第36話 マドモアゼル

良く晴れた初夏の午後。


開け放たれた窓からは心地よい風が吹いて、日差しは柔らかくリビングを照らす。


絵に書いたような休日。


そんな休日に不似合いな表情をした亮誠が、眉間に皺を寄せたままで隣に座る恋人を見やった。


「何で折角の休日に試食のケーキ持って来させるんだよ」


不機嫌極まりない亮誠の言葉を綺麗に無視して、冴梨は目の前に並べられた新作ケーキを眺めてうっとりしている。


つい先ほど、篠宮お抱えのパティシエから受け取った初夏をイメージしたケーキは全部で4種類。


旬のフルーツをふんだんに使ったタルトやベリーの3層ムース、マンゴークリームのロールケーキに、ライチのミルクプリン。


どれも文句なしに美味しそうだ。


感想を聞かせて欲しいと言われているので、しっかり食べレポする必要がある。


冴梨はひとまずそれぞれのケーキを写メに残してから、慎重に一つ目のケーキを選んだ。


「わー、見てみて。これ断面も凄い綺麗!


ドーム型で中が見えない分、食べた時の感動が大きいかも!


色もほら、薄いピンクからグラデーションで、良くできてるー」


「あっそ」


「ちょっと!仮にも次期社長がその態度は無いんじゃないの?


甘いもの苦手にしても、もーちょっと別の返事があるでしょ?」


余りにも素っ気ない亮誠の態度に、冴梨がフォークを手に憤慨する。


もっと自社商品に愛情を持ったらどーなのよ!?と尤もらしい説教まで始めた。


勿論言いながらもフォークは2口目に取り掛かっている。


「俺昨夜寝たの何時か知ってるか?」


「知らないけど・・・だってあたし、今朝来たし」


半同棲中の冴梨は週の半分を亮誠の家で過ごしている。


昨夜は桜たちと夜まで遊んで、今朝自宅からマンションに来たのだ。


「明け方4時」


「そんな遅くまで仕事してたの!?」


「そーだよ。お前が来るって言うから、時間空けようと必死に仕事片づけたんだよ」


「そ、それは・・有難いけど」


「なのに、何でお前はケーキの試食してるんだ」


「何でって言われても、亮誠の携帯に辻村さんから連絡があって、こっちに持ってきていいかって言われて、ハイって答えたから」


10時過ぎに亮誠のマンションに冴梨が到着すると同時に、パティシエから連絡が入った。


試作ケーキは、役員総出の会議で発表されるが今回はその前段階のケーキだ。


パティシエがアイデアを出し合って、候補を数種類作ったので、ぜひ食べて欲しいというものだった。


一瞬迷ったが、亮誠は結局渋々了承した。


本来なら、起こしに来た冴梨をそのままベッドに連れ込んでもう一眠りするつもりだったのだ。


「ブランチの約束だったでしょ?


