猫の料理人の追憶

 ――一方その頃、暗闇の世界に囚われ孤立していたダイギンジョー。


「ここは……」


 どこかで見たことのあるような雪化粧に包まれた港町。

 ダイギンジョーは冷静に状況を理解しようとする。


「違う場所に飛ばされちまったか、幻を見せられているってぇところですかねぇ」


 早く脱出してノアクルと合流しなければならない。

 そのために情報を集めようと見回すと、足元に幼いケットシーがいた。


「……こいつぁ……小さい頃のあっし……?」


 横には記憶の中だけで朧気に覚えている母親がいた。


「毛の色も悪いし、可愛くないしゴミだにゃ」


 無慈悲に呟かれる、何度も悪夢として反芻した言葉だ。

 ダイギンジョーは唖然としながらも、母親に呼びかけてしまう。


「おっかあ!!」


 ――だが、何も反応されない。

 周囲も同じような感じで、どうやらダイギンジョーだけが誰にも見えていない世界なのだろう。

 何にも干渉できない〝夢〟のようなものだと理解した。


「おっかあ……このときなんで……こんなことを言ったんだ……」


 何度も何度も考えていたことだ。

 普通に考えれば、可愛い我が子相手にそんなことを言う親なんているはずがないだろう。

 それはジーニャスと、その愛ある母であるジニコを見てもわかった。

 我が子が可愛くない親なんて存在しない……そう信じたかった。

 きっと自分の母親もそうなのだと。


 そのためか、そそくさとどこかへ言ってしまう母親を無意識に追いかけてしまった。

 何か止むに止まれぬ事情があるかもしれないと信じて。

 しかし、その先で待っていたのは残酷な真実だった。


「あの子は捨ててきたにゃ。アンタが気に入らないって言うからさ」

「うんうん、従順な女は好きだよ。さぁ、馬車に乗って暖かい家へ帰ろうじゃないか」


 知らない男と一緒にいた。

 それも、どうやらダイギンジョーの父親などではなく、新しい恋人のようだ。


「ああ、そうだったのか……」


 突き付けられた現実、ダイギンジョーは悲しげな目をするだけだった。

 泣くでもなく、絶望するでもなく、ただありのままを見るだけだ。

 大人になって行くにつれて、こういうこともあるだろうと考えるようになっていたのかもしれない。

 擦れた、汚れた。

 ダイギンジョーの心は幼い頃とは変わってしまっていたのだ。


「ま、真実なんてこんなもんでさぁ。死と再生の海神ディロスリヴ様も残酷なものを見せてくれるってもんだ」


 それから早送りのように映像が流れ、母親はいったん幸せに暮らしたかと思いきや、すぐに男が新しい女を作って、捨てられてしまった。

 それも皮肉なことに、ダイギンジョーが捨てられていた場所だ。

 タイミングもダイギンジョーがフランシス海賊団に入って、幸せというものを知った直後である。


「あ、あぁ……どうして私が捨てられなきゃならないんだにゃ……」


 母親は雪交じりの泥に倒れ込みながら、ポロポロと大粒の涙を流していた。

 そのとき、ダイギンジョーの横から声が聞こえてきた。


「はっ、憐れだにゃ」


 それはもう一人の母親だった。

 姿形は一緒だが、表情は苦虫を噛み潰したようになっている。


「おっかあ……」

「ああ、そうだにゃ。あんたを捨てた、あんたのおっかあだにゃ」


 今までの過去の存在とは違い、どうやら話せる存在らしい。


「どうだにゃ? この憐れな女は。復讐してやりたいって思ってたのかにゃ?」

「……」


 自虐的な母親の問い掛けに、ダイギンジョーは無言を貫き通した。


「ざぁんねん。それも無理にゃ。このあと、心身共に弱っておっちんだのにゃ。だからもう復讐できないにゃ。子どもを捨てた母親が、今度は男からも捨てられてスカッとしたかにゃ? にゃはは!」

