第38話 心に繋がる

日本一洋菓子が美味しい都市と言われるこの街で、長年経営を続けていると、自然と同業者同士の横のつながりも増えて来る。


腕の良いパティシエは、洋菓子作りに必須。


その基礎を学べる製菓学校では、有名店で長きにわたり腕を振るってきた人気のパティシエが講師を勤めるのが主流だ。


地方紙や専門誌の取材を一切断り、山の手にある個人経営の小さなケーキ屋で、地元民だけを相手に商売をしていた父親の友人であるパティシエが、年齢を理由に店を畳み、若い頃から懇意にしていた職人仲間の依頼を受けて、このたび製菓学校の副理事に着任したという案内を受け取ったのは先週の事だった。


本人の希望もあり、大々的な着任パーティー等は行わない予定だが、季節ごとに行われる恒例の地元洋菓子会の懇親パーティーには出席するつもりだと記載があり、亮誠は早速スケジュールの調整を始めたのだが、以前より訪問予定であった関東の老舗洋菓子メーカーへとの懇談会に日程をずらすことは出来なかった。


小さい頃から何度も遊びに行かせて貰った馴染みのケーキ屋は、見晴らしの良い高台の住宅街の中にひっそりと建っており、どこか隠れ家めいた雰囲気がして、尋ねるのが楽しみだった。


流行にとらわれない、季節のフルーツを使った、素材を生かした優しくシンプルなケーキは、食べ飽きる事はなく、いつもどこか懐かしい味がした。


あの味は、彼にしか出すことが出来ない。


ケーキから始まり、最近チョコレート部門も新設され、百貨店出店数も右肩上がりのガーネットには、とうてい真似できない、素朴で温かみのある美味しさ。


方向性は違えど、彼の作るケーキには学ぶべき点が沢山あった。


これから集う、彼の技術を間近で学べる後進達を羨ましがる声も多い。


事実、亮誠の父親も悔しがった一人だった。


一代限りで潔く店を畳み、惜しみなく得た知識を若者たちへ繋げようとする、彼の理念に賛同の声が後を絶たない。


毎回お馴染みのメンバーが顔を合わせる懇親パーティーだが、今回は彼の着任を祝おうと、地方から参加を希望する者もいるらしい。


連絡を貰うのが後2週間早ければとは思うが、こればかりはどうしようもない。


本当は、紹介がてら冴梨を同伴する予定だったが、諦めようと思っていた、のだが・・・ほとんど顔を出したことのないパーティーで、しかも参加者がぐっと増えている状況で、まさか本人が代理で出席すると言い出すなんて、思ってもみなかった。


知り合いも殆どいないし、父親と二人で挨拶に回るとなれば色々と気苦労も多くなる。


無理する必要ないと説明しても、冴梨はがんとして譲らなかった。


各店舗が季節ごとの菓子を持参して行われるパーティーは、フロアの広いテーブルをフルに使ってのケーキバイキング状態なのだ。


篠宮に嫁いでからというもの、亮誠に気を使ってか、自ら進んで他の店舗のケーキを食べる事は殆ど無くなっていた。


気にするなと言ってはいるが、彼女なりに篠宮の妻という立場を考えているんだろう。


こういう機会でもないと気になるケーキを好きなだけ食べられない。


別にケーキ目当てじゃないわよ!と散々言い訳のように言っていたので間違いない。


出来れば、自分から冴梨を副理事に紹介したかったが、ここは本人を見せられるだけで良しとする。


父親は冴梨の同伴を大喜びで受け入れて、完璧にエスコートすると張り切っていた。


お勧めの店のスイーツも色々紹介しよう、とやに下がった目じりで胸を張る義理娘馬鹿前回の父親に、くれぐれもよろしく頼むと言って、亮誠は若干後ろ髪引かれる思いで関東出張に向かった。