ねえ、そろそろ起きて・・・」


布団越しに肩を揺さぶる冴梨の腕を掴んで引き寄せる。


呆気なく傾いた体を腕の力だけでベッドに引っ張り込む。


慌てた冴梨がベッドに手をついたが、亮誠の方がわずかに早かった。


背中に回した腕を腰にずらして、冴梨の体を抱きしめる。


捕獲に成功して小さく笑った亮誠の肩口で、冴梨が困ったように呟いた。


「起きてるなら、起きてるって言ってよ」


「言ったら意味ねぇだろが」


亮誠の声が完全に覚醒していると気づいた冴梨が顔を顰めた。


「いつから起きてたのよ」


「玄関のドアが開いた時から」


「そんな前から!?」


ぎょっとなった冴梨の頬を撫でて、亮誠がいたずらっ子のように笑う。


「どうせ起こしにくるだろうと思ったから、待ち伏せしてたんだよ」


「確信犯~」


唇を尖らせた冴梨の頬にキスをして、亮誠が指で輪郭をなぞる。


その仕草に嫌な予感を覚えた冴梨が身を捩って距離を取る。


「出かけるんだからね、こんな事してる場合じゃない」


「こんな事って?」


すかさず質問されて、冴梨が言葉に詰まる。


押し黙った冴梨を試す様に亮誠の指がそっと唇を撫でた。


「なーに想像したんだか」


「べ、べつに何もっ・・・ん・・・ゃ・・・っ」


口ごもる冴梨の顎を指で掬って、亮誠が強引に唇を割る。


滑り込んできた舌に反応する暇も無く、体勢が逆転した。


さっきまで亮誠の上に倒れこんでいた冴梨の体はベッドシーツに沈んでいる。


上顎をなぞられて肌が粟立つ。


流されまいと頭では思うけれど気持ちはもうとっくに陥落させられている。


亮誠の節ばった大きな手が冴梨の髪を撫でて、肩のラインを辿る。


キスの合間も肌を彷徨う亮誠の掌は、背中とシーツの隙間に滑り込んできた。


その手が目的とする場所に気づいた冴梨が、慌てて亮誠の胸を押した。


「ちょ、ちょっと待って!駄目っ」


「なにが?」


「何がって、だから、その・・・」


視線を揺らす冴梨に亮誠がキスを落とす。


と、図ったかのように電話が鳴った。


色々間が悪かったような気もするけれど、冴梨としては非常に助かった。


あのまま流されてベッドに留まっていたら、きっと何処にも行けなかったはずだから。


パティシエが帰った途端超絶不機嫌になった亮誠を横目に冴梨は知らん顔でケーキに噛り付く。


底はビターなココアクッキーで、ムースとの相性もばっちり、後味もベリー系なのでさっぱりとしている。


「やっぱりコレが一番かなぁ・・・マドモアゼルだって」


ラズベリー、ブルーベリー、チェリーの3種類のムースが層になったケーキを指差した冴梨の手を掴んで、亮誠が引き寄せる。


フォークに残っていた一口を口にした亮誠が、美味い、と呟いた。


「それだけ!?」


「どうせ役員会議でも食うんだから」


「そうだけど・・・」


「これ食ったら試食は終わりだな?」


「え、あー、うん」


後はパティシエにメールでケーキの感想を伝えれば良い。


冴梨に決定権は無くても、スイーツ女子として、新作を一番に食べられるのは最高の贅沢だ。


そんな冴梨の返事に気を良くした亮誠が、冴梨の手からフォークを取り上げてテーブルに戻した。


「なら、もういいよな」


「何が!?」


急に距離を詰められて冴梨が思わず身構える。


けれどそんな彼女の体をいとも簡単に抱き締めて亮誠が言った。


「今度は俺の好きにする番だろ」


「な、何言ってんの!さっきもしたでしょ!」


「・・・さっき?」


亮誠が冴梨の首筋に顔を埋めながらしれっと答える。


「だ、だから・・・ベッドで・・・」


真っ赤になって、尻すぼみの返事をした冴梨の顔を両手で包み込んで、亮誠がギラリと目を輝かせた。


獲物を狙う強気な視線はそのままで、うっとりするほど優しく囁く。


「あんなの、したのうちに入んねぇよ」


「っ!!」


もう反論する余裕さえなくなった冴梨は、ぎゅっと目を閉じる。


そんな彼女の瞼にキスを落として、亮誠が前髪をかき上げた。


吐息が産毛を撫でて、ますます冴梨の体温と心拍数が上がっていく。


困惑気味の冴梨を宥めるように背中を撫でた亮誠が、テーブルに残されたままのケーキを見て呟いた。


「マドモアゼルか・・・上手い事言うなぁ」


「え・・・?」


「お前の事だろ」


「ええ!?」


「辻村さんも娘みたいなもんだって言ってたし、可愛いんじゃねぇの・・・まぁ、俺のだけど」


まるで他人事のように亮誠が呟いた。

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