第127話
ここ数日、一花は部屋に籠る時間が長くなっている。
伊織が同居した当時は、家の中で彼と顔を合わせる状況が嬉しくて、用もなくキッチンやリビング、廊下に出て掃除や片付けをしていた。その様子を見ていたから、伊織は一花の負担を心配した、ということもある。
だが先日、伊織と二人で学校を休んで出掛けた先で知った情報が、ふとした瞬間に一花の明るい感情に爪を立てる。
呑気に笑っていていいのか、と。
『自分の父親の勤務先を知らないなんておかしい』
『千堂家って、あの?』
『伯父さん、会計してなかったね』
人から言われた自分達家族についての言葉。そして先日の慧然寺住職から聞いたこと。
それらに触発されて父の後をつけた結果、触れてしまったモノ。
もしかしたら自分達はパンドラの箱を開けてしまったのだろうか。
もう一度蓋をすることも出来る。これ以上何もしなければいいのだ。
しかしそれは、箱を開ける前の状態に戻ることではない、と、一花も分っていた。むしろ蓋をしてしまうことで、自分の側に違う謎が残ってしまうだけだった。
伊織の手前、気にしていないふりをしても、どうしても耳から離れない。
『ご当主もお子さんがいれば』
自分は、では、何なのだろうか。
千堂家にとって、他の人たちにとって、何より父にとって。
戸籍謄本を取るときも実は怖かった。父の欄に文哉ではない名があったらどうしよう、と、考えないわけではなかった。あの時伊織が一緒でなければ、役所には行かず帰ってきてしまっただろう。
意を決して確認した書類には、両親の欄に文哉と愛子の名があった。平静を装っていたが、その場にへたり込みそうなほど安堵した。
(だから……ここでやめちゃいけない)
逃げるから怖いのだ、知らないままでいるとありもしない想像に押しつぶされる。同じ潰されるなら真実のほうがいい。
一人で自室で膝を抱え、この決意を固めた。決意できたのはひとえに伊織の存在ゆえだと思うと、尚更従兄への思慕は強まり、そしてもうすぐ海の向こうへ行ってしまう現実が、淋しさだけでなく寄る辺なさも掻き立てた。
◇◆◇
「今日も図書館か。一花、次のテストの結果が楽しみだな」
「プ、プレッシャーかけないでよ……。じゃあ、いってきます」
「いってきまーす」
一花と伊織は、週末になると一日がかりで自習しに出掛ける。家にいると一花の気が散るらしい。外のほうが誘惑が多いのでは、と、文哉は心配したが、大丈夫だ、と流された。
子どもたちが出ていくと、家の中は途端に静かに、色を失ったようになる。桐子と離れて暮らすようになった当初を思い出した。それぞれに家庭を得たための旅立ちなのに、無理やり引き離されるような理不尽さを感じていたことを今でも覚えている。
「さて、と……」
思考を切り替えるため、文哉は一人なのに声を出す。あれから一週間、松岡は依頼をどこまで進めたかを確認するため、パソコンを起動した。
◇◆◇
「パパ、すっかり信じてるね、勉強会だって」
「そりゃ、こんなにどっさり参考書持って出れば信じるだろ」
「いい口実だよね。あの喫茶店でもそうだったけど、伊織くんって嘘つくの上手いよね」
「……機転が利くって言えよ」
偽装のために重くなったカバンを持ち直して、丁度到着したバスに二人で乗り込む。
「そういえば、一昨日貸した問題集はどうだった?」
「え、ええ? まだ三日だよ、わかんないって」
「三日もあればあの程度終わるだろ? 最近部屋にこもってるのは、勉強してるんかと思ってたんだけど違うのか?」
痛いところを突かれ、一花は口ごもる。正直、一花の心情としては勉強どころではない。
そもそもまだ一年生だ。進路も決まっていない状態では、学校のテストで赤点を取らなければ十分で、まだ試験範囲も開示されていない時期から宿題以外の勉強をする気にはなれなかった。
「今日はいいとして、期末試験の結果によってはこれがウソだってバレるぞ、どうすんだ」
「う……、でもでも、こっちも大事じゃん!」
「はあ……、とっとと確認して、カフェでもいいから勉強するぞ。俺だってウソがばれるのまずいんだからな」
「……」
「へ・ん・じ」
「……はあい」
よし、と納得し、下車する停留所を再確認する伊織の横で、一花は小さくむくれた。
(伊織くん、私のこと、どう思ってるんだろう……)
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