そして、懇談会を無事終了させて、急ぎ足で駅に向かい、予定より早い新幹線に飛び乗って、現在に至る。


訪問先が、東京駅の近くだった事も幸いして、かなり早い時間に戻って来ることが出来た。


会社に戻る部長とは駅で別れて、そのままタクシーを拾って会場となるホテルの名前を告げる。


長ったらしい主催の挨拶や、参加者の紹介はもちろん、恐らく副理事着任の挨拶、祝辞等はすでに終わっている頃だろう。


腕時計で時間を確かめながらさっき新幹線の中で緩めたネクタイを締め直す。


それでも、懇談が終わるまでにはたどり着けそうだ。


冴梨には、さっきタクシーに乗る前に連絡を入れておいた。


間に合わない可能性7割と言っておいたので、冴梨の反応は喜びよりも驚きの方が大きかった。


挨拶を交わした副理事が、優しいケーキを作る代表者みたいな人だった、という感想が、いかにも冴梨らしい。


亮誠の昔の話もいくつか聞いたよ、という最後の文と絵文字が微妙に気になったが、ひとまず今は忘れることにした。


彼の店でやったいくつかの失敗を思い出して、半ばげっそりしているうちに、車はホテルのエントランスに滑り込んだ。




★★★★★★




カラフルなお菓子の色合いを引き立てる、主張しすぎないパールベージュのワンピースドレス。


首元を飾るのはシンプルな1連の真珠のネックレス。


髪はフルアップにして、華美過ぎないように、緩く巻いてサイドに流して纏めてある。


真っ白なアイロンの効いたテーブルクロスの上に、ずらりと並べられた宝石のようなスイーツたちを凝視して、冴梨はごくりと唾を飲み込んだ。


お土産も別に用意してあるから、と最初に説明を受けてはいるものの、そんなもの待てない、今すぐ食べたい。


いつもはもっと内輪の集まりなんだが・・・と亮誠の父親が苦笑するくらい、かなり本格的な大がかりなパーティーだった。


先ほど挨拶をした副理事の人望が伺える。


”亮誠も嫁さんを貰うような歳になったのか!”と親しげに目を細めておめでとう、と言ってくれた彼の、タコが沢山出来た掌を思い出す。


ずっとこの道だけを真っすぐ進んできた人の、暖かくて逞しい掌だった。


冴梨が薬指に重ねて嵌めていた婚約指輪を見て、あいつもやるなあ、と誇らしげに笑ってくれた彼からは、暖かい親愛の情が溢れていた。


しまい込むのは勿体ないし、こんな時でもないと付けられないので、勇気を出して嵌めてみたのだが、さっきから手元ばかりが気になってしまう。


亮誠の父親は、さっき顔馴染みのご婦人の集団に声を掛けられて冴梨の傍を離れてしまった。


大きい会場ではあるけれど、迷子になるような場所でもないので、安心してケーキバイキングに挑むことにする。


懇親目的のパーティーなので、スイーツがテーブルを彩る花のような役割になっていて、殆ど手付かずのままだ。


いつもは、もっと早くスイーツに手を出す人が多いらしいが、なんせ、予定の倍近くの人数が集まっているので、どの者も挨拶回りに忙しいらしい。


こんなに美味しそうなのに、お飾りにしておくなんて勿体ない!


冴梨は腕まくりこそしないものの、獲物を狙う狩人のような眼差しで、真っ白の皿を手に取って、気になるものを次々と乗せていく。


果慧かえを実家に預けてきた以上しっかりと成果は持ち帰らなくてはならない。


ゼリーでコーティングされたフルーツタルトに、ベリーソースが鮮やかなババロア、一口サイズのプチシューと、定番のショートケーキ、それにタルトタタンと、ザッハトルテも外せない。


