第3話 弟との別れの思い出
でも、別れの時は来た。彼の命日の前日、どこかへ出かけようという話になった。最期まで、あずきの人生のページを華やかにしたいと両親は強く思っていた。
三才手前のあずきに、私は聞いてみた。
「どこへ行きたい? あずき」
「……しゅい……じょくかん」
「水族館の事?」
ベッドに横たわる、汗びっしょりなあずきが言った。彼は目を開けるだけでも精一杯なのに、目を開けて喋っていた。私はその光景に涙が溢れそうになっていた。
寿命が近づいてきているからなのか、その数ヶ月前から、あずきはベッドから動けなくなっていた。毎日毎日、寝苦しそうに「はぁ、はぁ」と。あずきがベッドから動けなくなった時、私はあずきに死が近づいてきてるのだと自覚した。
私は両親に水族館と言うと、前に来た水族館へ向かった。その日が命日となる事も知っていた。様々な生き物の見た。けど、何を見ても前に来たような楽しさや感動は感じられなかった。ずっと、心に穴が空いたような痛みが、常に感じた。
みんなが無理やり笑顔で、水族館を回った。結構夕方になってきて、最後に見たい動物をお父さんがあずきに聞いた。
「何が見たい? あずき」
「……しゃち……」
あずきは迷いなく「シャチ」と答えた。私達はすぐさま、シャチが見える水槽まで、急いで移動した。ベビーカーを早く引いて、あずきが酔わないように揺らさず。大きい筒状の水槽に着いた。その中でシャチが元気よく水槽を泳いでいた。シャチが見られて、あずきは苦しそうだけど満足したような顔を見せた。彼自身も、死が近づいてきている事を何となく分かっていたのかもしれない。彼が満足したような顔を見せたのに、私はそんな彼の姿を作り笑顔で見ていた。
その日の夜。あずきの死ぬ時が刻々と迫っていた。彼は帰った後、格段に苦しそうで晩ごはんもろくに食べられないくらい、疲弊していた。ベッドに寝かせて、ただ私達は彼が死ぬときまで、傍にいた。彼が死ぬ時、一人なのは寂しすぎるからと、意見が一致した。暗くて、満月の光しか差し込まない、時計のチクタク音が鳴り響く部屋で私達は彼の誕生日を待った。彼の誕生日の午前0時……彼が……あずきが死ぬ時間。両親は泣いていたけど、泣き声は抑えていた。彼は二歳なのに、とても賢かったから。泣き声を出してしまうと、これから死ぬ彼に未練を残してしまうからと、必死で抑え込んでいた。
彼が死ぬ10分前、彼がある要求をした。
「しゃち……」
シャチという言葉を聞いた瞬間、私はすぐさま、あのぬいぐるみを新幹線のようなスピードで持ってきた。そして、あずきに抱かせた。彼が苦しいはずなのに、笑顔を見せた。とても、とても強い子だなって思った。死が近づいているのにこうして笑う事が出来るのと、三年しか生きられない理不尽な人生なのに、何も憎んでいない事。彼は恨み言一つも言わなかった。恨み言を知らなかったからというのもあるかもしれないけど、それでも自分の人生に対して泣いたことはなかった。私と喧嘩して泣いた事はあったけど、これから死ぬ時には泣かなかった。泣いてもよかったのに。
11時59分になり、彼の人生があと1分で終わってしまうとき、あずきが一言、小声で話した。その顔は笑っていた。涙を流さず、笑っていた。
「ママ……パパ……さ、さち……あり……が……と……」
そして、月光が青くあずきを照らした。笑ったまま、彼は短い人生に幕を閉じた。彼が死んだ後、私達は泣き続けた。彼を抱きかかえたまま、一晩中泣き続けた。そんな私達も、月光は優しく照らした。
炎天下の中、私はお墓参りに来ていた。もちろん、両親も一緒。彼の小さなお墓の前に、立った。両親は、彼のお墓を念入りに掃除し始める。とても小さいのに、汚れ一つも許さないかのようにゴシゴシと。私は、彼に花束を差し出す役割。桔梗と胡蝶蘭の大きな花束を。彼に渡したら、花束に埋もれそうなくらい、彼の体格に合わない花束をそっと置く。
彼が最後に言った言葉。あれが私の名前を初めて言い間違えずに言った時だった。それを思い出すと、彼は彼なりに私の名前を間違えずに言おうと頑張っていた事が分かる。彼との思い出の殆どは笑顔で彩られているはずなのに、思い出すと何故か涙が溢れ出てくる。なんでだろう。
墓参りが終わって、私達は彼のお墓を未練がましく去る。だけど、私は少しだけ後ろを振り返ってみる。あずきがいるわけないのに、振り返ってみる。
案の定、誰も居なかった。だけど、ふと忘れていた事を思い出して、両親には内緒で彼のお墓に戻る。私はトートバッグから、ある小さなものを取り出す。それをお墓の前に固定する。今日は彼の命日。いわば、彼の誕生日。だからプレゼントを渡しに来た。
「こういうものがなくて、手作りになってしまったの。ごめんね」
私はお墓を見ながら、お墓に喋りかけた。その前には小さなアクアドーム。アクアドームにはシャチが泳いでいる。誰も揺らす人が居ないから、もっと元気に泳いでいる姿は見る事は出来ないけど。だけどアクアドームをプレゼントすれば、喜んでくれるかなと思って手作りした。シャチが入ったアクアドームが水族館で見つかれば、一番良かったけど。
「じゃあ、行くね」
私は今度こそ、この場を去る。だけど、そこに穏やかな風が流れてきた。また後ろを振り向いてみると、アクアドームのシャチが元気に泳いでいる。……その光景を見て、嬉しいという感情と、悲しい感情が湧き出てくる。
「……喜んでくれて嬉しいな。……ありがとう。あずき」
私は両親の元へ戻った。
ハムスターライフ 岡山ユカ @suiren-calm
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