第35話 remedy
東京出張から戻った足で、そのままお土産を片手に帰宅する。
仕事柄、同業他社の新製品は見つける度にチェックするようにしているので、気になる菓子を探し始めると止まらなくなる。
正直な所、未だに甘いものは苦手だが、買って帰る量は以前より増えた。
冴梨がいるせいだ。
持ち帰った目新しいケーキや焼き菓子を前に、まるで恋でもしているように瞳を輝かせている様子を何度も見ていると、また買って帰ろうと思う。
仕事を抜きにしても、だ。
今回は、チョコレートを数種類選んだ。
最近は海外ブランドの国内進出も多くなっており、バレンタイン時期だけでなく、年中安定した需要が見られる。
ショコラティエの細やかな拘りが詰め込まれた一口サイズのチョコレートの世界は、実に奥が深い。
まだ片足突っ込んだばかりの新米としては、日々勉強だ。
生チョコと、トリュフ、ジャンドゥーヤ、アマンドショコラが入った紙袋を手に、最短ルートで亮誠は自宅に向かった。
確か今日は午後から大学に行く筈だから、この時間なら冴梨に会える。
亮誠のこの後のスケジュールは、報告書の提出と夕方からの会議だけなので、時間が合えばそのままどこかでランチを取ろうと考えていた。
マンションのエントランスに辿り着いたのはお昼前。
朝の新幹線で帰って来て正解だった。
3日間家を空けただけなのに、物凄く久しぶりに思える。
多分、待たせている相手がいるせいだろう。
鍵を差し込んで、重たいドアを開ける。
「さえー」
玄関に踏み込みながら呼びかけた。
靴箱の上に置かれたディフューザーから、花の香りが漂っている。
靴を脱いで廊下に上がっても返事がない。
もう出かけたのだろうか?
家にいると確信があったので、敢えて連絡を入れなかったのだ。
失敗したな・・・
仕方ないので冷蔵庫にチョコレートを入れて仕事場に戻る事にする。
ところが、リビングのドアを開けると、冴梨はちゃんとそこに居た。
振り向いた冴梨が、驚いた顔でこちらを見つめる。
「冴梨・・」
気付かなかったのかと問いかけようとして、冴梨が耳にスマホを当てている事に気付いた。
電話中だったのだ。
「え!?亮誠!?あ、ごめん、大きい声出して、びっくりさせちゃったね、うん。出張から戻って来たみたい。大丈夫だから、こっちの心配はしないで、とりあえず荷物纏めたらすぐ行くね」
どこかに向かうつもりだったのだろうか?
キッチンを覗けば、何やらタッパーが置かれていた。
状況が分からず立ち尽くす亮誠の前で、冴梨が電話を切ってこちらを向いた。
「おかえり、びっくりしたよ、電話してて声聞こえなかったから」
「ただいま・・誰?」
冴梨が浮気をするなんてかけらも思っていないし、今の話の内容からして、やましい相手だとも思えないけれど、それでも気になる。
「桜。熱出して休んでるの、随分良くなったらしいんだけど、浅海さんも仕事に行って一人みたいだから、これから様子見に行こうと思って」
冴梨の返答に心底ほっとした。
他の男からの連絡何て入る訳がないと分かっているのに、こればっかりはどうしようもない。
みっともないと言われようが、情けないと笑われようが、独占欲は最後まで尽きない。
「ああ、桜ちゃんか」
高校時代からの親友は、事故で両親を亡くして、現在実家に婚約者と二人暮らし。
桜を良く知る冴梨としては、心細くても言い出せない親友を一人にはしておけないだろう。
友達思いの彼女らしい行動だ。
冴梨は優しい。そして、ひとつの事に夢中になると、周りが見えなくなる。
チョコレートが実は帰宅するための口実のひとつである事なんて、気付いていない。
少しだけ、複雑な気持ちになる。
必死になって仕事をこなしたんだから、癒しを求めたって誰にも文句は言わせない。
両腕を広げて、冴梨を抱きしめようとしたら、きょとんを首を傾げられた。
「うん。用事あって戻って来たの?」
「・・これ、置きに帰ったんだ」
二つの目の目的を口にする。
一番は、お前の顔を見る為に、わざわざ帰宅したんだよ。
一鷹なら、笑顔で愛しい妻にそう囁くのだろうが、生憎そんな強心臓は持ち合わせていない。
差し出した紙袋を冴梨が覗き込む。
「え、なに?」
「チョコレート」
近づいた冴梨からする、ほのかな香水の匂いに堪らない気分になる。
「わー嬉しい!後でゆっくり見せて貰うね。桜のところに持っていくもの用意しなきゃ!」
耳たぶに唇を寄せようと、亮誠が屈みかけた途端、するりと冴梨が距離を取った。
「・・・ああ、うん」
「用事ってそれだけ?」
無邪気に尋ね返した笑顔が無防備すぎて、困る。
俺の前で身構える方が変だし、無防備なのは当然だ。