所狭しとお気に入りのスイーツを皿に盛って、いざ会場の片隅へと思った矢先に、背後から声がかかった。


「いやあ、どれも美味しそうなケーキだ」


「そうですよね!こんなに一度に有名店のスイーツが並ぶ事なんて滅多にありませんし」


振り向いた先に居たのは、懇談が始まって中ほどに挨拶をした名古屋から来たという、洋菓子店の部長だった。


亮誠の父親との挨拶もそこそこに、横に控える冴梨の事を事を舐めまわすように凝視してきたので、覚えていた。


無遠慮に距離を縮めた彼が、冴梨の手元を覗き込む。


「ガーネットさんのケーキはどちらでしょう?」


「・・こちらのプチシューが、ガーネットのものです。クリームをミルク風味にしてあります」


失礼にならない程度に後ろに下がって、説明を口にする。


試作品の段階から何度も試食させてもらったのでよく覚えている。


こってりした生クリームやカスタードクリームではなく、あっさりめのミルククリームにしたのは、ケーキに添えて出すためだ。


ワンプレーとで、ケーキとアイスとプチシューを盛り付けた女性限定メニューとして始めたが、なかなか好評だと聞いている。


うんうんと顎に手を当てて大げさに頷いた彼が、ふと視線を冴梨の手元に向けた。


「なるほどなるほど・・ああ、いい指輪をされてますねぇ」


「あ、ありがとうございます」


「ダイヤモンドですか・・・そういえばご結婚されたんでしたねぇ・・」


「はい・・」


「これでも私、貴石いしには結構詳しいんですよ、少し見せて頂いても・・?」


手を差し出せと暗に示されて、思わず躊躇う。


明らかに粘着質なこの視線の持ち主に手を触られるなんて嫌だし、指輪に触れられるなんて以ての外だ。


けれど、この状況で断るなんて、あからさますぎる。


篠宮の名前でここに立つ以上、これは通過儀礼と思うほかないのか。


唇を噛みたい気持ちをぐっと堪えて、手にした皿をテーブルに置いた。


ゆっくりと彼の方へ、掌を差し出す。


と、後ろから伸びて来た掌が、行く手を阻んだ。


「冴梨」


真後ろで声がして、振り向く前に左手を握られる。


滑り込んできた亮誠の背中が目の前に見えて、冴梨は思わず息を飲んだ。


「りょ・・」


「父さん達が呼んでる。失礼、急ぎますので」


被せるように言って、軽く会釈した亮誠が、冴梨の手を握ったまま彼に背中を向けた。


引っ張られるように後を追う。


「い、いつ来たの!?早くない!?」


「たった今」


「いきなり来るから、びっくりした・・ほかの人達にご挨拶・・」


状況が整理できずに、足早に会場内を横切る亮誠の背中に声を投げる。


ドアの手前まで来て、漸く足を止めた亮誠が、くるりと振り返った。


思い切り不機嫌な眼差しで見下ろされる。


「中に入ったと思ったら、お前はいないし、見つけたと思ったら・・・何手ぇ握られそうになったんだよ」


「握られるつもりはなかったし!ゆ、婚約指輪・・・見せて欲しいって言われて・・断れないし」


「そんなもん、見せて欲しい、じゃなくて、触らせてほしい、の間違いだろ。あのおっさんの気持ち悪い視線が、お前に向けられてたと思うと心底腹立つ」


吐き捨てるように言って、亮誠が握った掌に力を込める。


それから、冴梨に向けていた視線を、さっきのテーブルへ戻した。


同じように顔を上げてそれを追う。


と、さっきの人物が、今度は別の女性の馴れ馴れしく話しかけているのが見えた。


つまり、亮誠には、冴梨があんな風に見えていたという事だ。


確かに彼の怒りはごもっともだし、納得できる。


けれど、素直に頷けない自分がいた。


「・・・ごめん・・・って、言うのも変だよね・・?多少嫌な事があっても、我慢するわよ。今日は、亮誠の名代で来てるわけだし、あたしはもう篠宮の人間だし、あの人を怒らせたところで、篠宮には何の得もないわけだから・・・」


無意識に零した言葉が、あっという間に”篠宮の人間の言葉”に変換されてしまう。


それは、これまでの亮誠との付き合いで理解しているつもりだ。


進んで彼の元に飛び込んだのだから、根も葉もない噂話や、善意を装った悪意に傷つけられる覚悟も、ある。


視線を冴梨に戻した亮誠が、何かを言いかけて、唇を引き結んだ。


そのまま歩き出した亮誠は、冴梨の手を離すことなく会場の外へと向かった。


談笑のざわめきが、ドア一枚隔てただけでぐんと遠くなる。


大きなガラス窓の並んだ広い廊下は、飲み物を運ぶスタッフ数名がいるだけで、ずいぶん静かだ。


会場となった広間は、ホテルから渡り廊下で繋がった別棟に位置していた。


その途中にある階段を降りると、小さな中庭に出られる。


等間隔で置かれた休憩用のベンチに並んで腰掛けると、やっと亮誠は冴梨の手を解いた。


離したばかりの手で、冴梨の結い上げられた後ろ髪をするりと撫でて、亮誠がため息を零す。


一瞬視線を合わせた彼が、そっと目を伏せる。


その意味が分からずに、胸の奥がざわめいた。


あたしが告げた答えのどれが、間違っていたの・・?


