで何してたんだ?」


 唐突に関心のど真ん中に切り込まれ、伊織は固まる。車中から親し気な口をきいてきた一花も、気圧されて口をつぐんでしまった。


「あれはお前らの親父とお袋の生家だ。中に入りたいなら二人に相談すればいつでも入れる。それを子供たちだけでコソコソ見に来てるってことは、何か事情があるんじゃないのか?」


 松岡は、自分でもわざとらしいと思う程、ゆっくりと優しく話す。ここは裁判所でも取引先の会議室でもない。そして相手は各務でも文哉でもない、高校生の子ども二人だ。いつもの調子で押したら逆効果だ、ということは、未成年に不慣れな松岡でも理解していた。


 しかし彼がどんな猫なで声を出そうと、二人にとって松岡は見ず知らずの大人だ。それだけでなく、おいそれと口にしていい理由なのか迷う。ただでさえはっきりと言葉に出来ない不安や疑念が発端なのだ。伊織も一花も、一言も発することが出来ずに黙り込んでしまった。

 その様子に、松岡は腕組みを解いて身を乗り出す。


「何か、知りたいことがあるのか」

 

 二人に問うようにしながら、目線は伊織に絞った。行動の主導権は伊織が握っていると踏んだからだ。

 いかつい顔に射すくめられて、伊織は呼吸を忘れる。


 その時、隣の一花が伊織のパーカーの裾をキュッと掴んだ。ほとんど力は籠っていなかったが、微かな服のツレが伊織に伝わり、伊織の意識をへ戻した。


 伊織は視線を松岡へ向けたまま、ゆっくり息を吐く。


「……教えてくれるんですか、あなたが」


 問いに問いで返された。伊織の意図を読み取ろうとしたところへ、注文した料理か幾皿か並べられた。


「……とりあえず、食ってからにするか」

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