死出の旅路
ノアクル、アスピ、スパルタクス、ダイギンジョー、ムルの四人と一匹は死者の島へ降り立った。
新しい島に足を踏み入れるというのは慣れていたと思ったが、明らかにこの島は異質だった。
「空気が……違いやすね……」
「ああ」
直感では寒いと感じるが、実際は寒くなく、澄んだ清浄なる空気。
水分が薄く蒸発したような特有の香りを漂わせている。
まるで途方もなく巨大な存在の肌の上に立っているかのようだ。
この雰囲気を受け入れて安心するか、それとも否定して警戒するか。
人によるのだろう。
多くの戦いを経験してきた彼らは、どうやら後者――警戒のようだ。
「何が起こるかわからないのぉ」
「う~ん、空からだと何ともなかったのにな~」
「相手、海神。空には力が届かないのかもしれない」
ディロスリヴの羅針盤が刺す方へ進んでいくと、すぐに鋭い岩場が行く手を阻んだ。
地面は平坦ではなく、まるで石の刃が折り重なったようになっている。
何とか歩けるが、それなりに苦労しそうだ。
「気を付けろよ、こけて手でもついたら血だらけになりそうだ」
「ワシはお主の上に乗っておるし、殻もあるしのぉ」
「あっしは意外と毛並みがじょうぶなもんで……」
「僕も」
「お姉さんは転んだ瞬間に飛べちゃう~」
ノアクルは思い出した。
自分だけ普通の人間だったということを。
「な、なんて……か弱いんだ……俺……」
「どの口が言う。たぶん殺しても死なんじゃろ」
「まぁな、俺は自分が死ぬところが想像できない。ハハハ!」
ノアクルは軽口を叩いた。
別に緊張をほぐそうと言ったわけではないが、仲間たちはこれに対して呆れたりツッコミを入れたりしてくるだろう。
だが――
「何かされたか」
誰もいなくなっていた。
「そうみたいじゃのぉ」
正確には、肩に乗っているアスピを除いてだが。
立ち止まり、冷静に状況を観察する。
さっきまでは周囲にスパルタクス、ダイギンジョー、ムルがいたはずだ。
それが瞬きをする間に消えた。
周囲も不自然に暗闇が覆っている。
「人間がやったのなら、煙幕と遮音系の魔法というところか? だが……ここは海神が支配する島だ」
仲間たちがいたであろう場所に手を伸ばしたが、実際にいない。
煙幕と遮音ではない。
「死と再生の神ディロスリヴによる転移、消滅、幻覚……などかもしれんのぉ」
「ふむ、対処しようとして現状どうにかなるわけでもなさそうだな。三人のことは放っておいて進むか」
一見、ノアクルの態度は冷たいと感じるだろう。
だが、実際にどうにかできるようなものではない。
心配をして立ち止まって何か解決するのか? 泣けば誰かが助けてくれるのか? 考えれば最高の一手が浮かぶのか?
もしかしたら、それで良い方向に動くかもしれない。
むしろ普通ならそうするだろう。
そして、それをしないのがノアクルだ。
自ら行動し、全責任を負うのが王というものだ。
「ま、なんとかなるだろ」
軽い言葉だが、それはすべてのリスクを見据えた末の言葉だった。
ノアクルは暗闇の中を進む。
不思議と足元は照らされていて、先ほどまでの鋭い岩の上ではなくなっていた。
見覚えのある赤い最高級の絨毯だ。
「ここはどこなんじゃろうなぁ」
「ここは……たぶん……俺が生まれ育ったアルケイン王国の城だ」
「なんじゃと……?」
ノアクルの記憶が蘇ってくる。
城内、三階の王族とその関係者しか入れない区画。
立派な両開きドアの先にある天蓋付きベッド。
そこで寝ている美しい女性。
「お久しぶりです、母上」
「ああ、ノアクル……可愛い我が子……」
記憶にある声そのままだ。
これが幻覚なら見せてる奴はサイテーの悪趣味野郎だと思うが、死と再生の海神ディロスリヴなら本物か、それに準じるものなのだろう。
「お主の母親か? ということはアルケイン王国まで飛ばされ――」
「いや、違うアスピ。母上は死んでいる。俺の父親に殺されてな」
「なんと……!?」
ノアクルは、死んだはずの母に触れてみた。
触れられるが、体温は死者のそれだった。
母の方もノアクルの暖かさで気付いたのか、少しだけ寂しそうな顔をした。
「あなたが元気そうで良かったわ、ノアクル」
「はい、今はアルケイン王国の外へ出て仲間と楽しくやっています」
「……王を……許してあげて……」
「あいつのことは気にしていません。もはや他人です」
「身体は大きくなったのに、そういうところはあの人と変わらないわね」
「似ても似つきませんよ。〝あの国〟の次の王に相応しいのはジウスドラの方ですから」
「そう……。ジウスドラを恨んではいないのね」
「俺は国にとって役立たずだったでしょう。弟から恨まれることはあっても、俺は何をされても恨む権利すらないですから」
一喜一憂する母に対して、ノアクルは表情を変化させない。
大好きだった母だが、今はもう違う世界の住人なのだ。
それにノアクルは、仲間たちのために進まなければならない。
あの心の弱い母なら、きっとノアクルを引き留めてくるだろう。
「母上、俺はもう……」
「そちらです」
細い腕で廊下の方を指差した。
「そちらへ行けば、ここから出られます」
「母上……」
「私は……あなたが育った姿を見ることができて満足です。それ以上は何も望みません」
「俺も……会えて嬉しかったです」
ノアクルは少年のような笑みを見せ、指差された廊下の方へと進んだ。
後ろから嗚咽が聞こえるが、振り返らない。
「ノアクル! きちんとご飯を食べるのですよ!」
「はい」
「いつかジウスドラと仲直りしてね!」
「はい」
「それと……それと……愛してる!」
「はい……!」
気配が消え、声も聞こえなくなった。
肩に乗っているアスピが何か話しかけようとしてきているが、どうやら気を遣って言葉が出ないらしい。
「ふん、気にするなアスピ。親が死んでいるなどよくあることだろう。ジーニャスもそうだしな」
「まったく、お主は意地っ張りじゃな」
言ってから気付いたが、そういう共通点でどこかジーニャスに親しさを感じていたのかもしれない。
そう思いつつ歩いていると、暗闇が晴れた。
その先にいたのは――
「よぉ、小僧。予想外に早かったな、こちらからお上品にお出迎えする予定が狂っちまった……」
「マザコンなんでね、パーティーに早く行けと母上に尻を叩かれたら急ぐしかない」
――トレジャン海賊団船長、黒髭のトレジャンだった。
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