「あー・・もう・・・お前は」


怒っているような、呆れているような声音で呟いて、亮誠が腕の中に冴梨を抱き込んだ。


「えっ?」


ぎゅうっと強い力で抱きしめられて、耳に頬が押し付けられた。


耳朶をなぞる吐息が熱くて、無意識に身体が震えてしまう。


息を飲んだ冴梨の耳たぶを軽く引っ張ってからキスをして、亮誠が微妙に残されたおくれ毛にくるくると指を絡ませ始めた。


「あのな、我慢なんて一番させたくないに、決まってんだろ?」


「で、でも」


「俺と結婚したからって、あんなセクハラまがいの親父に愛想振りまく必要ねぇよ。やっぱり行かせるんじゃなかった・・・くっそ・・・」


肩に押し当てた額をわずかに浮かせて、亮誠が冴梨を見上げる。


縋るような、それでいて射貫くような眼差しで見つめられて、思わず亮誠の腕をぎゅっと掴んだ。


どうしよう・・物凄く落ち着かない・・・


「お前はもう、俺いないときはパーティー禁止な」


「え!虫除け付けてるから大丈夫よ!もうちょっとしたら果慧だって連れて来るようになるんだし」


結婚指輪+婚約指輪のフル装備を視線の高さに持ち上げる。


まるで芸能人の結婚発表会見のようだ。


予想していたよりもかなり重厚感漂う指輪を貰った時は、嬉しいよりも戸惑いのほうが大きかった。


そして、彼と結婚する事への責任をひしひしと感じた。


怖気づかないわけがない。


格差なんてものとは、一生縁がない所で生きていくと思っていたから。


それでも、自分で決めたことだ。


他の誰かと結婚するなんて考えられない。


ガーネットも、篠宮も、全部、おまけの付録だ。


そう自分に言い聞かせた。


それでもまだ、やっぱり震える事の方が多い。


分不相応だと感じる事はたびたびある。


桜が囲い込まれた旧家の志堂程でないにしても、やっぱり篠宮の名前は大きい。


街を歩けば至る所でその商品を目にする。


それ位、これまでと違う場所に飛び込んだのだ。


だから、この指輪を重たいなんて感じない位、あたしは胸を張らなくちゃならないのだ、ぜったい、ぜったい。


娘を持つ地元名士が、こぞって入学させたがる名門女子高。


寄付金の額もさることながら、学校名の持つブランド力が絶大な威力を誇る聖琳女子は、中等部からそのまま短期大学部まで進むのが一般的だ。


高等部からの外部入学も受け入れてはいるものの、当然内部生程数は多くない。


校則で、正門前までの送迎は禁止されている為、1本手前の通りでは、登校時間に大渋滞が起こる。


徒歩通学の生徒も多いが、中等部からの持ち上がり進学組は殆どが外車の送迎で登校している。


そんな超有名学校に通う生徒の多くは、母親も同じ学び舎に通っていた生粋のお嬢様だ。


育ちが育ちなだけに、世間ズレした聖琳女子高生と出会う事もたびたびあったが、冴梨の場合は、最初から何もかもが違った。


愛想が良すぎる・・・


初対面の時から思っていたが、屈託のなさと愛想のよさと気遣いは、これまで出会ったどの令嬢にも勝る。


そもそもあの手のお嬢様は、下手に出るという事を絶対にしない。


知らないからだ。


こういう会場では、ちょっとお高くとまって、近寄りがたい雰囲気でいてくれる方が随分気が楽だ。


こうもニコニコと笑顔で接客対応されたら、傍を離れるわけにはいかなくなる。


只でさえ老舗店の自信と誇りでパンパンに膨らんだ古参メンバーが揃っているのに、その中で、終始愛想よく低姿勢を貫けば否応なく目立つ。