当然だけど、余りにも・・・
「桜ちゃんのところ行って、そのまま大学行くのか?」
「うん、そのつもり。絢花は午前中彼氏のところに行ってるから、大学で合流する予定なの」
医大生の超優秀な彼氏を持つ絢花は、合わないスケジュールを無理やり捻じ曲げて、隙間時間にデートを重ねているらしい。
桜の家は、大学の方向とは少し離れている。
ここからだと、バスに乗って、桜の家まで行って、駅までバスで戻って、そこから電車という経路になる。
「俺もこの後会社だし、送って行ってやるよ。どうせ大荷物で行くんだろう?」
「え、いいの?仕事忙しいんじゃないの?」
時間ある?と心配そうに尋ねて来る冴梨に向かって手を伸ばす。
今度こそ腕を掴んで、捕まえた。
一歩近づいて、背中を抱き寄せて閉じ込める。
間近で感じる心音と、より強くなった冴梨の香りに、ようやく帰って来たと実感した。
一瞬身体を強張らせた冴梨が、迷ったように手を動かす。
じれったいその両手を掴んで、自分の腰に回すと、亮誠は俯いたままの冴梨の両頬に手を添えて持ち上げた。
「顔見せろよ」
「・・・っ」
ああ、これでやっと俺だけになった。
揺れる瞳が真っすぐ亮誠に注がれる。
緊張と驚きが抱きしめた冴梨の身体から伝わって来た。
あんなに柔らかくて温かかった身体が、今は戸惑いで強張っている。
あーあ。またトロトロにして柔らかくしねーと・・・
少し離れるとすぐに過剰反応を返す敏感な身体は可愛いけれど、少し寂しい。
腕に閉じ込めた瞬間にスイッチが入って蕩けてしまえばいいのに。
ちらりと浮かんだ邪な妄想に、いやそれは困るなと思い直した。
抱きしめる度、色んな事を堪えなくてはならなくなる。
「大人は、時間を作るんだよ」
「あたし子供じゃな・・・っん・・っ」
大人の顔で、平気なフリして見せる癖に、腕を掴んだ途端子供みたいに狼狽えたのはどこの誰だ。
結構俺に馴染んだと思っていたのに。
抱きしめても身体を預けてこないのは、少し寂しい。
毎日欠かさず抱き合えば、そんな戸惑いは消えるのか?
時間が足りないのは重々承知しているし、社会人と学生のスケジュールが合わない事も理解している。
それでも、二人の間にある距離感は同じように縮まっていると思っていたのに。
少し急ぎ過ぎただろうか?
かなり強引にここまで事を運んだ手前、気持ちが追い付かないと言われてしまうとどうしようもない。
事実だし、それでも逃げられないように最後まで囲いを緩めなかったのは他ならぬ亮誠自身だ。
「そーだな。子供じゃないよな?だから、俺の言いたい事も分かるだろ?」
意地悪な質問だという自覚はあった。
冴梨はきっと袋小路だ。
もう一度キスをしながらさらにきつく背中を抱きしめる。
苦しそうに息をした隙に、舌を絡ませた。
亮誠の背中を冴梨の震える掌が滑る。
やっと抱きしめ返してくれた事にホッとして、少しだけキスを解いた。
強請る事を覚えさせたばかりなのに、冴梨は僅かに舌を絡ませただけだった。
物凄く物足りない。
「冴梨、なんでこんな緊張してんの?」
「だ、だって・・3日ぶりだからっ。どんな顔していいか分かんないのよ!」
「・・・へえ、照れてたのか」
「っ・・」
俯いた冴梨の髪を梳いて、それもそうかと耳元で囁く。
出張に行く前の夜、さんざん甘やかして抱き潰した。
見送って貰えない事は寂しかったけれど、疲れて熟睡している冴梨の寝顔を見たら、起こせなかった。
亮誠がベッドから出た事にも気づかない程疲れさせたのは自分自身だ。
きっと目覚めたベッドで赤くなったり青くなったりしたんだろう。
あー、惜しいことしたな、見たかった・・
「悪かった」
「な、何で亮誠が謝んのよ!?」
「だってそれは俺のせいだろ?違うのか?」
「・・・あ・・・う・・・」
しまった!と口を押える冴梨の手を退けさせて、もう一度キスをする。
「ほら、この前みたいにちゃんとキスしよう。もう覚えただろ?」
「ん・・っ・・・う・・」
戸惑いながらも舌を伸ばした冴梨が、ぎゅっと亮誠のシャツを掴んだ。
応えるように迎え入れて、絡ませながら、抱きしめる力を強くする。
「うん・・・そーだ・・・覚えてるな・・・もう何度もしたもんな」
キスの合間に尋ねれば、冴梨が涙目で睨み付けて来る。
「・・っ・・・ばか・・っん」
甘やかな反論をもう一度キスで塞いで、今度はもっと深くする。
仰のいた冴梨の後ろ頭を捕まえて、遠慮なく口内を弄った。
苦しそうに息を漏らす冴梨がぐったりするまで、長いキスは続いた。
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