「おっかあ、今度機会があったら墓でも建てるよ」


 ダイギンジョーは優しい顔で言ったが、どうやら母親はそれを信じられないらしく険しい表情になった。


「は? 何を言ってるにゃ? アタシは、アンタに酷いことをしたにゃ。恨まれて当然で……」

「そうだねぇ……。あっしは確かに酷いことをされたのかもしれねぇさ」

「そ、そうだにゃ……死ぬと分かっていて捨てたようなもので……」

「でも、もうあっしも良い歳でさぁ。人の世の酸いも甘いも見てきて、今ではこのときのおっかぁよりも年上なんでね……。おっかぁには、おっかぁの人生があったんだなと思えるくらいの余裕があるんでさぁ」

「……大きくなっちまったんだねぇ、あのとき捨てたアンタが……」

「それに今では、本物ではないですが……家族のような存在たちがいるんでね。この人生も悪くないって思ってますぜ」

「はっ、そうかいそうかい。アタシより良い人生を歩むなんてにゃ! 見せつけるようで本当に嫌な子だにゃ!」


 母親は怒りながら、暗い闇の方へと歩いて行く。


「せいぜい、勝手に幸せにでもなるんだにゃ! アタシの子なんだから! そうやって、もっと……もっともっともっとアタシを悔しがらせてみるにゃ! 幸せに……なるにゃ!」

「はい、お達者で……」


 消える母親の背中を見送りながら、ダイギンジョーは優しく微笑んだ。

 母親だと思っていた存在は、ただの憐れで自分勝手な少女だったと理解したのだ。

 フランシスや、ノアクルに出会えなかったらダイギンジョーも母親と同じような運命になっていたかもしれない。


「こんな下らねぇあっしでも、恵まれた出会いに感謝を」

「で、終わった……?」


 物陰から聞き覚えのある声がした。

 彼は指でコインをピンッと弾き、手の甲に乗せていた。


「へい、感謝しますぜ。コイコンの旦那」


 それはトレジャン海賊団のコイコンだった。

 受け答えもしっかりしていて、どうやら過去の記憶の存在でもない。

 気配から実物だとわかる。


「あれ、もしかしてボクが最初から隠れて見ていたことに気付いてた……?」

「どうですかねぇ」

「正直なところ、ただの弱い料理人相手に戦ったらすぐに勝てちゃうでしょ。せっかくの母子の再会っぽかったし、少しだけ殺さずにいてあげようと思ってね……」


 するとコイコンは、トレジャンからもらった宝のコインを何度もコイントスして自分を強化し始めた。

 この状態になると拳は岩をも砕くようなパワーで、スパルタクス並の身体能力を得ているだろう。

 身体を覆う魔力がうっすらと目に見えるほどだ。


 一方、ダイギンジョーは背負っていた何かを下ろした。


「……ん? それがキミの武器?」

「へい、しがない料理人なので――」


 何重の布に巻かれていたそれは、巨大な包丁だった。

 人間より小さいケットシーからしたら、自分の身長ほどもあるだろう。


「無理しない方がいいよ……。慣れない武器を使ってもボクには勝てない」

「いやぁ、お優しい御方でよかった。これがトレジャンや、ジュエリンならすぐさま攻撃してきて、母親との再会も台無しになってやした」

「ああ、そういえば二人とは古くからの知り合いなんだっけ……? ボクはフランシス海賊団にはいなかったから知らないけどさ」

「フランシス海賊団……懐かしいでさぁ。フランシス船長の右腕がトレジャン、左腕があっしとか言われてた頃もありやしたねぇ」


 そのとき、風がなびいた。


「刃金殺法〝月光〟」

「……は?」


 コイコンはマヌケな声を出してしまう。

 それもそのはず、離れた場所にいたはずのダイギンジョーの姿が消えていて、声が後ろから聞こえてたのだから。

 コイコンは振り向こうとしたが――すでに自分が倒れていた。


「い、一瞬にして……強化済みのこのボクが倒され……?」


 コイコンは物凄いスピードで斬られたのだと、ようやく理解することができた。

 もはや動くことができない。


「や、やられる……」

「ご安心を。お優しいコイコンの旦那への礼でさぁ、殺しはしやせん」


 ダイギンジョーは広がってきた光の方へと歩いて行く。

 残されたコイコンは悔し涙を浮かべて叫ぶ。


「このボクがまた負けるなんて……クソオォォォォ!!」

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