冴梨と同じ年頃で、両親に連れられてやって来たお飾りの愛想なし美人のご令嬢と比べれば一目瞭然だ。


神々しく光る婚約指輪は、確かに冴梨の事をある程度は守ってくれるだろう。


だけど・・・


「こんなもんじゃ足りない」


翳した指を掴んで引き寄せる。


第二関節にキスをして、飽き足りずに軽く嚙みついた。


無自覚に愛想を振りまいたて、俺をハラハラさせた事への罰だ。


「やっ!」


びくりと肩を震わせて短い悲鳴を上げた冴梨の手首に唇を移動させた。


鼻を擽る甘い香りは、いつもと違う香水のせいだ。


無意識に寄った眉根はどうしようもない。


顔を背けた冴梨の頬を指の背でそろりと撫でた。


綺麗に塗られたグロスが光る唇が蠱惑的に震えている。


それをじっくりと眺めながら、もっと触れたがる指先の主張をため息と共に吐き出した。


「今度、不用意に触られそうになったら、俺以外の男には触らせないように言い含められてます、って断れよ」


「なにそれ・・」


伏せた睫毛を揺らせて、冴梨が呟いた。


けれど、その声は少しも不満げではなくて・・・


耳たぶを僅かに隠す緩く巻かれた髪が、夕暮れ時の冷たい風にふわふわと揺れる。


いつまでも合わない視線がじれったくて、冴梨の手を掴んで引いた。


肩に唇で触れて、亮誠が囁く。


「なあ、こっち向けよ」


「・・・なに・・」


手元に下りた視線をゆっくりと持ち上げて、冴梨が亮誠を捉える。


パーティーだとは言った。


お祝いの席でもあるし、それ相応の格好が必要になる。


なる・・・けれど・・・


綺麗に鎖骨が見える上品なデザインのワンピースドレスは膝丈で、裾はオーガンジーの薄い生地になっており、こうして座ると膝頭が透けて見える。


スタイルが良く見えるらしい肩下でカットされた袖は、柔らかい二の腕がむき出しだ。


くるんとカールされた睫毛が、薔薇色に飾られた艶っぽい頬が、淡いピンクで染められた濡れた唇が。


総動員で亮誠の理性を崩しにかかる。


「・・・ムカつく位、めかしこんだな」


やけくそになって頬杖をついて感想を述べた。


「え、お化粧濃い!?だって子供抜きのお出かけ久しぶりだしパーティーメイクとかわかんな・・っ・・んん・・・っ」


慌てた冴梨の顎を掬って、唇を重ねた。


招き入れるように開いていたそこに舌先を滑り込ませる。


息を飲んだ冴梨の舌を捕まえて、絡め取る。


予想通り、むせかえる位甘かった。


一瞬だけ触れて解くつもりが、なぞった感触に夢中になって何度も絡めてしまう。


時折漏れる冴梨の甘い吐息が、尚更離れる理由を失くさせた。


仕上げに唇のグロスを綺麗に舐め取って、キスを解いた。


舌に移ったグロスさえ甘いなんて、キスを強請っていたとしか思えない。


本人に言えば否定するだろうけれど・・・


「ばーか。よし、挨拶してさっさと帰るぞ」


「え!?」


勢いよく立ち上がった亮誠が、冴梨に向かって掌を差し出す。


急すぎる展開に目を白黒させる妻に向かって、この後の予定を告げた。


「久しぶりに二人でどっか行こうか」


「どっかってどこよ!?」


「折角夫婦二人きりなんだから、人の視線を集めないトコ。ほら、行くぞ」


待ちきれず冴梨の手を掴んで、強引に立ち上がらせる。


仕方なく冴梨も亮誠に並んだ。


「もう!勝手なんだから」


真横で聞こえた声は、不機嫌そのもので、けれど握り返す手の強さが”正解だ”と亮誠に伝えていた。

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