第129話
「そうだろ、香坂……伊織だっけ」
いきなり名を呼ばれて伊織は警戒を高める。父の名を出したということは知り合いか。でも自分は見覚えが無い。しかしいやに親し気だ。
「伊織くん、知ってる人?」
「……知らない。親父の知り合いっぽいけど」
野良猫が毛を逆立てるかのような空気に、松岡は苦笑する。さすがに馴れ馴れしすぎたか、と反省した。
「会ったのはお前が本当のチビだったころだもんな、悪い悪い。お前の親父さんの知り合いだよ。そう警戒するな」
松岡は信用を得るために名刺を取り出して渡す。伊織は小さく頭を下げて受け取り、それに目を落とすと。ハッとしたように顔を上げた。
「あ、法務弁護士の……」
「なんだ、知ってるのか。じゃあそんなおっかない顔で睨むなよ」
「すいません……、いや、だって、いきなり知らない人に名前呼ばれたらビビるじゃないですか」
「そりゃそうか。悪かったな。……お連れさんは彼女か?」
ニヤニヤ笑いを浮かべながら一花に視線を移す。伊織の影に隠れながら、彼の知り合いだと分かったことで少しだけ恐怖が和らいだ。
「違います、従妹ですよ、母方の」
伊織が最後に付け加えた情報で、松岡は眉を上げる。ということはあの文哉の娘で、桐子と血のつながった姪ということだ。思わずまじまじと見つめてしまい、再度怖がらせてしまったようだった。
(こっちは親父さんとは似てないな。母親似なのかもしれんな)
「……松岡、さんは、なんでここへ?」
「ん? ……ああ、ちょっとお前さん達の実家に用があってな。でも誰もいなそうだな」
松岡も伊織たち同様に千堂家を見上げる。千堂家の噂を裏切らない、得体のしれない威容を漂わせた洋館に、小さくため息をついた。
「お前たちもここに用があったのか?」
伊織にされた質問を返しただけだが、二人は動揺を隠せずに固まった。
その様子を見て、松岡は興味あり気に頷く。
「……お前たち、飯、まだだろ」
「え? ……あ、はい」
「うまいとこ連れてってやるよ、乗れ」
「……え?」
顎をしゃくって自分の車を指す松岡に、伊織たちは顔を見合わせる。
広瀬の知り合いらしい、テレビでも見かける有名人とはいえ、初対面の大人にほいほいついて行っていいものか、と迷ったのだ。
「でも、あの……、よく知らない人のお世話になるのも……」
「警戒心を持つのはいいことだ。そうだな……、じゃあ、広瀬に許可取ればいいか? お前さんから電話してくれれば、俺が出て状況を話す。それでどうだ?」
松岡が出した条件に伊織は慌てた。確かにそうしてくれれば松岡の身元が保証されて安心して同乗できる。しかし同時に自分たちがここに来ていることが父に知られる。広瀬から文哉や桐子に伝わるのは時間の問題だろう。
「……いえ、大丈夫です」
ふう、と一呼吸置いて、先刻もらった松岡の名刺を示した。
「あなたを信じます」
そう言ってニコリと笑った伊織に、松岡は文哉の面影が重なったように見えて、慌てて瞬きする。そして参った、というように肩をすくめた。
「じゃ、乗れよ。さして遠くない。ほら、お嬢ちゃんも」
「……一応高校生なんですけど」
「ん? 小学生じゃないのか?」
「しょっ?! ちょっと! それはさすがにひどくない?!」
先ほどまでの怯えはどこへやら、食って掛かる一花とばつが悪そうに頭をかく松岡に、伊織はつい笑いを漏らした。
伊織は二人に背を向け、館全体が入るようにして写真を数枚撮る。
季節のせいかもしれないが、昼間だというのに見ているだけで肌寒さを感じさせる。
自分の母親がここで生まれ育ったとは想像出来ないほどに。
(ママにこの家のこと聞いたら、なんて言うかな)
「おい、お前も早く乗れ」
松岡に急かされ、伊織は、頷きながら踵を返した。
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